第三十一話 揺らぎの声
揺らぎの境界
ゼルドア要塞城・医療区画
夜の冷気が、開け放たれた窓から細く流れ込んでいた。
白布の上で、リオはゆっくり息を吐く。脇腹を押さえ、痛みを確かめるように上体を起こした。
「……まだ痛むな」
アデルが横で腕を組む。月光を受けた 銀髪の太い三つ編み が、静かに揺れた。
「当たり前だ。致命傷になっていてもおかしくなかった。
まったく……危なかったな。」
「まあ、アデルが来なかったら、本当にやられていた。
助かったよ」
アデルはほんの一瞬、咳払いで照れを隠した。
「……素直に礼を言われると調子が狂うな」
リオは微笑むと、ふと尋ねた。
「奴は、レアは?」
アデルは顎を少し上げ、医療区画の奥の階段を示す。
「ハレルに以前逃げられた時の“責任”で、私が地下に作らせた
“転移封じの牢”に移送した。転移者用の特別牢だ。
暴れ続けていたが、術式で完全に封じた。
……また逃げられることはない」
「なら良かった」
そう言った瞬間――。
――チ……チチチ……
リオの腕輪が、青白く脈打ち始めた。
アデル「境界通信……!? 今は不安定なはずだぞ」
「……来い、セラ……!」
光が強まり、声が溶けるように響く。
《……リオ……! 聞こえますか……!》
「セラ!」
次いで――ハレルの声が混じった。
《リオ! 聞こえるか!? “レアは捕まえたって思っていいのか!?”》
リオは思わず笑った。
「捕らえた。俺は無事だ。心配するな、ハレル」
医療区画の空気が、少しだけ温かくなる。
その声は、そのまま現実世界にも届いた。
◆ ◆ ◆
《ハレル側・船 オルフェウス号》
部屋にいたハレル、木崎、サキが、同時に顔を上げた。
「……リオ……!? 本当に無事なのか!」
《ああ。お前のおかげで気づけた。助かった》
サキが胸に手を当て、涙交じりに言った。
「よかった……本当によかった……!」
木崎も息を吐き、眉を緩める。
「捕まったってなら、ひとまずは安心だな……」
だが、その和らいだ空気の外。廊下からは、いまだ落ち着かないざわめきが続いていた。
「……ハレル、船の乗客はまだ騒ぎっぱなしだ。
“密室の変死体”なんて、隠しようがないからな」
ハレルはうなずく。
「早く全部終わらせないと……」
◆ ◆ ◆
《異世界側》
アデルがわずかに肩を下ろす。
「互いに無事を確認できたのは大きいな。
境界の揺らぎの中では奇跡に近い」
「……ああ。だが、まだ安心するのは早い」
その時だった。
――ビッ……!
腕輪の光が一瞬、強く弾け――
《……リ……境界……に……また……》《……気をつ……レ……ア……》
ノイズが闇を裂いた直後、光は――ぷつりと消えた。
通信断。
アデルが鋭く言う。
「……境界が、再び乱れた」
リオは拳を握りしめた。
「ハレル……!」
銀の三つ編みが揺れ、アデルが短く命じる。
「リオ。今の言葉……断片でも覚えておけ。 何かが始まっている」
窓の外、黒い海のような夜空がまるで呼吸するようにかすかに脈打っていた。
――現実と異世界。その境界は、もう“限界”に近づいていた。




