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異世界殺人―クロスゲート・サスペンス―  作者: 橘靖竜
第五章 器の座標ーコンテイナー・ポントー

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第五十七話 丘の塔オルタ・スパイア


【異世界・王都外縁/オルタ・スパイアへの丘道】


 丘を登る風が、草の先を白く倒していた。

 王都の外縁から少し離れた丘陵地帯。

 その先に――一本の細い塔が、空を刺すように立っている。


 《オルタ・スパイア》


 まだ新しい石材の白さと、空間そのものを歪めるような薄い揺らぎ。

 遠目にも、それがただの観測塔じゃないことがわかった。


 アデルは、丘道の上からその塔を見下ろし、低く息を吐く。


 「……あれが、薄点の中心か」


 左腕の腕輪が、微かに痛むように脈を打った。


 隣で、リオが右手首を押さえる。

 「ユナのベクトルも、あの方向を指してる……んだよな」


 「そのはずだ。ノノの計算が正しければな」


 風が一瞬、止まった。

 代わりに、耳元のイヤーカフが震える。


 『――アデル、リオ! 聞こえる!?』


 ノノの声。いつもより、ほんの少しだけ荒い。


 「聞こえている。どうした!」


 アデルが答えると同時に、ノノは早口で続けた。


 『さっき現実側で、大きなベクトルの“抜け”があった!

