表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界殺人―クロスゲート・サスペンス―  作者: 橘靖竜
第四章 境界地図 ーオブザベーションマップー

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

40/93

第四十話 ミラージュ・ホロウ


 上陸してすぐ、リオは“音”の違いに気づいた。

 波のはずなのに、遠い。風のはずなのに、届かない。

 島の中だけ、世界が分厚い布で包まれているみたいだった。


 黒い岩肌を伝うように進む。靴底が濡れた苔を踏み、粘る。

 アデルの左腕の腕輪が、ときどき淡く脈打った。 そのたび、周囲の霧がわずかに退く――気がする。


 「……方向は合ってる」

 アデルが低く言い、地面に残った痕を指でなぞった。

 泥に刻まれた足跡。軍靴の跡が三つ、重なり合って続いている。


 「カシウスの部下だな」

 「……あいつら、先に来てる」

 リオは脇腹を押さえたまま、息を整える。

 痛みはまだ鈍く残っていたが、歩ける。歩かなきゃいけない。

 

 さらに数歩。

 今度は、細い靴跡が斜めに走っていた。軽い。小柄な人間の足。

 リオの視線がぴくりと動く。


 「……レアもいる」

 アデルの口元が固くなる。

 「急ぐ。ただし、走るな。ここは焦った者から飲まれる」


 飲まれる――その意味が、すぐに分かった。


 ◆ ◆ ◆


 森へ入った瞬間、匂いが変わった。

 潮の匂いが途切れ、代わりに“乾いた埃”みたいな匂いが鼻を刺す。

 ここは海の島なのに、まるで長い廃墟の中みたいだ。


 木々の根元に、ありえないものが転がっていた。

 潰れた透明の瓶。軽い素材。

 表面には、見慣れた記号の並び――現実世界の文字にしか見えない。


 リオがしゃがみ込み、瓶のラベルを指でこする。

 「……これ、日本の字だ」

 

 アデルが眉を寄せる。

 「……そちらの世界の物だな。」


 読めば読むほど、胸の奥がざらつく。

 異世界の島に、現実のゴミが“当たり前みたいに”ある。

 境界が薄い、ってこういうことか――。


 次の瞬間。

 木陰がゆらりと揺れて、人の形になった。


 「……っ!」


 霧の塊が、首から上だけぼんやりと切り取られた影になる。

 顔は無いのに、叫び声だけが“耳の内側”で鳴った。


 《……助けて……》

 《……帰りたい……》

 《……消える……》


 リオは思わず一歩引く。

 アデルが剣を抜いた。刃が霧を切っても、影は裂けない。


 「観測亡霊……!」

 アデルの声に苦さが混じる。

 「ここまで濃いとは……!」


 影が一つ、ふらりと近づいた。

 触れられたら危ない。

 触れられた瞬間、体の“熱”が持っていかれる――そんな感覚が肌に張りつく。

 

 リオが短く息を吐く。

 「アデル、捕縛で止められるか」

 「物理拘束は効かない。ただ――“形”を固定する術なら通る」


 アデルが片手を開き、空中に紋を描く。

 銀の線が三重に重なり、輪になる。


 「〈拘束式・鎖環〉――展開!」


 霧の影に光の輪が絡みつき、一瞬だけ動きが止まった。

 だが次の影が、別方向から滑るように迫る。


 リオが腕輪に触れ、低く言う。

 「じゃあ、こっちは……“弾く”」


 腕輪の欠片が青白く光り、霧の粒がぱっと散った。

 影が“記録の粒”にほどけ、空に溶けていく。


 残りも同じだ。

 アデルが固定し、リオが弾く。

 連携は短く、速い。言葉はいらなかった。


 最後の影が消える直前――

 かすれた声が、はっきりと形を持った。


 《涼……?》


 リオの背中が凍りつく。

 その声は、確かに。


 「……ユナ?」

 思わず前へ出かけて、アデルの手が肩を掴んだ。


 「追うな、リオ。今のは“声の残像”かもしれない」


 「……わかってる。でも……」

 「でも、行く。そうだろ」


 アデルの目が鋭く細まる。

 「だからこそ、罠に落ちるな」


 霧の奥で、何かが笑った気がした。

 気のせいじゃない。その“気配”が残る。


 ◆ ◆ ◆


 森を抜けると、地形が急に変わった。

 岩場が割れ、谷が口を開けている。

 谷の底から霧が湧き上がり、逆に“吸い込まれている”ようにも見える。


 ここが――ホロウ。

 ミラージュ・ホロウ。


 谷の縁に、異質な建造物があった。

 半分は古い石の壁。半分は滑らかな灰色の壁。

 素材が違うのに、同じ建物として繋がっている。

 石と“コンクリート”が、継ぎ目で溶け合っていた。


 リオの腕輪が、熱を持つ。

 アデルの腕輪も同時に光り、空気が一瞬だけ薄くなる。


 「……入口だ」

 アデルが呟く。

 扉は鉄。錆びているのに、壊れていない。

 鍵穴の横に、見慣れない小さな板――数字の並び。現実の装置だ。


 リオが唇を噛む。

 「ここ、完全に混ざってる……」


 「だから封印された」アデルが言う。

 「そして、誰かがまた開けようとしている」


 扉の前の地面に、新しい跡があった。

 軍靴が三つ。

 そして、細い靴跡が踊っている。


 アデルの声が低くなる。

 「先に入ったな」


 リオは痛む脇腹を無視して、扉に手をかけた。

 冷たいはずの鉄が、妙にぬるい。


 その瞬間――


 カタン、と内側で何かが鳴った。

 扉の隙間から、白い光が細く漏れる。蛍光灯の色。

 そして、かすかな振動音。スマホが鳴る時の、あの短い震え。


 《……涼……》


 今度は、残像じゃない。

 霧越しじゃない。

 扉の向こうから、はっきり聞こえた。


 リオの喉が鳴いた。

 「……ユナ」


 アデルが剣を構え直す。

 「入るぞ。背後も警戒しろ。レアは、ここで待つタイプじゃない」


 扉が、ゆっくりと開く。

 谷の霧が吸い込まれるように内側へ流れ、

 “現実の匂い”と“異世界の冷気”が、同時に二人の顔を撫でた。


 ミラージュ・ホロウの内部は、静かに明るかった。

 逃げ道を消すみたいな、無機質な明るさで。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