第五十五話 引かれる光
【現実世界・木崎の倉庫】
ケースの中の光が――昨日よりも、落ち着きなく揺れていた。
夕方。
シャッターは半分だけ閉められ、細い光の帯が床を斜めに横切っている。
黒い耐衝撃ケースは、テーブルの中央。
その周りを、雲賀ハレルとサキ、木崎が取り囲んでいた。
「……なぁ、やっぱりおかしいよな、これ」
ハレルは、昨夜貼ったままの簡易温度シールを指さした。
安物のステッカー型サーモセンサー。
色の変化で温度差がわかるやつだ。
ケースの四辺に貼ったシールのうち――
“ひとつの面”だけ、明らかに色が濃い。
「さっき場所を変えた時も、そうだった」
木崎が腕を組む。
「ケースを動かして、向きも変えたのに……
“こっち側”だけ、ずっと一番温度が高い」
サキが、そっと角度を変えてケースを押す。
きぃ、とテーブルが鳴った。
「じゃあ、倉庫のこの辺が暑いとかじゃなくて……」
「ケースの“中身”が、外の方角に反応してるってことだな」
ハレルは唾を飲み込んだ。
(方角を……“指してる”)
ケースのフタをそっと開ける。
五つのカプセルが、静かに光っていた。
青、琥珀、桃色、薄緑、ほとんど透明な白。
さっきよりも、光の“偏り”が強い気がする。
「……触ってみていい?」
「マネはするなよ、サキ」
木崎が先に釘を刺す。
「お前まで妙なもんを拾ったら、俺の胃が死ぬ」
「わかってるよ」
ハレルは、青白い光――《一ノ瀬ユナ》のラベルが貼られたカプセルには触れないよう、
代わりに、薄緑のカプセルへそっと指先を近づけた。
――じんわり。
ほんのわずかに、手のひらの片側だけが温かくなる。
まるで、見えない“風”が、一方向から吹きつけているみたいに。
「どっち側が、強い?」
木崎の問いに、ハレルは感覚を確かめる。
「……こっち。倉庫の入口の方向じゃなくて――
もっと、街の方。海と逆側」
その答えに、サキも同じ向きを見る。
シャッターの隙間から見えるわけじゃない。
でも、何となく――その向こうに、高いビル群の影を想像した。
「別の場所に持ってっても、同じ向き?」
「やってみるか」
木崎の提案で、三人はケースを慎重に閉じ、
倉庫の反対側の壁際へ移動した。
場所も、テーブルの向きも変わる。
だが、フタを開けて温度シールを見ると――
「……やっぱり同じ面だけ、色が濃い」
木崎が低く息を吐いた。
「このケースを中心にして、
“世界のこっち方向”に、何かがあるってことだ」
ハレルはケースの縁に、油性ペンで小さな矢印を描いた。
“熱が強い側”を示す印だ。
「コンパス、みたいだね……」
サキが呟く。
「でも、北とかじゃなくて、どこかの“場所”を指してるコンパス」
「コア自身が、“行きたがってる方向”だろうな」
木崎が机の端に簡略地図を広げる。
周辺の地図。倉庫の位置に印。
そこから、さっき描いた矢印の方向に線を引いてみせた。
線は、海から離れる方向へ伸びていく。
旧市街をかすめ、繁華街をかすめ――
「……ここらへん、ですね」
サキが地図を覗き込み、指を止めた場所を押さえる。
湾岸線から少し内陸に入った、再開発エリア。
《新環状ビル群》とメモ書きされた一帯。
その中でも、ひときわ太い丸で囲まれた区画がある。
《中央複合棟・オルタリンクタワー》
「前にニュースで見た。
ほら、でっかいガラス張りのビル。
商業施設とオフィスと、なんか研究フロアも入ってるっていう」
サキの説明に、ハレルもぼんやりと映像を思い出す。
真新しいガラスの塔。
夜は全面が光のスクリーンみたいになって、派手なCMを流していた。
木崎が口の端を歪める。
「よりによって、あそこかよ……」
「知ってるんですか?」
「ああ。あのビルの地下フロアの一部――
クロスゲート系列の“データセンター”が入ってるって話だ」
ハレルの背筋に、冷たいものが走った。
(また、クロスゲート)
「聖環センターの第七特別病棟。
あそこは昏睡患者の“器”が眠ってる場所。
こっちのオルタリンクタワーの地下は、
“コア側のデータ”を扱ってた可能性が高い」
木崎は、ケースの方を再び見やる。
「コアが指してるのは、
病院じゃなくて――“そっち”の方かもしれないな」
ハレルは、ネックレスへ無意識に手を伸ばした。
冷たい金属が、ほんの少しだけ熱を返す。
(器の病院じゃなくて、
意識を抜いた側の拠点……?)
