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異世界殺人―クロスゲート・サスペンス―  作者: 橘靖竜
第五章 器の座標ーコンテイナー・ポントー

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第五十八話 戦場の選択

【現実世界・湾岸エリア/旧街路】


 路面のひびには、まだ黒い焦げ跡が残っていた。

 さっきまで“裂け目”があった場所だ。


 軽バンは、そこから一本離れた通りに移動していた。

 街灯の明かりだけが差し込む車内。

 エンジン音は静かだが、空気は重かった。


 後部座席。

 ガラクタに紛れるように置かれた黒いケースの中で、四つの光が弱く脈打っている。


 「……一つ、持っていかれた」


 サキが、膝を抱えたまま呟いた。

 声はかすれている。


 「止められたと思ったのに……。

   あの人、速すぎ……」


 ハレルは助手席で、指先を組んだまま俯いていた。

 胸元のネックレスは、まだ微かに熱を残している。


 「偶然じゃなかった」

 ハレルは、低い声で言った。

 「名札を消されたコアだけ、最初から狙ってた。

   ――あれが、カシウスにとって一番“欲しい”やつなんだと思う」


 「でも、誰のコアかも分かんないんだよ?」

 サキが、唇を噛む。

 「あたしたち、あの中の人のこと、何も……」


 「だから余計に、だ」


 ハレルは窓の外に視線をやった。

 湾岸の暗闇の先、灯りの多い都心の空が、ぼんやりオレンジ色に滲んでいる。


 「名前を消されて、“何にでも使える部品”みたいにされてた。

   レアは、それを真っ先に持ってった。

   ……多分、あれを土台に、何かを作るつもりだ」


 木崎がハンドルを握ったまま、短く舌打ちした。


 「最悪の用途しか思いつかねぇな。

   “人格のない器”ってのは、弄り放題だ」


 しばらく、三人とも黙った。

 ワイパーがフロントガラスを一度だけ撫でる。

 小雨がまた降り始めていた。


 やがて、木崎がぼそりと言う。


 「引き返すって選択肢も、ゼロじゃない」


 「……でも」

 ハレルは、ゆっくり首を振った。

 「ここで止まったら、残りの四つも、きっと全部奪われる。

   それに――あの病院に寝てる人たちは、待ってくれない」


 サキが、ケースの方をちらりと見る。

 青、琥珀、桃色、薄緑。

 四つの光は弱々しいが、同じ方角――都心の方を向いて揺れていた。


 「……行こ」

 サキが小さく言った。

 「怖いけど、ここでウジウジしてるよりマシ。

   どうせ、どっちにしろ怖いなら」


 木崎は、前を向いたまま小さく笑った。


 「決まりだな。

   “戦う場所”は、こっちで選ぶ」


 言いながら、自分で言った言葉に、ふと引っかかる。

 昔、よく聞かされた台詞だ。


 ――戦場を選べ。

 ――相手に決めさせたら、負ける。


 木崎は、その声の主を思い出す前に、アクセルを踏み込んだ。


 軽バンは、湾岸を離れ、オルタリンクタワーの立つ都心へと滑り込んでいった。


 ◆ ◆ ◆


【現実世界・都心/オルタリンクタワー周辺】


 ガラスの塔は、夜の街に縫い付けられた一本の針のように立っていた。

 無数の窓が白く光り、その足元には、まだ残業中のオフィス街の明かりが広がっている。


 軽バンは、タワーから少し離れた立体駐車場の一角に停まっていた。

 上階から見下ろせば、塔の全体が、ちょうど視界に収まる位置だ。


 「ここなら、すぐには見つからないはずだ」


 木崎がエンジンを切り、周囲を一周見回す。

 駐車階には、他に二台ほど車が停まっているだけで、人の気配はない。


 後部ドアを開けると、コンクリートの冷気が流れ込んできた。

 ハレルは黒いケースをそっと持ち上げ、バンの床に置く。


 ロックを外し、蓋を開ける。

 四つのカプセルが、夜の光を受けて淡く光った。


 「……さっきより、強くなってる」


 サキが、小さく息を呑む。


 青、琥珀、桃色、薄緑――

 それぞれの光が、どれも、塔の方角に向かって“引かれる”ように揺れている。


 「塔の中に、“穴”があるんだ」


 ハレルは、胸元のネックレスを握った。

 脈打つ熱が、塔とコアの間に引かれた見えない線を、はっきりと感じさせる。


 「ここから、病院までのどこかで“座標”が重なる。

   ……ノノが言ってた、三つ目のポイントが」


 「病院側が“器”、塔側が“コアの通り道”……だとすると」

 木崎が腕を組む。

 「どっちも押さえに行かなきゃならねぇ。

   戦場を分けるか、同時に叩くか」


 その時だった。


 ――ビリッ。


 ハレルのスマホが、勝手に振動した。

 画面が、一瞬だけ砂嵐のように乱れる。


 「……ノイズ?」


 サキが覗き込む。

 画面の中央に、見慣れないアイコンが浮かんだ。


 【CASE-K/Relay】


 その下で、何かの接続バーが、じりじりと埋まっていく。


 「セラ……?」


 ハレルが小さく呼ぶと、スピーカーから、かすかな砂の擦れるような音がした。


 《……聞こえる? ハレルくん》


 少女の声。

 以前より、少しだけはっきりしている。


 「セラ!」

 サキが身を乗り出した。

 「よかった、生きて……いや、生きてるっていうのか分かんないけど!」


 《“生きてるか”は、後にして》

 どこか苦笑しているような声音。

 《今、境界が少しだけ安定してる。

   現実の塔と、あっちの塔――“オルタ・スパイア”が、ちょうど同じ高さで重なってる》


 「リオたちが、スパイアにいるからか」


 ハレルが呟くと、すぐ別の声が割り込んできた。


 《――もしもし、聞こえる?

