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異世界殺人―クロスゲート・サスペンス―  作者: 橘靖竜
第五章 器の座標ーコンテイナー・ポントー

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第六十話 炎の挨拶


【異世界・王都外縁/オルタ・スパイア前】


 その姿が、そこに立っていた。


 細身の体格。

 短く整えられた髪。

 王国警備局の制服を基調にした装備――

 ただし、胸のあたりだけが異様に変質している。


 焼け焦げたはずの胸部。

 そこを覆うように、半導体にも宝石にも見える板が埋め込まれていた。

 金属光沢とガラス光沢の中間のような、硬い光。

 その周りには、細かい魔術紋が刻まれ、淡い赤橙の光が脈を打っている。


 顔を上げる。

 瞳は――真っ黒だった。

 白目がない。

 夜の穴をそのままはめ込んだような、感情の温度を感じさせない黒。


 「……カイト副隊長」


 後列の若い隊員が、かすれた声でそう呼んだ。


 リオの指先に、力がこもる。

 アデルもまた、剣の柄を握る手にわずかな震えを覚えていた。


 (違う)


 頭では分かっている。

 深灰の森で、彼は確かに息を引き取った。

 その体は、王都の安置所に運ばれたはずだ。


 だから、これは――


 「……誰だ」


 アデルが、低く問うた。


 男は、ゆっくりと顔を傾けた。

 その仕草だけは、かつて見知った部下のものに似ている。


 ただ、次に紡がれた声が、すべてを否定した。


 「ボク?」


 ひとつの声ではなかった。

 少年の高い声と、青年の声と、女の囁きと、年老いた誰かの低音が、

 薄く重なり合って、最終的にひとつの輪郭を形作っている。


 「ボクは――」


 胸の半導体板が、ちかりと光った。


 「この器を“貸してもらってる”側、かな」


 「カイトでは、ないな」


 アデルの言葉は、断定だった。

 希望を一瞬でも抱けば、次の瞬間に砕かれるのがわかっているからこそ、

 最初から切り捨てるように。


 黒い瞳が、アデルを見た。

 そこに「懐かしさ」も「戸惑い」もない。


 「その名前、ボクたちのではないよ。

   前の持ち主の“ラベル”だね」


 多重の声が、楽しそうに笑う。


 リオの眉がぴくりと動いた。


 「……“ボクたち”?」


 「一つじゃないんだ」


 男――“カイトの器”は、胸元にそっと手を触れた。

 半導体板の下から、かすかに複数の脈動が伝わってくるように見えた。


 「いくつかの声が、ここで混ざってる。

   ボクらとは別に、もっと“古い層”もいる」


 「……カシウスの仕業か」


 アデルの問いに、男はあっさり頷いた。


 「うん。

   “ボス”は、器を拾うのが上手いから」


 胸のプレートが、かすかに明滅する。

 焼け跡の中心から、煙のような魔力が漏れた。


 後ろの隊員が一人、堪えきれずに叫ぶ。


 「ふざけるな……!

 副隊長を、返せ!」


 彼が踏み出そうとした瞬間、アデルの左手が素早く横に伸びた。


 「下がれ!」


 同時に、“ボク”が右手を軽く振る。


 「テスト、開始」


 言葉と同時に、炎が生えた。


 足元の影から、赤い輪が立ち上がる。

 〈炎輪〉――第二階位の面攻撃魔術。だが、密度が違う。


 「〈封縛・座標杭〉――二点!」


 アデルの剣先から、白い杭が二本、地面へ打ち込まれた。

 炎輪の手前で簡易障壁が立ち上がり、衝突した火が四方に散る。


 「くっ……!」


 熱風に押されながらも、隊員たちは踏みとどまった。


 「リオ!」


 「分かってる!」


 リオは、左足を一歩だけ前に出し、右手で空中に紋を描く。


 「〈閃撃・第二級〉――射線確保!」


 白い線が一本、杭と杭の間を抜けて走った。

 狙いは、胸のプレート――ではなく、その少し上、首元の魔力の歪み。


 線が当たる、直前。


 “ボク”の黒い目が、わずかに細くなった。


 「へぇ」


 胸のプレートが、カチリと音を立てて回転する。

 表面の紋様が切り替わり、閃撃の光を“吸い込む”ように沈めた。


 炎が、今度は一点に収束する。

 “ボク”の掌の上で、灼熱の球が生まれた。


 「〈焼痕標ブレイズ・マーカー〉」


 低く呟き、軽く弾く。


 放物線を描いて飛んだ火球は、アデルたちのかなり手前――

 丘の斜面に落ちた。

 爆発はしない。ただ、土と草を黒く焼き焦がし、円形の痕を残す。


 その焦げ跡から、じわりと黒い亀裂が広がり始めた。


 「……座標焼き付けか」


 アデルの声に、ノノの早口がイヤーカフから飛び込んでくる。


 《アデル!

