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異世界殺人―クロスゲート・サスペンス―  作者: 橘靖竜
第五章 器の座標ーコンテイナー・ポントー

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第六十一話 眠っている器たち


【現実世界・聖環医療研究センター/駐車場】


 エンジンを切ったあともしばらく、三人とも誰も動かなかった。


 フロントガラスの向こうに、白い建物が静かに立っている。

 外来棟のガラス壁だけが、夜の光を薄く反射していた。


 「……行く前に、一つ」


 ハレルは、胸元のネックレスにそっと触れた。

 金属の冷たさの奥に、ほんのわずかな鼓動のようなものがある。


 「セラ。繋げる?」


 呟いた瞬間、視界の端がほんの少しだけ“二重”になった。

 車内の暗がりの奥に、別の空間の輪郭が薄く重なる。


 《聞こえてるよ》


 耳の奥ではなく、頭の中に、柔らかい声が落ちてきた。

 セラの声。そのさらに奥で、誰かが早口で数字を並べている。


 《ノノさん、急いでまとめてください》

 《まとめてる! これ以上は簡単にできない!》


 ぼやけた魔術スクリーンの光。

 細い塔――オルタ・スパイアのシルエット。

 短いフレーズだけが、断片的に流れ込んでくる。


 《ハレル。こっちの準備、だいたい揃った》

 セラが言う。

 《さっき、三人分の“器側”の状態をノノが再計算した。

   今夜、条件が揃えば――一気に“繋げられる”》


 「三点同期……ですか」


 ハレルが息を呑むと、別の声が割り込んだ。

 ノノの、少し早口の声。


 《簡単に言うと、こう。

   病院の“器”と、ケースの“コア”と、

   ハレルの主鍵、それからリオとアデルの副鍵――

   全部を同時に“同じ座標”に乗せる》


 《オルタ・スパイア側で境界を少しだけずらす。

   そっちが病棟でコアを器に近づけた瞬間が、合図になる》


 頭の奥で、小さな地図と数式が、一瞬だけ形を持つ。

 すぐに霧みたいにほどけた。


 《長くは保てない》

 ノノの声が、少しだけ低くなる。

 《大きく座標を重ねれば、その分だけ歪みが残る。

   でも、何もしないと、いずれもっとひどい形で繋がる》


 《だから今日、“一度だけ”やる》

 セラがまとめるように言った。

 《オルタ・スパイアと、この病棟。

   それから、三人分の器とコア。

   全部を“再会させる”ために》


 「……ユナさんは」


 ハレルは、思わず口にしていた。


 《ユナさんは、あと》

 ノノの声が、短く区切る。

 《あの人だけは、器がこっち側にある。

   リスクが違う。順番を間違えたら、全員巻き込まれる》


 《まずは三人》

 セラが静かに言う。

 《その三人をちゃんと戻せたら――その先で、ユナの番を作る》


 その言葉に、胸の奥のどこかが少しだけ軽くなった。

 不安は消えない。でも、“手順”がある。


 「……分かりました」


 ハレルは、小さく息を吸う。

 「合図は、器のベッドでコアを近づけた瞬間、ですね」


 《そう》

 ノノが答える。

 《そっちの心拍と境界の揺れが跳ねたタイミングで、

   こっちからもスパイアを“押す”》


 《長くて、数十秒》

 セラの声が、少しだけ真剣になる。

 《その間、そっちは絶対に離さないこと。

   全部終わったら――すぐに離れて、逃げて》


 「了解です」


 ハレルが頷いた瞬間、二重になっていた視界が、すっと元に戻った。

 車内の暗がり。外の白い建物。

 境界は、“まだ”離れたままだ。


 「……今の、セラ?」


 助手席のサキが、少し不安そうにこちらを見る。


 「うん。向こうの作戦も、だいたい聞けた」

 ハレルは笑おうとして、うまくいかない笑顔になった。

 「一度だけ、大きく揺らすつもりみたいです。

   こっちが失敗したら、多分、世界ごとまずい」


 「さらっと怖いこと言わないで」


 サキが小さくため息をついた。

 それでも、目の奥はしっかりしている。


 木崎が、運転席でシートベルトを外した。


 「決まりだな。……行くか」


 「はい」


 ハレルはケースの取っ手を握り直した。


 ◆ ◆ ◆


【現実世界・聖環医療研究センター/ロビー~第七特別病棟】


 夜間受付のロビーは、昼間よりずっと広く見えた。


 自動ドアが静かに開き、冷たい空調の風が頬を撫でる。

 受付カウンターの中には、眠そうな顔の事務員が一人だけ。


 「すみません」


