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異世界殺人―クロスゲート・サスペンス―  作者: 橘靖竜
第五章 器の座標ーコンテイナー・ポントー

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第五十六話 侵入する影


【現実世界・湾岸エリア/倉庫街】


 夕暮れが落ちきる直前の時間帯だった。


 港のクレーンが黒い影だけになり、

 オレンジの残光がコンテナの縁を薄く縁取っている。


 木崎の倉庫の前。

 軽バンの後部ドアが開け放たれ、

 その中央に黒い耐衝撃ケースが一つ、置かれていた。


 五つのカプセルが眠るケース。

 その蓋には、さっきハレルが描いた小さな矢印――

 “コアが指している方角”を示す印が、まだくっきり残っている。


 「いいか、確認するぞ」


 木崎が、紙袋を肩にかけ直しながら言った。

 紙袋の中には、コアを隠すための古い書類束や雑誌が詰め込まれている。


 「ケースはバンの荷台のど真ん中。

   その上から、このガラクタで完全に隠す。

   オルタリンクタワーの近くまで行って、“どのくらい引きが強くなるか”だけ測る。

   それ以上、突っ込む気はない」


 「はい」


 ハレルは、ネックレスに一度だけ触れてから頷いた。


 「サキは――」


 「助手席で“見張り”でしょ?」

 サキが先に言った。

 「外の様子を見る係。荷台には近づかない。

   変な感じがしたらすぐ言う。……でしょ?」


 木崎が苦笑する。

 「よくわかってきたな。

   いいか、絶対に一人で降りるなよ」


 「うん」


 三人は段取り通りに動いた。

 ケースを軽バンの荷台に載せ、古い段ボールと紙袋で覆い隠す。

 外見だけ見れば、ただのガラクタ運搬車だ。


 最後に、ハレルがケースに一瞬だけ手を置いた。

 青、琥珀、桃色、薄緑、透明の光が、フタ越しにぼんやりと脈を打つ。


 (……行こう)


 ハレルはドアを閉め、運転席側へ回った。


 エンジンがかかる。

 静かな四気筒の音。

 湾岸道路へ向けて、軽バンはゆっくりと滑り出した。


 ◆ ◆ ◆


 湾岸道路は思ったより空いていた。


 片側二車線の道。

 右側には海とコンテナヤード、左側には倉庫と工場の影が続く。


 助手席のサキが、フロントガラス越しに遠くの街を見つめていた。


 「……あれだよね、多分」


 前方、まだ遠く。

 ビル群の中でひときわ高く、ガラスの塔が夕闇を反射している。


 オルタリンクタワー。

 ニュースで見たままの姿だが、実物はもっと冷たく見えた。


 「派手だな」

 木崎がぼそっと言う。

 「中身は地味にえげつない可能性が高いが」


 ハレルはバックミラー越しに、荷台を一瞬見る。

 もちろん、ガラクタの山しか見えない。


 だが――感じる。


 (向こうを、見てる)