   コアの一つ――ID-05、名前が消されてたやつ。

   あれが、完全に“向こう側”に持っていかれた』


 リオの喉が、ごくりと鳴る。

 「……ハレルの側から、奪われたってことか」


 『うん。境界地図のベクトルが、一本だけ“特異点”として跳ねた。

   行き先は――現実世界の《オルタリンクタワー》のデータ層。

   で、その波がこっち側にも来てる』


 ノノの指が、コンソールの上で連打される音が伝わってくるようだった。


 『オルタ・スパイア周辺の薄点濃度が、一段階跳ね上がった。

   今まで“候補”だった座標が――

   ほぼ確実に、“次の再会ポイント候補”になった』


 アデルはちらりとスパイアを見やり、短く言う。


 「つまり、こちらの仕事は三つだな」


 『三つ?』


 「一つ、塔の周辺にどれだけ侵食が出ているかを確かめる。

   二つ、その侵食を“座標ごと押し戻せる”か試す。

   三つ――ここを、将来の“橋頭堡”として使えるかどうかを見る」


 『……うん。まとめるとそう。

   向こうは向こうで、器の集積施設にコアを運ぼうとしてる。

   こっちは、この塔を“受け皿”にできるかどうか、早めに確認しなきゃいけない』


 リオは唇を引き結んだ。

 「……ID-05を持っていかれたのは、最悪だ。

   でも、まだ四つ残ってる。

   そのうち三つは、現実側の器に“帰せる”見込みがある」


 『そのための場所合わせだよ。

   “器のある施設”と、《オルタリンクタワー》と、《オルタ・スパイア》。

   この三つを、いちばんマシな形で重ねなきゃいけない』


 アデルが視線だけリオに向ける。


 「怖いか」


 「……怖いよ」


 リオは正直に言った。

 「三人を戻そうとして、全員失敗する未来なんて……見たくない。

   でも、何もしなければ――全部、あいつらに好きにされる」


 『だから、テストするんだよ』

 ノノの声が、少しだけ柔らかくなる。


 『小さな侵食から、“座標ごと押し戻す”実験。

   大規模な再会イベントの前に、ここで一回、試運転』


 「了解した」


 アデルはそう言って、丘道を下り始めた。

 スパイアは、丘を一つ挟んだ向こう側。

 頂が、夕空の色を少しだけ歪めている。


 リオが、その背中を追おうと一歩踏み出した――その瞬間。

 足元の土の感触が、変わった。


 「……アデル、待て」


 リオが声をかける。

 さっきまで土と草だったはずの斜面に、

 コンクリートみたいな灰色の板が、薄く混ざり込んでいる。


 「材質の継ぎ目……か」


 アデルも立ち止まる。

 土、石、割れたタイル。

 異なる質感が、パッチワークみたいに継ぎ接ぎされていた。


 ざり……。


 風の方向とは関係なく、草が逆向きに揺れる。

 塔の影が、地面の形と少しだけズレた。


 『来るよ』


 イヤーカフ越しに、ノノの声が低くなる。


 『小さいやつ。

   でも、“あっちの素材”が混ざってる』


 次の瞬間、斜面の一点が盛り上がった。


 土の下から、鉄筋と石がごちゃまぜに飛び出す。

 それが四本の脚の形になり、

 コンクリートと岩塊と錆びた金属片でできた“何か”が、丘道の上に立ち上がった。


 獣の輪郭。

 だが、目の位置にあるのは割れた信号灯のレンズ、

 背中には、どこかで見たことのある舗装路の白線が貼りついている。


 「……境界現象の固まり、か」


 アデルが剣を抜く。

 左腕輪が、わずかに熱を増した。


 『座標、取るね!』


 ノノの指が走る音。

 足元の地面に、淡い魔術のグリッドが薄く浮かぶ。


 「まずは、止める」


 アデルが滑るように前へ出た。


 コンクリート獣が、こちらに気づいたのか、

 ぎぎ、と金属を擦るような音を立てて突進してくる。


 リオは、一歩だけ前に出て右手を払った。


 「〈捕縛・第三級〉――絡め取れ!」


 光の縄が、空中に走る。

 獣の足元を狙って、幾重にも絡みついた。


 ガシッ。


 前足が、地面に縫い付けられる。

 獣の身体がぐらりと前のめりになった。


 「よし、今だ」

 アデルが低く呟く。


 「〈封縛・座標杭〉――三点!」


 アデルの剣先から白い光が走り、

 獣の周囲の地面に、三本の杭が打ち込まれた。


 カン、カン、カン。


 三角形を描くように配置された杭から、白い輪がじわりと広がる。

 その内側だけ、空気の揺れ方が変わった。


 『座標固定、入った!

   その三角の中は、“こっち側のルール”が強くなる!』


 「なら――」


 リオは、脇腹の鈍い痛みを無視して、もう一度右手を上げた。

 腕輪が、青白い光を放つ。


 「〈閃撃・第二級〉――貫け!」


 空気の中に、細い光の線が一本走った。

 音もなく、真っ直ぐ。


 線は、杭で囲まれた三角形の内部だけ、異様に濃くなる。

 コンクリート獣の胸――舗装路の白線がねじれている部分を、正確に貫いた。


 ギギギ……ッ。


 獣の動きが、一瞬止まる。

 割れたレンズの奥で、別の風景がちらりと映った。


 灰色の廊下。

 蛍光灯。

 ベッドの列――。


 (……現実側の、どこかだ)


 リオが、喉の奥で息を呑む。


 その一瞬の“繋がり”を、アデルが逃さない。


 「〈封縫・戻り線〉――押し出す!」


 杭から伸びた白い線が、獣を通って、空の一点へと収束する。

 音もなく、そこだけ色相が反転したみたいに暗くなった。


 コンクリート獣の身体が、崩れるのではなく、

 “ほどけるように”ほどけていく。

 土、石、鉄筋、塗装。

 それぞれが元の材質単位に分かれ、そのまま風に溶けて消えた。


 残ったのは、杭の光と、斜面の土だけ。


 『……成功。

   対象、完全消失。

   残留座標ノイズ、許容範囲内』


 ノノの声が、ほんの少しだけ明るくなる。


 『今のコンボ、記録した。

   境界現象を“殺す”んじゃなくて、“元の場所に押し戻す”形になってる』


 リオは、右手を下ろしながら肩で息をした。

 「……前に教わった攻撃式、やっとそれなりに形になってきたな」


 アデルがちらりと彼を見て、口角をわずかに上げる。

 「捕縛だけでは、敵を追い返せない。

   だが、座標杭の中でなら――お前の閃撃が、“道”を作る」


 リオは、塔の方角を見た。

 さっき一瞬見えた灰色の廊下のイメージが、まだ頭の隅に残っている。


 「今の向こう側が、“器のある場所”かもしれないのか」


 『断定はできないけど、近い。

   少なくとも、同じ座標系の“隣の部屋”くらい』


 ノノの声が、いつもの分析モードに戻る。

 『さっきの一撃でわかった。

   オルタ・スパイアは、現実側の何かと“ペア”にされ始めてる。

   この塔をちゃんと押さえられれば――

   向こうの器の部屋と、こっちの塔前を、安全な形で“つなぐ”チャンスができる』


 アデルは、スパイアを見上げた。


 塔の周囲には、さっきより濃い靄がうっすらと絡みついている。

 だが、さっきの侵食体ほど露骨ではない。


 「小規模侵食のテストは、ひとまず合格だな」


 「……あとは、本番で失敗しないかどうかだ」


 リオの声に、アデルが短く頷く。


 「三人分のコアを、先に器へ帰す。

   その舞台として、この塔と向こう側の施設を使う。

   そして――ユナとID-05は、絶対にあいつらに渡さない」


 『うん。そのために、座標合わせのシミュレーションを詰める。

   現実側には、セラ経由で条件を送る。

   こっちはこっちで、塔の制御権をぎりぎりまでこじ開ける』


 ノノの声が、少しだけ強くなった。

 『次の大きな“再会”は――

   うちらが決めたタイミングで、うちらのルールでやる』


 リオは、右手首の腕輪を握る。


 (ユナ。

   今度こそ、こっちから“迎えに行く”)


 丘の上の風が、また動き始めた。

 オルタ・スパイアの細い影が、少しだけ長く伸びる。


 侵入してくる影と、押し返そうとする光。

 その両方が、塔の根元で静かにせめぎ合い始めていた。


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