 そこ、“境界のマーキング”されてる!

   今は小さいけど、あとで好きなだけ“開け閉め”される!》


 「分かっている」


 アデルは一歩、前へ。

 「やらせるか」


 剣先が、焦げ跡の手前に突き立てられた。


 「〈封縫・戻り線〉――書き換え!」


 白い線が、黒い焦げ跡の輪郭をなぞる。

 境界に刻まれかけた“印”の上から、別の筆致で上書きするように。

 黒い亀裂が、じり、と後退した。


 “ボク”が、肩をすくめる。


 「うん。やっぱり、いいデータ。

   この“器”を選んだの、正解だった」


 プレートが淡く光り、胸元の魔術紋が再配置される。


 「じゃあ、今日はここまで。

   ボクの役目は、“顔見せ”と“マーキング”。

   次は――もっと人数、増やして来るね」


 リオが食い下がる。

 「待て! お前、カイトの身体を――」


 「カイト?」


 黒い目が、首を傾げる。

 「その名前は、もう“空っぽ”だよ。

   ボクの中に、ひとつも残ってない」


「ボクのことは“代用サロゲート”って呼んでおいて」


 言いながら、胸元の名札を指でつまみ、乱暴に引きちぎった。

 名札は靴元に落ち、風に転がされて草むらへ消える。


 「さよなら、カイト。

   ――またね、観測者キィ・ホルダーたち」


 足元の靄が、一気に濃くなった。

 塔の影と繋がり、黒い“穴”に変わる。


 アデルが踏み込むより早く、“ボク”の姿はそこでぷつりと途切れた。


 静寂だけが残る。


 「……隊員、負傷は」


 アデルが短く問い、すぐ後ろを見る。


 「軽い火傷が一人。自力で動けます!」


 「すぐ治療班と交代しろ。ここは暫定で封鎖する」


 リオは、焦げ跡のあった場所を睨みつけた。

 アデルの上書きで境界の揺れは弱まっている。

 それでも、完全に消えたわけではない。


 (死んだ仲間の体まで、使い捨てにするのか……)


