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異世界殺人―クロスゲート・サスペンス―  作者: 橘靖竜
第五章 器の座標ーコンテイナー・ポントー

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第六十三話 第二の灯り


【現実世界・聖環医療研究センター/第七特別病棟】


 703号室のドアが、静かに閉まった。


 細いスリットガラス越しに、佐伯蓮のベッドが少しだけ見える。

 機械のモニターはまだついているが、

 さっきまでの「何も返ってこない線」ではない。

 わずかに揺れる波形が、“ここにいる”と告げていた。


 廊下に出た瞬間、ハレルは足もとに違和感を覚えた。


 (……さっきより、揺れてる)


 床の白いタイル。

 ほんの一瞬、継ぎ目の線が「石畳」の目地に見えた。

 瞬きをすると元に戻る。けれど、脳が誤認しただけ、という感じではない。


 木崎も天井の蛍光灯を一度見上げる。

 「……一人分、“帰った”影響だな。

   座標の重なり方が、濃くなってる」


 「このまま、すぐ二人目に行くぞ」


 木崎が、小さく息を整えながら言った。

 「長居すればするほど、運の要素が増える」


 ハレルは頷き、ポケットの中のスマホが震えたのに気づく。

 画面には〈サキ〉の名前。


 「……もしもし」

 声を落として応じる。


 『今、どこまで行った?』


 「703終わった。これから705。

   第七病棟の廊下……今のところ、人はいない」


 『こっちは駐車場。外は静か。

   でも、さっきから病院の窓が、ちょっと“二重に見える”』


 「無理すんな。変だと思ったら、すぐ離れていいから」


 『そっちこそ。

   二人目も、ちゃんと“帰してあげて”』


 短く相槌を打ち、通話を切る。


 (サキは、いつも通り“外側”を守ってくれてる)


 それだけで、胸の奥の揺れが、少しだけ形を持った。


 「七海さんの部屋は、すぐだ」

 木崎が前方を指さす。


 《705 村瀬 七海》と書かれたプレート。

 その下のスリットガラスには、ぼんやりと白いシーツの端が見えていた。


 ハレルは息を吸い、705号室のドアハンドルに手をかけた。


 ◆ ◆ ◆


 小さな機械音と、一定のリズムの呼吸音。


 703号室と、匂いは似ている。

 でも、空気の温度は少し違った。


 「……村瀬、七海さん」


 ベッドの上。

 長い髪が枕に広がっている。

 年齢はハレルたちより少し上――二十代前半くらいに見えた。


 口元には、うっすらと笑い癖のような線が残っている。

 普段はよく笑っていたのだろう、と想像できる顔つき。


 (ニュース記事で見た写真……

   飲食店でバイトしながら、ゲームのデバッグをやってて、

   βテスターに“巻き込まれた”人)


 胸の上で組まれた手。

 機械に繋がれた細い管。

 どれも、佐伯蓮の部屋と同じはずなのに――


 (こっちは、“動きたがってる”感じがする)


 ベッドの足元の床が、一瞬だけ薄い水面みたいに揺れた。

 すぐに元通りになる。

 でも、見間違いではない。


 「時間、あんまりない」

 木崎が、ドアの内側から廊下を確認しつつ言った。


 「やるなら、一気にだ」


 「……はい」

 ハレルはケースをベッド脇の小さなテーブルにそっと置く。


 ロックを外し、蓋を開いた。


 青い光――ユナ。

 淡い桃色――村瀬七海。

 薄緑――日下部奏一。

 そして、かすかに曇った琥珀色のカプセル――佐伯蓮の“抜け殻”。


 「七海さんは……これだ」


 淡い桃色のコアを、指先で持ち上げる。

 近づけた瞬間、カプセルの中の光がふっと強まった。


 《うっそ、マジ?》

 《ねえ見て、これ、“テスト版”でしょ?》

 《写真だけじゃなくて、ちゃんと記録残しときなよ》


 断片的な声が、頭の奥をかすめていく。

 佐伯のときよりも、テンポが速い。

 軽いノリと、仕事への真面目さが混ざった感じ。

 

「……村瀬さん」


 ハレルは小さく呟き、スマホを取り出した。


 「セラ。聞こえる?」


 耳元で、ほんの少し遅れて彼女の声が返ってくる。


 『……聞こえてる。病棟の揺れ、こっちにも伝わってるよ』


 「二人目に行く。

   村瀬七海さん。コアは淡い桃色」


 『塔側も、二度目のピーク準備に入ってる。

   ノノが言うには――』


 イヤホン越しに、早口の声が割り込んできた。


 『“時間を短くする代わりに、精度を上げる”。

   一回目より、境界の負担はデカい。

   でも、その分“混ぜ物”が入り込みにくくなるはず』


 「混ぜ物……?」


 『カシウス側の“横取り”だよ。

   さっき佐伯のときは、ほとんど感じなかった。

   でも、三人目で絶対仕掛けてくる。

   二人目のうちに、できるだけ“クリーンな線”を通しておきたい』


 アデルの声も、少しだけ重なった。

 『現実側の病棟は、今どんな状態だ』


 「廊下が……

   時々、“石畳”っぽく見えたり、窓の外に別の空が重なったりしてます」


 『こちらも似たようなものだ。

   塔から見ると、“こちらの世界”と“そっちの病院”が、薄い膜一枚で重なり始めている』


 短い沈黙。


 それから、アデルの声が少し柔らかくなる。

 『一人目を“帰した”のは、間違いなくいい結果だ。

   だが、そのぶん敵も本気を出してくる。

   二人目は――迷う時間があっても、迷う余裕はない』


 「……こっちも、やるって決めてます」


 ハレルは、ネックレスを握りしめた。

 胸の下で、主鍵がまた熱を帯び始める。


 「村瀬七海さんを戻す。

   それが終わったら、日下部さんも――」


 『三人目のときは、絶対に邪魔が入る。

   だからこそ、二人目で“感覚”を掴んでおけ』


 ノノの声が、そのまま命令になった。

 『こっちは塔で〈補正〉をかける。

   ハレルは、“七海の声”だけに集中して。

   余計なノイズが混ざってきたら、即座にセラ経由で伝えて』


 「わかった」


 通話を切る。


 病室に、機械音だけが戻る。


 木崎が短く言う。

 「……やるか」


 「はい」

 ハレルは、ベッド脇のモニターの位置を少しだけずらした。

 七海の胸元が、ちょうどコアを置きやすい位置になる。


 (佐伯さんのときと、同じように)


 ネックレスを、シャツの上から軽く押さえる。

 主鍵。

 オルタ・スパイア側の副鍵。

 そして、手の中の淡い桃色。


 「村瀬七海さん」

 もう一度、名前を呼ぶ。


 「……帰り道、ちゃんと、こっち側に繋ぐから」


 コアを、そっと胸の上に近づけた。


 ――瞬間。


 病室の空気が、カチリと切り替わる。

 窓の外の夜景に、石造りの塔の輪郭が重なった。

 蛍光灯の白が、魔術灯の淡い橙色と二重になる。


 ネックレスが熱を跳ね上げる。

 どこか遠くで、塔の鐘のような低い音がした気がした。


 《え、なにこれ――》

 《ちょっと、聞こえてる? そこの誰か》


 頭の奥で、明るい声がはじける。


 「……村瀬さん」


 意識が、触れた。

 第二の灯りが、病棟と塔をまたぐように、強く点り始めた。


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