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異世界殺人―クロスゲート・サスペンス―  作者: 橘靖竜
第六章 奪われた座標

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第六十九話 奪われた器


【現実世界・聖環医療研究センター/サービス通路】


病院の“裏側”は、昼も夜も同じ匂いがした。

消毒液と古い配線と、機械が熱を吐く匂い。


城ヶ峰はエレベーターを降りると、フロア案内を見上げずに歩いた。

この建物は、迷うように作られていない。

迷わせるために作られている。


「……起きたとのことで」


並んで歩く若い部下が、声を落とす。


城ヶ峰は頷いた。


「“起きた”という言葉が正しいかは知らん」

「だが、反応が戻った。二人とも」


部下が手元のタブレットを開く。


「佐伯蓮。二十代後半、元クロスゲート技術職。

失踪一年。回復後、言語反応は――」

「村瀬七海。二十代前半、テスター系。失踪時の交友関係は――」


「いい」

城ヶ峰は遮った。

「プロフィールは後で読む。今必要なのは、“どこを見たか”だ」


サービス通路の角。監視カメラの死角。

そこを曲がると、第七特別病棟のスタッフ用詰所が見えた。


「面会記録、取材記録、全部止めたな?」


「はい。院内には“研究データ保護”の名目で通達を――」


「名目は何でもいい」

城ヶ峰は淡々と答える。

「世間に“目覚め”が漏れたら、次はここに人が集まる」

「人が集まれば、あいつらが喜ぶ」


部下が喉を鳴らした。

「あいつら、というのは……」


城ヶ峰は返さない。

返した瞬間、国が“それ”を認めることになる。


代わりに、詰所のドアをノックした。



【現実世界・聖環医療研究センター/小会議室】


小さな会議室は、空気が薄い。

窓はなく、時計の音だけが響く。


佐伯蓮は痩せていた。

頬がこけ、目だけが妙に落ち着いている。


村瀬七海は、手を膝の上で握りしめたまま、視線が泳いでいる。


二人とも“病人”のはずだった。

それなのに――目の奥にあるのは、病院の白ではない。


「覚えてることだけでいい」


城ヶ峰は椅子に座らず、立ったまま言った。

「昨夜の“前”でも“後”でも構わない。何を見た」


佐伯は、しばらく黙ってから答えた。


「……白い廊下」

「病院の廊下じゃない。もっと……まっすぐで、冷たい」


村瀬が小さく頷く。

「床が……石みたいで」

「壁が、光って……数字が浮いてた気がします」


城ヶ峰は眉ひとつ動かさない。

それを“幻覚”として処理するのは簡単だ。

だが、簡単なほうが間違っている。


「誰か、いたか」


佐伯は首を振りかけて、止めた。


「……声は、聞こえた」

「男の声。怒ってた。……『やめろ』って」


村瀬が、震える息を吐く。


「……火の匂い」

「焦げた匂いが、急にして……」


城ヶ峰は、短く息を吸った。


火。焦げ。

白い廊下。数字。

どれも、あの“境界”の臭いだ。


「最後にひとつ」城ヶ峰は言った。

「“塔”を知ってるか」


二人は同時に首を振った。

だが、村瀬の指が無意識に机の端をなぞった。

――まるで、ガラスの輪郭を撫でるみたいに。


城ヶ峰は、その仕草だけを拾う。

「……分かった。今日は休め」

「ここで起きたことは、外では話すな。誰にもだ」


佐伯が、かすれた声で言った。

「俺たち……また、持っていかれるんですか」


城ヶ峰は一拍置いて答えた。


「持っていかせない」

「そのために、俺がここにいる」


嘘ではない。

ただし、“俺だけでは足りない”ことも分かっている。


【現実世界・木崎の倉庫】


倉庫のシャッターの隙間から、湾岸の風が入る。

金属と潮の匂いが混ざって、肺の奥が冷えた。


木崎はテーブルの上に資料を広げ、地図に赤ペンで丸をつけていた。

オルタリンクタワー。搬入口。地下駐車場。非常階段。


「……やっぱり病院じゃねえ」


木崎は独り言のように言い、スマホを耳に当てた。


「城ヶ峰。聞こえる」

『ああ』

「二人から何か取れたか」

『取れた。――白い廊下、数字、焦げた匂い』


木崎が舌打ちする。

「そっち側の匂いだな」

『ああ。だから言ったろ。次は病院じゃない』

「タワーか」

『タワーだ。……だが、国は動かすな』


木崎は笑い混じりに吐き捨てた。

「動かしたら完成する、ってやつか」

『理解が早くて助かる』

「褒めてんのか、それ」