   ノノ=シュタイン。王国警備局・解析担当》


 少し早口で、息の混じる声だった。


 「は、初めまして……雲賀ハレルです」

 反射的に名乗ると、スマホの向こうで小さく息を呑む音がした。


 《本当に……繋がったんだ。

   “鍵持ち”同士の回線……!》


 《ノノ、興奮は後だ》

 今度は、落ち着いた女性の声。

 アデルだ。


 《通信猶予は長くない。

   要点だけ伝える》


 セラが間に入るように言った。


 《ここは“橋”だから。

   私が繋いでいられるのは、数分くらい。

   ――今のうちに、“戦場”を決めて》


 「戦場……?」


 《三つの座標》

 ノノが素早く言葉を重ねる。


 《一つ目は、こっちの“オルタ・スパイア”。

   二つ目は、そっちの“オルタリンクタワー”のコア集積層。

   三つ目が――そっちの“器”が置かれてる病院》


 木崎が、ハレルと目を合わせた。

 ハレルは小さく頷く。


 「……聖環せいかん医療研究センター・第七特別病棟。

   原因不明の昏睡患者が三人、保管されてる」


 ノノの声が続く。

 《観測地図上では、その病院の上に“意識ベクトル”が三本突き刺さってる。

   あと一本は、君たちのケースの中――

 そしてもう一本が、さっきレアに持っていかれたやつ》


 ハレルは、透明だったカプセルを思い出す。

 胸の奥が、また鈍く痛んだ。


 「それ……こっちも見た。

   名前を消されてたコアだ」


 《うん。あれはもう、“敵のコマ”として見なきゃいけない》

 ノノの声が、少しだけ低くなる。

 《だから、今ここで考えるのは――残り四つの扱い》


 アデルが言葉を引き継いだ。


 《お前たちは、コアを持って病院へ向かえ。

   私たちはスパイアを押さえる。

   その上で、セラとノノが塔同士を“接続”した瞬間――》


 《三点同期》

 ノノが簡潔にまとめる。


 《スパイア、タワー、病棟。

   その三つを、境界地図の上で一瞬だけ“同じ部屋”として扱う。

   そうすれば、コアと器を――少なくとも三人分は、“自分の体”に戻せる可能性が高い》


 「……三人分?」


 《ユナは特例だ》

 アデルの声が、ほんの少しだけ柔らいだ。


 《彼女の“器”は、こちら側にある。

   まずは、現実に眠らされている三人を戻す。

   その上で、ユナとお前たちの“再会”は、次の段階で考える》


 サキが、ケースの中の青い光――ユナのコアを見つめた。


 「じゃあ、ユナは……」


 《置いていくわけじゃない》

 リオの声が入る。

 少しざらついた、けれど真っ直ぐな声。


 《ユナは、境界そのものに引っかかってる。

   一度に全部やろうとしたら、誰も戻れなくなる。

   だから――順番を決めるんだ》


 「……戦場の形を、こっちで決めるってことか」


 ハレルは、指先に力を込めた。


 「病院を“戦場”にするのは、本当は嫌だ。

   でも、あそこから目を逸らしたら、多分全部奪われる。

   だったら――」


 《だったら、その戦場で勝つしかない》

 アデルの声が、はっきりと言った。


 《こちらは、スパイアを守り切る。

   お前たちは、病棟で“器”を守れ》


 《タワーの中身は、多分ボクらの方が詳しい》

 ノノが続ける。

 《ここから逆算して、いつ、どのタイミングで三点同期を仕掛けるかは、私が計算する。

   その時間に合わせて――》


 「こっちは病棟に潜り込む」

 木崎が、スマホに向かって言った。

 「元刑事の特権ってやつだ。

   警備と搬送ルートの癖は、だいたい想像がつく」


 《……あなたが、木崎透か》

 アデルの声が、わずかに変わる。

 《ハレルの“背中”なら、信じる》


 短く、だが重い承認。

 木崎は思わず苦笑した。


 「そっちの隊長さんにそう言われると、プレッシャーが違うな」


 《プレッシャーは、半分こだ》

 リオが言う。

 《……ハレル。

   どこが戦場でもいい。

   お前が“鍵”を持って来るなら、俺はそこで守る》


 胸の奥の熱と、腕輪の熱が、微かに共鳴した気がした。


 「……うん」

 ハレルは、スマホを握りしめる。

 「必ず行く。

   必ず、全部取り戻す。

   ――だから、お互い死ぬなよ」


 《死なない》

 アデルとリオの声が、ほぼ同時に返ってきた。


 その瞬間――スマホの画面が、急に激しくノイズを噛んだ。


 《……だめ、境界が――》

 セラの声が遠のく。


 【SYNC ERROR】


 赤い文字が一瞬だけ浮かび、画面は通常のホーム画面に戻った。


 「……切れた」


 サキが、小さく息を吐く。


 静かな駐車場。

 オルタリンクタワーは、相変わらず冷たく輝いている。

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