 荷台の中から、矢印がずっと同じ方角を指し続けている感覚。

 ネックレスも、さっきからじりじりと熱を増していた。


 信号が赤に変わる。

 車が停止した瞬間――


 ぱちっ。


 フロントガラスの外の街灯が、一瞬だけ暗くなった。


 「……今、消えた?」


 サキが眉をひそめる。

 すぐに灯りは戻る。

 だが、何かがおかしい。


 次の瞬間。


 軽バンのメーター類が、いっせいに点滅した。


 「え」


 デジタル表示が乱れ、針が震え、

 ラジオからノイズがほとばしる。


 「おいおいおい……」


 木崎が慌ててハンドルを握り直す。

 エンジン音が一瞬、途切れかけ――すぐに持ち直した。


 「車の故障……?」


 サキが言いかけた時だった。


 ――コツ。


 荷台の方から、何かが軽くぶつかる音がした。


 コツ、コツ、と規則的に。

 まるで、内側から“叩いている”みたいに。


 「……今の、聞こえた?」


 「聞こえた」

 ハレルは答えながら、バックミラーを凝視する。

 暗がりの奥、ガラクタの隙間から――白っぽい光が、わずかに漏れていた。


 「まずいな」


 木崎の声が低くなる。


 「ここで騒ぎになると目立つ。

   少しルートを変える」


 信号が青に変わる。

 軽バンは大通りを外れ、一本裏の旧街路へ滑り込んだ。


 工場と倉庫の隙間を縫うような細い道。

 街灯もまばらで、人通りはほとんどない。


 「……さっきより、音、遠くなった」


 サキが小さく言う。

 確かに、荷台からの“叩く音”は弱まっていた。


 代わりに――別の音が近づいていた。


 ざり……ざり……。


 タイヤが路面をこする音とは違う。

 乾いた石を爪で引っかくような、嫌な音。


 「木崎さん、スピード落ちてます」


 「落としてる」


 エンジンは動いているのに、前に進む感覚が薄い。

 まるで、空気そのものが重くなったみたいに。


 ざり……ざり……。


 今度は、左右の壁からも聞こえ始めた。


 「……境界だ」


 ハレルは、ネックレスの熱でわかった。

 海の方で感じた“ズレ”とは違う。

 もっと刺さるような、鋭い揺れ。


 「一回、止める」


 木崎が車を路肩に寄せ、ブレーキを踏んだ。


 エンジンを切ると、周囲の音が急に大きくなる。

 遠くの工場の稼働音。

 海鳥の鳴き声。


 そして――


 ざりっ。


 すぐそばで、何かがコンクリートを引っかく音。


 サキが小さく悲鳴を飲み込んだ。


 フロントガラスの外。

 細い路地の真ん中に、黒い“割れ目”が走っていた。


 アスファルトにできた亀裂。

 にしては、色が濃すぎる。

 光を吸い込むような黒。


 ひびは、じわりと広がっていく。

 縁から、小さな黒い粉のようなものがぽろぽろと落ち――

 その粉が、重力を無視して空中に浮かんだ。


 「降りるな」


 木崎の声が鋭くなる。

 「鍵、持ってるか?」


 「はい」


 ハレルは、ネックレスを握りしめた。

 胸の奥が勝手に早くなる。


 ひびが、音を立てて裂けた。


 バキィッ。


 乾いた音と共に、黒い“縦線”が路面から天井へ伸びる。

 壁も空気も、そこだけ真っ二つに割れたみたいに。


 中は――真っ黒ではなかった。

 薄い霧と、数字みたいな光の粒が舞っている。


 そこから、一歩。


 真っ黒な靴が、路面に降りた。


 「――やっと、こっちに出れた」


 軽い女の声が、夜気を裂いた。


 霧の裂け目から現れたのは、細身の人影だった。

 黒いパーカーに短いスカート。

 首元を隠す黒いスカーフ。

 肩までの髪が、薄い街灯の光を反射する。


 葛原レア。


 あの日、豪華客船《オルフェウス号》で血だらけの事件を起こし、

 そのまま“向こう側”に消えた女。


 「……レア」


 ハレルの喉が、勝手に名前を漏らした。


 レアは、軽バンを見てにやりと笑った。


 「やっほー、雲賀くん。

   久しぶり。元気してた?」


 その言い方だけは、妙に日常的だった。

 けれど、背後の裂け目から漏れる黒い霧が、

 ここが“普通じゃない”ことをはっきりと教えてくる。


 木崎が小さく呟いた。


 「……最悪だな」


 「ふふん、覚えててくれて光栄」

 レアは軽く片手を振った。


 「あの船ぶりかな。途中でヘマしてねぇ。

   でも、そのおかげで、向こうのボスに拾われちゃったんだよね~」


 ボス。

 言わなくても誰のことか、わかってしまう。


 カシウス。


 「でさぁ――」


 レアの視線が、ふっと荷台の方向へ滑った。

 「持ってるでしょ? “あれ”」


 ハレルの胃がきゅっと縮んだ。


 「……渡さない」


 そう言った瞬間、レアの笑顔の温度が一段階下がった。


 「そ。話が早いね。

   でも、こっちも時間ないんだよね――」


 指先が、ひらりと動いた。


 黒いスカーフの端から、細い“糸”が走る。

 とても細いのに、空気を切り裂く音だけがやたらはっきり聞こえた。


 ビュッ。


 次の瞬間、街灯が二本、同時にふっと消えた。

 切断されたみたいに、首の部分から火花を散らしながら。


 「一般人には、“変な停電”くらいにしか見えないから安心して。

   あ、でも――君たちは別ね」


 レアが笑った。


 「君たちだけちゃんと、“本当のもの”が見えるようにしといたから」


 ハレルはドアを開け、外に飛び出した。


 「兄ちゃん!?」


 サキが叫ぶ。

 

