第四話 歪んだ記録
冷たい石の床が背中に当たっていた。
金属の扉が軋み、遠くで鍵のかかる音がした。
――ここは、牢だ。
薄暗い部屋の中、鉄格子の隙間から細い光が差し込んでいる。
空気は湿っており、鼻を突く鉄の匂いがした。
目を開けると、両手には手枷。足にも鎖がつけられている。
「……ここまで、やるか。」
頭がまだ重い。
さっきまでの出来事が、夢のように断片的に浮かんでは消えた。
セラの言葉――「あなたは記録に残る」。
それが耳の奥にまだ残っていた。
金属音が響く。 扉が開き、二人の男が入ってきた。
黒い軍服に金の刺繍、肩には王国の紋章。
「立て、リオの仲間。」
「……俺は仲間じゃない。」
「嘘をつくな。名を名乗れ。」
「雲賀ハレル。」
「どこの所属だ。」
「……俺は、この世界の人間じゃない。」
「この世界ではない、だと?」
男の一人が鼻で笑う。
「転移者か。面白いことを言う。」
その言葉が、ハレルの頭の奥で反響した。
――転移者。
まるで、それが“分類名”のように聞こえた。
この世界には、俺のような存在が他にもいるのか……?
もう一人の男が机の上に何かを投げた。
それは、焦げた銀のネックレスだった。
「これは貴様の物か?」
ハレルの心臓が跳ねる。
「……どうして、それを……」
「現場に落ちていた。」
――ネックレスが、現場に?
確かに、捕まる直前まで首にかけていた。
なぜ、それがそこにある?
「リオはどこにいる?」
「知らない。」
「白を切るか。お前たちが王を脅かす“魔導反逆組織”の一員であることは分かっている。」
ハレルの頭の中で、涼――リオの顔が浮かぶ。
彼がそんなことをするはずがない。だが、この世界の彼は……。
「……彼は、そんな人じゃない。」
言葉が漏れた瞬間、兵士の一人が机を叩いた。
「ならば証明してみろ。“観測記録”に残るお前の行動が、罪かどうかを!」
観測記録――その言葉にハレルの背筋が冷たくなった。
数時間後。
牢の扉が静かに開いた。
入ってきたのは、一人の女性。
白い外套を纏い、長い髪を三つ編みにしている。
金属の瞳が光を反射し、無表情にハレルを見つめた。
「あなたが、転移者?」
声は低く澄んでいるが、冷たい刃のようでもあった。
「私はアデル。王国警備局の“記録官”。 あなたの“観測ログ”を確認するために来た。」
「ログ……?」
「この世界で起こった行動は、すべて記録されている。
嘘をつけば、映像として再生される。」
アデルが差し出した金属板が淡く光る。
その表面には、ぼんやりと映像が浮かび上がった。
――自分が衛兵に捕まる直前の場面。
確かに見覚えのある光景だ。だが、そこに映る自分は――違っていた。
黒いフードを被り、手には血のついた短剣。
倒れた男の傍らで何かを呟いている。
「なっ……これは、違う! 俺じゃない!」
「これは“記録”だ。改竄できないはず。」
アデルの声が冷ややかに響く。
ハレルは言葉を失った。
自分が見た記憶と、映像の記録が――食い違っている。
「記録が……歪んでる……?」
アデルの表情がわずかに動く。
「“歪み”を認識できるとは……あなた、まさか――」
彼女の言葉を遮るように、金属板が突然ノイズを発した。
光が弾け、部屋の照明が明滅する。
「……停電?」
アデルが警備官を呼ぼうとしたが、その声が廊下に吸い込まれる。
鉄の扉が開き、別の兵士が顔を出した。
「記録室が……異常反応を。全端末が勝手に再起動して――」
「私が行く。」
アデルは短く言い、ハレルを一瞥した。
「戻るまで動くな。」
扉が閉まる。
ハレルは再び静寂に包まれた。
夜が更けた。
牢の外の松明がパチパチと音を立てる。
ハレルは膝を抱え、天井を見上げた。
――転移者。
この世界で、自分のような人間は他にもいるのか。
もしそうなら、涼も……。
思考が深く沈みかけたそのとき、足音が近づいた。
見張りの兵士が、無言で鍵を回している。
「……今、開けるのか?」
返事はない。
兵士はぼんやりとした表情のまま、扉を開けた。
その瞳には焦点がなく、まるで夢遊病者のようだった。
「出て。」
女の声。
廊下の陰から、銀灰色の髪が揺れた。
「セラ……!」
「静かに。彼の意識は私が抑えている。」
セラが指先を動かすと、兵士の体が微かに揺れ、再び無言のまま廊下の奥へ歩き去った。
「どうやって――」
「観測の一部を“書き換えた”だけ。彼の記憶から、あなたを消したの。」
ハレルは息を呑んだ。
“記録を歪める”――その行為は、彼女自身がさきほど語っていたものと同じだった。
「来て。長くはもたない。」
二人は廊下を抜け、静まり返った警備局の裏門へ向かう。
外の空は濃い青色で、雲が月を隠していた。
セラが一瞬だけ振り返る。
その瞳の奥に、淡い哀しみが宿っていた。
「この世界の“記録”が、誰かに書き換えられている。
そして――あなたの存在も、その中に刻まれた。」
ハレルは答えられなかった。
ただ夜風の中で、自分の心臓の音だけがはっきりと響いていた。