「……行きたがってる、ってことはさ」
サキが、慎重に言葉を選びながら口を開いた。
「この人たちは、そこで“元に戻れる”って信じてるのか、
それとも……そこに“何か置いてきたから”戻りたいのか」
答えは出ない。
けれど、そのどちらにしても――放ってはおけない。
木崎が、地図にもう一本線を引いた。
倉庫から聖環センターへ伸びる線。
そして、倉庫からオルタリンクタワーへ伸びる線。
「……三角形だな」
「三角形?」
「器が眠ってる病院。
意識が抜かれた可能性が高いタワー。
そして、ここ――コアを預かってる倉庫」
木崎は、三点をぐるりと指でなぞる。
「向こう側の連中も、“この三角形”をどう使うか狙ってくるはずだ。
先に動くか、後手に回るかで、被害は大きく変わる」
ハレルはケースを見下ろし、静かに呟いた。
「……コアが指してるなら、
こっちがその“理由”を確かめないといけない」
その言葉に、五つの光がわずかに揺れた。
まるで、合図のように。
◆ ◆ ◆
【異世界・王都/解析室】
魔術スクリーンの上で、世界地図がゆっくり回転していた。
ノノ=シュタインは片膝を椅子の上に乗せ、
頬に手を当てたまま画面を睨んでいる。
「……ユナのベクトル、また伸びてる」
細い線が、一つの点からまっすぐ伸びていた。
線の根元には、《Y-CORE》の小さなタグ。
その先には、境界薄点のマーカーが複数散っている。
「最近濃くなり始めた薄点が三つ。
そのうち二つは、ユナのベクトルと“角度が合わない”。
一つだけ……クセは強いけど、限りなく同じ方向」
ノノはその一点を拡大した。
王都から少し離れた丘陵地帯。
そこに建ち始めたばかりの、細い塔のアイコン。
《王都外縁観測塔・オルタ・スパイア(仮運用)》
「また、タイミング悪く“新設観測塔”なんて建てるから……」
ノノがぼやきながら、塔の地下構造図を呼び出す。
魔術式でざっくりと再現された断面図。
地上に細い塔、地下に扇状に広がる魔術陣室と、小さな祭壇。
「ここ、“普通の観測塔”じゃない。
地下に、古い祭壇構造がくっついてる。
わざとそこに建てたとしか思えないんだけど」
扉が開いて、アデルとリオが入ってきた。
「ノノ。進捗は?」
アデルの問いに、ノノはスクリーンを指さす。
「一ノ瀬ユナのコアの指向性――
さっきから、オルタ・スパイア方面に“引っ張られっぱなし”。
さっきなんて、座標の誤差がほぼゼロになった」
リオの右手首が、じんと熱を持つ。
腕輪が、遠くの何かと共鳴するように。
「……次の“薄点”は、そこか」
「可能性は高い」
ノノは真剣な顔で頷く。
「コアが行きたがってる方向と、
世界側が勝手に薄くなってる方向が一致してる。
この状態が続くと――
“何もしなくてもあそこに集まろうとする”」
アデルが腕を組んだ。
「そちらにユナの器を運ぶわけにはいかない。
だが、現実側の器の位置は固定されている」
「そう。だから――」
ノノは、空中に三つの点を描いた。
《CORE》《BODY》《TOWER》。
「どこかで“座標を折り曲げる”必要がある。
現実側の病院と、
異世界側の観測塔と、
ユナのコアの向き。
それを繋ぐ一本線を、誰がどういう形で引くか」
リオは唇を噛む。
「……向こうのハレルたちも、
きっと同じ方向を感じてるはずだ」
アデルが、ちらりと画面の別ウィンドウに目をやる。