 「サキは車から出るな!」

 振り返らないまま叫ぶ。

 「木崎さん、荷台を守ってください!」


 「守るに決まってんだろ!」


 木崎もドアを開け、車体を盾にするように降り立つ。

 腰には、護身用の伸縮警棒。

 元刑事の癖は、簡単には抜けない。


 路地の真ん中。

 レアが、退屈そうに片足でコンクリートを小突いた。


 その足元で、黒いひびがまたひとつ広がる。


 「ねぇ、雲賀くん。

   君たち、自分が今どこに向かってるか、わかってる?」


 「……知ってる」


 ハレルはネックレスを握った。

 「でも、それはお前に教えることじゃない」


 レアは「はぁ」と長くため息をつくふりをした。


 「そういうとこ、好きだよ。

   ボスも、“鍵持ちの子は扱いづらい”って笑ってた。

   だからさ――」


 黒い糸が、再び指先から伸びた。


 今度は地面から。

 アスファルトの影が、蛇のように持ち上がる。


 「ケースごと、さっくり持ってっちゃうね?」


 ◆ ◆ ◆


 影が、車の下へ滑り込んだ。


 木崎がすぐに気づき、警棒で地面を叩きつける。

 金属の音と一緒に、影の一部が弾け飛んだ。


 「ちっ……!」


 レアが舌打ちする。

 「元刑事って、やっぱ反応いいよねぇ」


 だが影は、一つではない。

 車の左右から、後ろから、

 黒い筋が何本も走る。


 車体の下から、

 荷台の隙間から――


 ケースの中で、コアが一斉に強く光った。


 「ハレル!」


 木崎の叫びと同時に、後部ドアが内側から弾けた。

 ガラクタの中から、青白い光が飛び出してくる。


 「……っ!」


 ハレルは反射的に手を伸ばした。


 ケースそのものが跳ねたわけじゃない。

 中のカプセルの一つ――


 透明に近い白のカプセルが、ふわりと宙に浮かび上がっていた。


 ラベルが塗りつぶされた、名前のないコア。


 それは、荷台から“光だけ”抜け出したみたいに、

 影に引かれて路地の中央へ滑っていく。


 「渡すな!」


 ハレルが飛び出す。

 ネックレスが熱を持ち、

 目の前の空気が一瞬だけ厚くなった。


 指先が、コアに触れかける――


 その前に、黒い糸が横から走った。


 ビュッ。


 糸がカプセルを巻き取り、レアの手元に引き寄せた。


 「――一つでいいや」


 レアの手のひらに、白い光が収まる。

 中の光が、苦しそうに揺れた。


 「やめろ!」


 ハレルの怒鳴り声が路地に響く。


 レアは、ほんの一瞬だけ真面目な顔をした。


 「ごめんね。

   これだけは、こっちでも“どうしても欲しい”んだ」


 「そのコアは――!」


 何者かわからない。

 だからこそ、一番危険だ。


 「返せ!」


 ハレルが一歩踏み込もうとした瞬間――

 足元から、影がせり上がった。


 黒い杭のような影が、膝の高さまで一気に伸びる。

 バランスを崩し、ハレルの体が前のめりになった。


 「ハレル!」


 木崎が駆け寄る。

 だが、その一瞬の遅れが致命的だった。


 レアの背後の裂け目が、再び開き始める。


 「今日はね、“挨拶”だけ。 

  次は、もっと大事なものをもらいに行くから」


 レアは白いカプセルを胸に当て、

 軽く頭を下げるような仕草をした。


 「じゃあね、雲賀くん。

   塔の下で、また会おうね」


 黒い霧が、一気に噴き上がる。


 路地の空気が一瞬、真空になったみたいに音を失い――

 次の瞬間、ひびも霧も、人影も、跡形もなく消えた。


 ◆ ◆ ◆


 沈黙が落ちた。


 遠くから、工場の機械音が戻ってくる。

 海鳥の鳴き声も戻ってくる。


 ただ、路面に残った薄い焦げ跡だけが、

 さっきまでの“何か”を証明していた。


 「……くそっ!」


 木崎が地面を殴った。

 「あの速さ……完全に“現実対応”してやがる」


 ハレルは、立ち上がりながら荷台を振り返る。


 ケースはまだそこにある。

 ガラクタも崩れてはいるが、大きな損壊はない。


 ハレルは震える指でロックを外し、フタを開けた。


 青、琥珀、桃色、薄緑――四つの光。

 そして。


 「……一つ、ない」


 透明に近い白のコア。

 名前を消されたID-05だけが、完全に消えていた。


 サキが、蒼白な顔で車から降りてくる。


 「今の……女の人……

   船に、いた……」


 「大丈夫か、サキ」

 木崎が息を整えながら支える。


 「う、うん……怖かったけど……

   でも、ちゃんと見えた。あの人」


 ハレルは、ケースの縁を強く握りしめた。


 (名前もわからないコアを――

   真っ先に狙ってきた)


 偶然じゃない。

 明確に“それ”を狙っていた。


 「……追いきれなかった」

 ハレルは、歯を食いしばりながら言う。

 「でも、どこに行くかは――わかる」


 オルタリンクタワー。

 そして、その地下に広がるデータ層。


 「カシウスは、あのタワーを“器の座標”にする気だ。

   ――コアを使って」


 ネックレスが、胸の下で脈を打つ。

 まだ四つ、残っている。

 だが、一つ失われた今、

 その重さは何倍にも増していた。


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