『褒めてない。事実だ』


通話が切れる。


木崎はコアケースを見た。

残っている光。

その中で、青い光だけが妙に“落ち着かない”。


ユナのコア。


まるで、どこか遠くの方向を見ているみたいに、

脈が一定のリズムを外している。


「……お前まで連れて行かねえ」

木崎は低く言った。


「今日はここで、いかりだ」


扉が開く音。


ハレルとサキが入ってくる。

二人とも、もう“迷ってる顔”じゃなかった。


木崎は、わざと乱暴に言う。

「来ると思ったよ」

「で、決めたか」


ハレルは頷いた。


「日下部を取り返す」

「今夜、タワーに行く」


サキも、言葉にしないまま頷く。

胸元のスマホが、重いものみたいに抱えられている。


木崎はため息を吐いた。

「――ユナは置いていけ」

「連れて行ったら、相手の餌が増える」


ハレルは苦い顔をしたが、すぐに頷いた。


「分かってる」

「ユナは……今は、動かさない」


それを口にした瞬間、青い光が一度だけ強く脈打った。

抗議みたいに。


サキが息を呑む。


「……ユナちゃん、怒ってる?」


「怒ってるんじゃない」

木崎が代わりに言った。

「引かれてる。タワーのほうに」


ハレルのペンダントが、微かに熱を持つ。


「……やっぱり、入口だ」


ハレルが言った、その直後。


サキのスマホが、短く震えた。


通知音は鳴らない。ただ、画面だけが勝手に点く。

白い円。歪んだ線。


そして、たった一行。


《今夜。入口は開く》


サキの指先が冷たくなる。


「……お兄ちゃん」


ハレルは画面を見て、目を細めた。


「……来たな」


木崎が吐き捨てる。

「招待状かよ。趣味悪い」


ハレルはスマホから視線を離し、木崎を見る。


「行く」

「行って、日下部を取り返す」

「入口が開くなら――こっちから踏み込む」


木崎は一瞬だけ黙り、倉庫の奥の棚からバッグを投げた。


「なら、準備しろ」

「“今夜”って言ったろ。急ぐぞ」


◆ ◆ ◆


【異世界・王都/解析室】


ノノ=シュタインは、境界地図を殴りたい気分だった。

赤点が増えてる。増え方が、昨日までと違う。


「……これ、加速してる」

「誰かが、意図的に回してる」


イヤーカフに指を当てる。


「リオ! アデル! 聞こえる!?」


【異世界・オルタ・スパイア】


風が強い。

塔の周りの草が一斉に同じ方向へ倒れている。

――“引っ張られている”。


地面に残った黒い焼け跡が、薄く光った。

消えきっていない傷が、息を吹き返している。


リオが短く答える。

「聞こえる」


ノノの声が跳ねた。

『同調が進んでる! こっちから止められないやつ!』

『タワー側が“入口”を作ってる!』

『このまま行くと、スパイアが――引きずられる!』


アデルが即座に命じる。

「防衛陣を張れ」

「塔の周囲、薄点を固定しろ」


リオが腕輪を握る。熱い。

「黒ローブは」


『動いてる! たぶん、もう近い!』

ノノが言い切る。

『ねえ、これ……“完全に重なる”の、早いよ!』

『予定よりずっと! たぶん……数日じゃない。今夜か明日!』


リオが舌打ちした。

「……ハレルが踏み込む」


アデルの瞳が細くなる。

「踏み込ませる」

「踏み込ませて、こちらで受け止める」

「現実が沈む前に」


塔の影が、一瞬だけ“別の影”に変わった。

ガラスの輪郭。高層ビルの角。


二つの世界が、もう、息を合わせ始めている。



◆ ◆ ◆


【現実世界・湾岸再開発エリア/オルタリンクタワー前】


車を降りると、夜のビルは“冷たい巨大さ”で立っていた。

ガラスの壁が街の灯りを吸い、吐かずに抱えている。


オルタリンクタワー。


ハレルは見上げる。

胸元のペンダントが、はっきり熱い。


サキは隣で、スマホを握りしめている。

画面は消えているのに、そこだけが“生きている”みたいだった。


木崎が低い声で言う。

「入口は、向こうが開く」

「なら……開いた瞬間、こっちが入る」


ハレルは頷いた。

「日下部を取り返す」

「それだけだ」


サキが小さく息を吸う。

――私、怖い。

でも。置いていかれるほうが、もっと怖い。


そのとき、タワーのガラス面の奥で、影が揺れた。


ただの反射じゃない。

“向こう側”の影だ。


サキのスマホが、もう一度だけ震える。


《ようこそ》


ハレルが、短く言った。

「……侵入する」


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