そこには、レポートのタイトルだけが表示されていた。
《現実世界側観測ログ:CASE-K(セラ中継)》
セラを通じて届いた、断片的な情報。
赤錆埠頭。昏睡患者の病棟。
そして、湾岸再開発エリアの新タワービル。
「向こうの“塔”も、
こちらのスパイアと似た構造をしているらしい」
アデルが言う。
「地下にデータ層。
上に観測層。
――クロスゲートが好みそうな、縦長の構造だ」
リオの胸がざわついた。
(塔と塔。
器とコア。
それを繋ぐ線上に――“誰か”がいる)
◆ ◆ ◆
【???】
白い霧の向こうに、幾何学模様の床が広がっていた。
空なのか、天井なのかもわからない灰色。
そこに、薄く数字と記号だけが降り注いでいる。
カシウスは、静かにそれを見上げていた。
黒いローブではない。
ここでは、輪郭すら曖昧な影に過ぎない。
「……やはり、戻ろうとするか」
指を弾く。
空中に、複数の“光点”が浮かんだ。
五つのコア。
それぞれから延びる細い線。
一ノ瀬ユナの線は、とりわけ強く、まっすぐだ。
その先には、二つの“塔”のシルエットが重なっている。
片方は、ガラスと鉄骨でできた、現実世界の塔。
もう片方は、魔術陣と祭壇を抱えた、異世界の塔。
「コアは器を求める。
器は、コアが戻るタイミングを待っている。
境界は、それを繋ぐために薄くなる」
カシウスはゆっくりと手を伸ばし、
三つのシルエットを一本の線でなぞった。
「それなら――
“そこ”を舞台に選ぶのが、最も効率が良い」
影の奥で、誰かが笑ったような気配がした。
「観測者たちが、
自分の意思でそこに集まってくるなら……
わざわざ誘う手間も省ける」
カシウスは指を止め、低く呟く。
「さあ、“器の座標”へ集うがいい。
鍵とコアと器――
全部揃った場こそが、本当の実験場だ」
霧が揺れて、光点が一斉に震えた。
◆ ◆ ◆
【現実世界・木崎の倉庫】
地図の上で、サインペンの線が止まった。
「……オルタリンクタワーの地下。
聖環センターの第七特別病棟。
それから、この倉庫」
木崎は、三つの点を丸で囲み、
それらを結ぶ線に小さく印をつけた。
「向こう側の“塔”と、
こっち側の“塔”が、
同じ線上に並ぶとしたら――
そこが“器の座標候補”だ」
「候補、ってことは……」
サキが顔を上げる。
「まだ、決まりじゃない?」
「まだだ。
コアの引きが、どこまで強くなるか次第だな」
ハレルは、ケースの中の光を見つめた。
ユナの青白い光。
佐伯、村瀬、日下部。
名前の消された、最後の一つ。
五つの光は、相変わらず静かに脈を打っている。
だが、その“静かさ”の奥で――
どこかへ向かおうとする力が、確かに強くなり始めていた。
(こいつらが指している場所。
それが、次の戦場になる)
ハレルはネックレスを握り、自分に言い聞かせる。
「……指してるなら、こっちが先に行く。
追い込まれる前に、“座標”を抑えに行く」
木崎が、短く笑った。
「やっと、腹が決まった顔をしてきたな」
サキは、五つのカプセルに向かって、そっと言った。
「ちゃんと連れて行くから。
変なところじゃなくて、ちゃんと“帰れる場所”に」
光が、ほんのわずかに強くなる。
倉庫の中で、
目には見えない線が――静かに一本、引かれ始めていた。
その線の先にあるのは、
まだ名前も知らない“次の場所”。
器とコアと鍵が、
すべて揃おうとする座標だった。