 木崎が、慣れた調子で声をかけた。

 首から提げた記者証を、さりげなく見える位置に出す。


 「長期昏睡患者の家族会の件で、取材の約束をしていた木崎です。

   今日は、事前に伺っていた“実際の病棟の雰囲気”だけ見せていただければと」


 事務員が、端末の画面を確認する。

 木崎から送っておいた、簡単なメールの記録。

 「事前相談」の文字。

 完全な嘘ではないギリギリの線。


 「……ご家族の同席は?」


 「もちろんありません。

   今日はあくまで“環境”の確認だけです」


 木崎が、あくまで穏やかな声で言う。

 「こちらは助手で、メモ役。

   病室の中には勝手に入らないことを約束します」


 受付が少しだけ迷ってから、ナースステーションに内線を入れた。

 確認の短いやり取りのあと、壁のランプがひとつ点く。


 「では、こちらの職員通路から。

   看護師が一人、入り口までご案内します」


 「ありがとうございます」


 木崎は深々と頭を下げた。


 ロビーから奥の廊下へ。

 途中で、目を伏せたまま夜勤の看護師とすれ違う。


 (今は、まだ“普通の病院”だ)


 そう自分に言い聞かせながら、ハレルはケースを抱え直した。


 案内された先に、小さなエレベーターがある。

 「職員専用」と書かれたプレート。

 看護師は三階のボタンを押し、


 「エレベーターを降りた先が、特別病棟フロアです。

   あまり長くは回れませんので」


 とだけ言って、その場に残った。


 扉が閉まり、エレベーターが静かに上昇を始める。


 「……ここから先は、俺たちだけだ」


 木崎が低く言う。

 「三階の廊下を左に曲がって、ナースステーションの手前で右。

   そこに職員用の連絡扉がある。暗証番号は――さっきのメモのやつだ」


 ハレルは頷き、ネックレスにそっと触れた。

 胸の下で、微かな熱が揺れる。


 (次に“繋ぐ”のは、そこで)


 ◆ ◆ ◆


 三階の廊下に出ると、空気が少し変わった。


 患者用のエリアより、さらに静かだ。

 床のワックスの匂いと、遠くの機械音だけが耳に触れる。


 「こっちだ」


 木崎が歩幅を一定に保ちながら進む。

 ナースステーション前をさりげなく通り過ぎ、角を曲がる。


 灰色の金属扉。

 【職員専用】の小さなプレート。

 横にはテンキー付きのロック。


 「……鍵」


 ハレルが小声で言うと、木崎はポケットから折りたたんだ紙片を取り出した。


 「城ヶ峰が“おまけ”でくれたデータだ。

   暗証番号六桁。ここから先は、完全にアウトだぞ」


 「とっくにアウトです」


 ハレルも小さく笑った。


 木崎が数字を打ち込む。

 ピ、と短い電子音。

 ロックが外れる音が、やけに大きく感じられた。


 扉を開けると、細い連絡通路が続いている。

 その先に、もうひとつ扉。


 《第七特別病棟》


 印字されたプレートを、一瞬だけ見てから、二人は中へ入った。


 ◆ ◆ ◆


 特別病棟の廊下は、薄暗かった。


 足元に沿ってフットライトが点いているだけで、

 天井の照明はほとんど落ちている。

 壁の時計が、秒針だけを静かに進めていた。


 ナースステーションは、角の向こう側。

 今は人影が見えない。


 「番号……ここだ」


 木崎が、壁に貼られたベッド配置図を素早く確認する。

 指先が、三カ所をなぞった。


 「七〇三、七〇四、七〇六。

   行方不明者リストの三人分が、このフロアにいる」


 ハレルは、ケースの中の四つの光を思い浮かべた。


 (佐伯蓮。村瀬七海。日下部奏一――

   それから、まだ名前のない一人)


 奪われた一つのコアは、もうここにはない。

 だが、残り四つのうち三つは、“帰る先”がこの病棟にある。


 「まずは、確認だ」


 木崎が囁くように言う。

 「どの状態で、どう繋がれているか。

   それを見てから、ノノたちと決めた“順番”に沿って動く」


 「はい」


 ハレルは、廊下のプレートに目を走らせる。


 《703》

 《佐伯 蓮》


 プレートの文字が、胸の中の琥珀色の光と重なった。


 扉の前で、一度だけ深呼吸をする。


 (ここから、始まる)


 ハレルは、そっとドアノブに手をかけた。


 佐伯蓮。

 村瀬七海。

 日下部奏一。


 ――そして、異世界の塔の下で待っている、観測者たち。


 全員を同じ座標に揃えるための、最初の扉が、静かに開こうとしていた。


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