第三十二話 境界の破り手
◆ 現実世界・オルフェウス号
翌朝。豪華客船号の甲板には、
早朝とは思えないほどの喧騒が満ちていた。
海上保安庁の巡視船が横付けされ、
警察の鑑識班、捜査員、事情聴取班――制服の群れが一気に押し寄せていた。
「まさか……船の上で、こんなことになるなんて」
サキは救命ジャケットを握ったまま、どこか不安げに呟く。
しかしすぐに笑顔を作り、ハレルの腕をつついた。
「ねえ、お兄ちゃん……ちゃんと、答えるんだよ?」
「わかってるよ」
ハレル自身も、胸の奥が重かった。
――赤城翔。
――榊良太。
二人の死。
どちらも密室、どちらも胸の焦げ跡。
「じゃあ、何者がどうやって殺したと思う?」
「なぜ犯人が消えた?」
「部屋のドアの焦げ跡は?」
警察は当然そこを詰めてくる。
だが“転移者”も“魔術”も、“異世界”も説明できるはずがなかった。
(……今のところは言えない。言ったら、きっと全部が混乱する)
ハレルは苦しいながらも、そう判断するしかなかった。
木崎は、というと――
「で、現場保存どうなってます?
鑑識のデータ、僕にも見せ――はい無理? ああそうですか」
まるで楽しんでいるかのように、捜査員の後ろについて回っていた。
サキが呆れ顔でぼそっとつぶやく。
「……木崎さん、なんであんなに元気なの?」
「さあ……仕事の血が騒いでるんじゃないか……?」
ハレルは肩をすくめた。
事情聴取は半日以上続き、ようやく解放された頃には夕陽が沈み始めていた。
その後――
ようやく通常運航に戻ったオルフェウス号は、
二日間かけて予定通りの寄港地へ向かっていった。
不安混じりのスタートだったが、
ブロックの隔離で苦楽を共にした乗客たちとは自然と仲がよくなり、
サキもようやく旅行らしい笑顔を見せるようになった。
それでも。
(境界……まだ揺れてる。
レアは“行方不明”扱いのまま。
決着はついてない……)
ハレルは甲板から海を眺めながら、胸元のネックレスを握りしめた。
冷たい金属が、じわりと生き物のように熱を返してくる。
風が強くなり、波がざらりと船体にぶつかった。
――何かが、近づいている。
そんな気配が、静かに海面を流れていた。
◆ ◆ ◆
◆ 異世界・王都イルダ
ゼルドア要塞城・特別牢獄区画
警報が城に響き渡った。
――ガガガガガガッ!!
――侵入、侵入……転移封じ区域に異常!!
アデルは剣を抜き、部下たちとともに石造りの通路を全速で駆け抜けた。
「道を開けろ! 牢獄区画の警備隊は応答しろ!」
角を曲がると――
倒れている警備兵が三人。
胸元が焼け焦げ、意識がない。
アデルの銀髪の三つ編みが揺れる。
「……遅かったか!」
特別牢。
数層に刻まれていた魔術紋はすべて、黒く焦げて溶け落ち
――まるで“上書きされた”かのように、痕跡すら薄く消えていた。
「術式破壊……こんな速度で……?
レア一人に出来るわけがない……!」
アデルが歯を食いしばった瞬間。
右耳に付けたイヤーカフが光り、声が響いた。
《アデル!
ノノ=シュタインです!
裏手の森に複数の“観測波形”を確認!
レアのものに似ています!》
「複数……? 誰かが手を貸しているということか」
《気をつけて!
その森、“獣道区画”にはモンスターが群生してる!
グレイウルフの群れも反応してるから――》
「わかっている!!」
アデルは叫び返し、剣を強く握りしめた。
「全員、行くぞ! カシウスはこの先だ!!」
部下たちが一斉に駆け出す。
城の裏手――深い森が、黒く息づいていた。
月明かりの届かない獣道に、どこからか低い唸り声が響く。
アデルの顔は怒りに染まっていた。
「カシウス……!
またお前が――!!」
夜の森が音を呑み込み、彼らを深い闇に引きずり込んでいった。
◆ ◆ ◆
第三章 双界の連続殺人 終
境界の揺らぎは、いよいよ限界へ向かっていく。
第四章。
世界と世界の距離が消える、その“前夜”が始まる――。




