第三十三話 深灰の森・追跡
深灰の森――
ゼルドア要塞城の裏手に広がる、昼でも薄暗い魔獣の縄張り。
アデルと部下たちは、崩れた特別牢からそのまま森へ向かい走っていた。
足元の石畳が土に変わり、冷たい湿気が肌にまとわりつく。
(逃がすな……絶対に)
アデルの銀の三つ編みが跳ねるたび、緊迫した空気が隊を包んでいく。
◆ ◆ ◆
森の入口付近。
不意に、アデルの右耳につけた銀のイヤーカフが明滅した。
『アデル!? 聞こえる!? ノノ=シュタインよ!』
珍しく、分析官ノノの声が完全に焦っていた。
「ノノ、状況を伝えろ!」
『牢の裏手――深灰の森に転移痕反応が三つ!
……いえ、違う……四つ!? 五つ!?
反応が揺れてて、数が安定しないの!』
アデルの眉が跳ね上がる。
(転移痕が……揺れている?)
『それにアデル、絶対に気をつけて!
森全体の魔力密度が異様に高まってる!
“複数種の大型魔獣”が活性化してる反応まで出てる!』
「……カシウスのせいか」
背中をじりじりと焼くような危機感が走る。
『アデル、本当に危険だってば!
あなたでも……いや、あなたたちでも……』
ノノの声が震えた。
アデルは短く息を吐き、静かに返す。
「ノノ。私たちは王国警備局だ。
――止めなきゃいけない奴がいる」
『アデルッ!』
通信を切る。
アデルは部下たちに振り向き、短く命じた。
「警戒を最大まで上げろ!
カシウスが“レアを連れて”森にいる!」
「「了解!!」」
◆ ◆ ◆
森の奥から、低く響く獣の咆哮が聞こえた。
アデルの全身に細かな悪寒が走った。
森の“空気そのもの”が歪んでいる。
木々の影がゆらぎ、何かがこちらをじっと見ているような圧。
部下の一人が、小さくつぶやいた。
「……隊長、魔力が……漏れています。
あちこちに“濃い痕跡”が……」
アデルは剣を抜き、低く構える。
――次の瞬間。
ガサッ!!
闇から、鋭い牙が十数本、同時に突き出てきた。
「下がれッ!!」
アデルの叫びと同時に、
十数匹のグレイウルフ が霧を裂いて飛び出す。
その速度は“矢”より速い。
魔術障壁を構えた兵士が叫ぶ。
「〈第三階位・障壁展開〉――ッ!!」
パァンッ!!
透明な光壁が展開した瞬間、
グレイウルフの爪が叩きつけられ、火花のような魔力破片が散った。
爪が障壁に触れただけで、
石を削り取るような“ギギギ……”という音が響く。
「硬い……!! 隊長、こいつら通常種じゃ――」
(ノノの言った通り……魔力が狂っている)
その時――。
森の奥から、爆ぜるような魔力の衝撃波が押し寄せた。
ドンッ!!
部下たちが次々と地面に叩きつけられる。
「ぐあっ……!」「な、何だこれは……!」
アデルは片膝をつきながらも、すぐに立ち上がった。
吹き荒れる魔力の向こうに、黒いローブを纏い仮面で顔を覆った影が三つ見えた。
――カシウスの部下たち。
その中央に、肩で息をする女の姿。
黒いスカーフ。
細身の体躯。
首元を隠したままの――葛原レア。
アデルの全身に怒りが点火する。
「レア!!」
彼女がこちらを向く。
暗闇の中で、瞳だけが異様に輝いていた。
「わー、追ってきた。
あっはは、ほんとしつこいねぇ、アデル~?」
部下の一人が叫ぶ。
「隊長! 魔力が……強すぎて……!」
アデルは剣を構えたまま、歯を食いしばる。
(カシウス……お前、どこだ……?)
周囲の茂みにはこちらの隙を伺うようにグレイウルフが囲む
次の瞬間――。
森の奥から、
――圧倒的な“魔力の存在”――が、ゆっくりと姿を現し始めた。
黒いローブ。
静かな歩調。
空気が震えるほどの魔力の波。
アデルの喉がごくりと鳴った。
――カシウス。
彼は穏やかな声で言った。
「追うのは、ここまでにしてもらおうか……アデル」
空気が、まるで凍ったように静まる。
次の瞬間、森全体が――うねった。
◆ ◆ ◆