 拳に力が入る。 だが、今は追撃よりも守る座標を整える方が先だ。


 「ノノ」


 アデルがイヤーカフに呼びかける。


 「今の記録、全部送る。分析を急いでくれ」


 《了解。

   “カイトの器”の奪還は――今は後回し。

   まずは、こっちと現実側の“再会ポイント”を死守する》


 リオは頷いた。


 「……ハレル。そっちも急げよ」


 呟きは、風に溶けた。


 丘の上、細い塔が静かに空を刺している。

 その根元で、光と影の“挨拶”は、確かに一つ、終わったばかりだった。


 ◆ ◆ ◆


【現実世界・都心外縁~聖環医療研究センター近く】


 夜の街が、少しずつ低くなっていく。


 オルタリンクタワーのガラスの針は、もうバックミラーの奥だ。

 軽バンは環状道路を外れ、郊外寄りのバイパスへと進路を変えていた。


 運転席で、木崎が淡々と標識を追っている。

 助手席のサキは、膝の上でタブレットを広げ、

 地図アプリを拡大したり縮小したりしていた。


 後部座席。

 ハレルの足元には、黒いケース。


 四つの光が、蓋越しにかすかに脈打っている。


 「……もう一回、整理する」


 木崎が言った。声には、余計な感情を混ぜていない。


 「聖環センター・第七特別病棟。

   夜間の警備は、警備員二名の巡回と、監視カメラの自動監視」


 「巡回ルートは、三十三区割り、でしたよね」


 サキがタブレットを見ながら続ける。


 「一周に十五分。

   第七特別病棟の廊下側を通るのは、二十三時十五分と四十五分」


 「そう」


 木崎は片手でハンドル、

 もう片方でダッシュボード上のメモを軽く叩いた。


 「カメラの死角は、物資搬入口の角、非常階段の踊り場、それから――

   エレベーター前の、ここだ」


 メモに描かれた簡略見取り図に、赤ペンで丸が三つ付いている。


 「この三つを繋げば、第七特別病棟のフロアまで“人目を避けて”行ける。

   逆に言えば、どこかでヘマをすれば、速攻でバレる」


 「役割分担、決めよう」


 ハレルは、ケースに視線を落としたまま言った。


 「運転と外の監視は、サキ」


 「う、うん」


 サキは顔を上げる。


 「私、病院の中には入らない。

   駐車場の端っこに車を停めて、外の様子を見る。

   変な揺れがしたり、警察が来たりしたら、すぐ連絡する」


 「それでいい」


 木崎が頷く。


 「病院の中に入るのは、俺とハレルだけだ」


 「……俺も、行く」


 ハレルはケースの縁に手を置いた。


 「コアを持ってるのは俺だし、鍵も。

   “器”の前まで、運んでいかないと意味がない」


 「分かってる」


 木崎は、少しだけ目を細めた。


 「俺が表向きの“理由”を作る。記者証を出して、

 『長期昏睡患者の家族会の取材』って建前で受付を通す」


 サキが不安そうに口を挟む。

 「そんなの、信じてもらえる?」


「全部は無理だろうが、入口までは通せる」


 木崎は淡々と言う。

 「中に入ったあとが本番だ。

   巡回の時間とカメラの死角を使って、

   研究棟側の廊下から第七特別病棟へ抜ける。

   その間、ハレルは“ただの助手”を演じろ。余計な目を引くな」


 「……はい」


 ハレルは短く返事をした。


 木崎が、ちらりとルームミラー越しに彼を見る。


 「塔の下でやるな、っていう“忠告”もあった。

   塔は塔で別の地獄が開きかねない」


 言いながら、スマホの画面を思い出す。


 差出人不明の短いメッセージ。

 【塔の下ではやるな】――それだけ。


 「だから俺たちは、“病棟側”でやる。

   城ヶ峰からもらった情報も、本来は患者を守るために使うべきだ」


 「……でも、実際に動くのは、ルールから完全に外れてますね」


 サキが苦笑する。


 「合法ギリギリどころか、アウト気味」


 「だからこそ、時間を短くする」


 木崎の声に、少しだけ元刑事の鋭さが混じった。


「病院に入るのは、一回だけ。

   目的は、“三人分の器の確認”と、“コアを近づけたときの反応”を見ること。

   無理に戻すかどうかは、状況を見て判断する」


 「三人を、一度に……?」


 「欲張るな」


 木崎が即座に制した。

 「ノノの話じゃ、“完全安全”なんてコースは存在しない。

   どれだけ条件を揃えても、リスクは残る。

   だったら、最初の一人は、慎重にやるべきだ」


 ハレルは、ケースをそっと撫でた。


 (佐伯蓮。村瀬七海。日下部奏一…… 

  誰から、戻すか)


 名前を口に出しかけて、やめる。

 決めつけるには、まだ情報が足りない。


 「まずは、実際の“器”を見る。

   どんな状態で、どう繋がれているか。

   そこからだ」


 木崎の言葉に、二人は黙って頷いた。


 車窓の外に、白い建物が見え始める。


 緩やかな坂の上に、ガラス張りの外来棟と、その奥に背の高い入院棟。

 夜間でも、いくつかの窓が淡く光っている。

 道路脇の案内板に、青い文字が浮かんだ。


 《聖環医療研究センター Seikan Medical Research Center》


 「……着いた」


 サキが小さく呟く。


 木崎はウインカーを出し、センター横の来客用駐車場へと車を滑り込ませた。


 エンジン音が静かに止まる。


 しばしの沈黙。

 だが、不必要な言葉は誰も口にしなかった。


 「サキ」

 木崎が振り向く。


 「ここから先、外は任せる。

   何かあったら――迷わず、逃げろ。俺たちのことはいい」


 「そんなの、よくないけど……」


 サキは、それでも真っ直ぐな目で頷いた。


 「分かった。ちゃんと見てる」


 ハレルはケースの取っ手を握る。


 四つの光が、病院の方角へ、少しだけ揺れを強めた気がした。


 「行こう」


 木崎がドアを開ける。


 夜風が、白い建物の方から流れてくる。

 聖環医療研究センター・第七特別病棟。


 器たちの眠る場所が、すぐそこにあった。


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