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異世界殺人―クロスゲート・サスペンス―  作者: 橘靖竜
第四章 境界地図 ーオブザベーションマップー

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第四十八話 帰還

【現実世界・旧本社地下/B1保守区画】


 梯子を登り切った先は、配管だらけの狭い機械室だった。

 壁はコンクリのはずなのに、ところどころに黒い石の筋が混じっている。

 まるで“縫い糸”。


 木崎がケースを抱えたまま、耳を澄ませた。

 遠くの足音。無線。ライトが金属を舐める気配。


 「……上はまだ探してる。ここで息は整えるな、動きながら整えろ」


 ハレルは頷き、サキの肩を軽く押した。

 「大丈夫。足元だけ見て」


 サキは強くうなずく。

 「うん。私、ちゃんとついてく」


 木崎が配管の陰に手を伸ばし、錆びた非常扉を見つける。

 鍵は――掛かっていない。代わりに、扉の縁が“少しだけ冷たい”。


 ハレルのネックレスが、微かに脈を打った。

 「……この扉、通れる」


 「通れるって何だよ」

 木崎は小声でツッコミながら、扉を押した。


 ギ……。


 外へ続く細い通路。

 風が吹き抜け、鉄と潮の匂いが戻ってくる。現実の匂いだ。


 だが、安心は一瞬だった。

 通路の床、黒い石の筋が“引き潮”みたいに細くなりながらも、まだ残っている。


 「……まだ繋がってる」

 ハレルが呟いた瞬間、背後で誰かの声がした。


 「そっちだ!」

 ライトが跳ね、白い円が通路を走る。


 木崎が歯を食いしばる。

 「走る。右、排水路の影に入れ!」


 三人は身を低くして走った。

 水たまりを踏む音が大きすぎて心臓に悪い。

 サキの呼吸が乱れかけるたび、ハレルが手を伸ばして背中を支える。


 「サキ、目の前だけ」


 「うん……っ」


 排水路の影へ滑り込んだ瞬間、ライトが頭上を横切った。

 木崎はケースを抱えたまま息を止め、三人は“影”になった。


 足音が過ぎる。無線が遠ざかる。


 ようやく、木崎が小さく吐いた。

 「……抜けるぞ。海側に出て、回り込んで帰る」


 ハレルはネックレスを握りしめる。

 熱は残っている。けれど、さっきの“引き戻す熱”じゃない。

 ――今は、守れと言われている気がした。


 ◆ ◆ ◆


【現実世界・海沿い/工業地帯】


 潮風が強い。街灯の光が波打って見える。

 それでも、地上の空気は地下よりずっと軽かった。


 木崎が歩きながらケースを確認する。

 「割れてない。音もしない。……中、固定されてるな」


 ハレルはうなずく。

 「“持ち運び”を想定してた……最初から」


 サキが小さく笑って、すぐに顔を引き締めた。

 「……ねえ。家に帰ったら、開けるの?」


 「開ける。でも――触り方は慎重に」

 ハレルは言いながら、自分の声が少し震えているのに気づく。


 木崎が肩越しに言う。

 「帰ってからだ。ここじゃ光が目立つ。あと、今夜は“見られる”」


 「見られる?」


 「この辺り、警備カメラ多い。……それに」


 木崎の視線が、路肩の“黒い筋”に落ちた。

 アスファルトの割れ目に、黒い石が一瞬だけ混じっている。

 次の瞬間には、ただの亀裂に戻った。


 「境界が、追いかけてきてる」


 ハレルは答えず、歩幅を少しだけ速めた。


 ◆ ◆ ◆


【異世界・ミラージュ・ホロウ/外郭通路】


 心臓室から離れた途端、空気の重さが少しだけ抜けた。

 それでも、ミラージュ・ホロウは“島そのもの”が歪んでいる。


 リオは壁に手をつき、短く息を吐いた。

 「……まだ痛むな」


 アデルが横目で見て、ぶっきらぼうに言う。

 「黙って歩け。倒れたら引きずる」


 「それは遠慮したい」

 リオは苦く笑い、呼吸を整えた。


 イヤーカフが淡く光る。ノノの声。

 『二人とも生きてる!? 心臓室、閉鎖ログが出た! 黒霧の密度が……やば……!』


 「生きている」アデルが短く返す。

 『よ、よかったぁ……! じゃなくて! いま島の外縁、潮流が乱れてる!

  小艇ルート、霧で遠回り! 座標補正は腕輪で——』


 「わかった。指示を続けろ、ノノ」


 『うん! えっとね、脳フル回転させるから黙って聞いて!』


 ノノらしい早口に、リオが小さく息を吐く。

 「……助かる」


 「今は感謝してる場合じゃない」

 アデルは言いながらも、歩調を落としてリオに合わせた。


 通路の角を曲がると、遠くで黒い布が擦れる音がした。

 “追ってくる”気配ではない。

 ただ、まだ近くにいる。――この島に、黒が残っている。


 アデルが低く言う。

 「……撤退を急ぐ。次に備える」


 リオはうなずく。

 「ハレル側が回収してる。……なら、俺たちは帰って、解析だ」


 ◆ ◆ ◆


【現実世界・ハレル宅/深夜】


 玄関の鍵を閉めた瞬間、全身の力が抜けそうになった。


 サキが靴を脱ぎながら、やっと息を吐く。

 「……帰ってこれた……」


 木崎がケースをテーブルへ置いた。

 「開けるのは、落ち着いてから——」 


「今だ」ハレルが言った。

 「“今のうち”じゃないと、次が来る」


 ネックレスが、微かに熱い。

 テーブルの上のケースも、同じ温度を持っている気がした。


 木崎がうなずく。

 「……じゃあ開ける。手袋」


 サキが台所からゴム手袋を持ってくる。

 「これでいい?」


 「十分」


 木崎が留め具を外した。

 パチ、パチ、と乾いた音。


 蓋の内側は黒い緩衝材。

 そして、五つ。


 小さなカプセル――結晶みたいに硬い透明体の中に、淡い光が“眠っている”。

 それぞれの表面に、細い刻印が走っていた。数字。記号。波形。


 サキが声を落とした。

 「……これが……行方不明の人たち……?」


 木崎が目を細める。

 「“意識信号”を固定してる媒体……ってやつだな。

 物理で残ってるのが厄介だ」


 ハレルは、真ん中の一つに目を奪われた。

 他より、反応が強い。


 ネックレスの熱が、そのカプセルに近づくと増す。


 (ユナさん……)


 その瞬間、スマホが一度だけ震えた。

 画面は真っ黒のまま、短いノイズが走る。


 《……回……収……?》

 声は、言葉になり切らない。

 でも――確かに“向こう”の必死さが混じっていた。


 ハレルは息を止めて呟く。

 「……リオ。アデル。生きてるんだな」


 次の瞬間、沈黙。

 境界は、また不安定に戻った。


 木崎がケースの中を見つめたまま言う。

 「回収はできた。……でも、これで終わりじゃない。むしろ始まった顔してるな」


 ハレルはうなずいた。

 「……次だ」


 テーブルの上で、五つのカプセルが静かに光っていた。

 そのうち一つだけが、ほんのわずかに“偏って”見えた。

 まるで、どこかを指し示すみたいに。


 次の座標が、もう――こちらを呼んでいる。


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