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異世界殺人―クロスゲート・サスペンス―  作者: 橘靖竜
第十一章 帰還光路編

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第百五十九話 奪った設計

第159話 奪った設計



【現実世界・湾岸方面/対策本部車両・深夜】


車両の中は、静かだった。


静かだが、休める空気ではない。

走行音。

端末の小さな電子音。

誰かが紙をめくる音。

その全部が、疲れ切った頭に細く刺さる。


日下部はノートパソコンの前から動いていない。

画面には、中枢ログから抜き出された線と文字列と円が、

何層にも重なって流れていた。


白い線。

座標。

杭。

外周。

反転。

補助層。

帰還順。

読み取れるものと、まだ読めないものが混ざっている。


「……やっぱり、ただの記録じゃない」

日下部が低く言った。


佐伯蓮が、その横から画面を見つめる。

まだ顔色は万全ではない。

だが目だけは、さっきから一度も逸れていない。


「何が一番近いですか」

と、佐伯が聞く。


日下部は画面を拡大する。

中央に出たのは、いくつかの円と、それを繋ぐ線だった。


「設計図です」

「それも“建物の設計図”じゃなくて、“今どう重なっているか”の設計図」

「どの外周から流れを入れて、どの杭で支えて、どの向きに捻って、どこで固定してるか。

……この世界の混ざり方、そのものの手順です」


村瀬七海が、小さく息を呑む。

「だから“ログ”……」

「やったことの記録で、同時に、戻すための手がかりなんですね」


「そう」

日下部が頷く。

「壊すだけならいらない。

でも、元に戻すなら絶対に必要です」


城ヶ峰は、車両の壁にもたれたままそれを聞いていた。

立ったまま、腕を組み、ひと言も余分なことは言わない。

だが、その目は画面から離れていない。


「戻せるのか」

低い声。


日下部は、すぐには答えなかった。

キーを叩き、画面を何枚か切り替える。

それからようやく言う。


「全部はまだ読めてません」

「でも、少なくとも分かったことはあります」


木崎が、肩の浅い傷へ簡単な処置をしながら顔を上げる。

「言え」


日下部は画面を三分割した。


一つ目。

外周の円陣。

二つ目。

杭の位置。

三つ目。

中枢の捻りの向き。


「まず、帰るにはまだ足りない」

「中継管理棟を半停止させて、体育館南側の局所杭を折って、中枢ログを奪った。

ここまではできた」

「でも、これだけじゃ“帰還”は実行できません」


木崎が眉をひそめる。

「何が足りない」


「大きく三つです」


日下部は指を立てた。


「一つ。

 まだ残っている支点の処理。

 今のままだと、世界の重なりを支える別の細い杭が残っている」


「二つ。

 補助層の安定化。

 匠さんが残したプログラム層が、今は“道”として細く残ってるだけで、

 実行時の負荷に耐えられるか分からない」


「三つ。

 主鍵+副鍵二つで反転を実行する地点の固定。

 最後は、どこかで向きを固定し続けなきゃいけない」


佐伯が静かに言う。

「順番を間違えると……」


「裂けます」

日下部がはっきり言った。

「二つの世界ごと」


車両の中が、一段静かになる。


村瀬が小さく聞く。

「じゃあ、これって……」


「希望じゃなくて、責任です」

日下部は画面を見たまま答えた。

「帰れるかもしれない。

でも、その代わり順番を間違えたら終わる。

そういう段階に入ったってことです」


木崎は肩の包帯を結び直し、低く吐き捨てた。

「本当に、取って終わりじゃなかったな」


「取ったから始まったんです」

日下部が返す。


城ヶ峰は短く言った。

「それでいい」

「今知るべきは、“できるかどうか”じゃなく“何が必要か”だ」




【現実世界・湾岸方面/対策本部車両・同時刻】


サキのスマホとの回線は、まだ細く生きていた。


《LINK / STABLE》


ノイズはある。

だが途切れていない。


日下部が、必要な部分だけを短く切り出して送る。


――《帰還 まだ不可》

――《残支点あり》

――《補助層安定必要》

――《主鍵+副鍵二つ+固定点》


送信。


木崎はその横で、さっき撮った写真を開いていた。

カシウス。

観測の穴。

役割の殻。

そして中枢の中心。


一枚ずつ見返しながら、低く言う。

「……あいつ、傷は確実に入ってる」

「でも、逃げる顔じゃなかったな」


城ヶ峰が短く返す。

「逃げないだろう」

「次は取り返しに来る」


その言葉に、誰も反論しなかった。


◆ ◆ ◆


【異世界・王都イルダ/中央区・臨時分析拠点・深夜】


異世界側でも、同じログを別の角度から見ていた。


ノノの前には、携行端末と紙の地図が広がっている。

セラはその横に立ち、文字ではなく“流れ”を見るように画面を見ていた。

アデルは立ったまま腕を組み、イルダと学園、駅周辺、

塔の位置を頭の中で並べ直している。


ハレル、サキ、リオ、ヴェルニも、その場にいた。

疲労は濃い。

だが、今は寝るより先に聞くべきことがある。


サキのスマホが震える。

現実側から送られてきた短文が表示される。


《帰還 まだ不可》

《残支点あり》

《補助層安定必要》

《主鍵+副鍵二つ+固定点》


「……やっぱり、まだ足りない」

サキが言う。


ノノがすぐ補足する。

「うん。

中枢ログ、こっちで読んでも同じ」

「戻る手順は見えてきてるけど、まだ実行は無理」

「今やれるのは、“何が足りないか”を確定させること」


「残支点ってどこだ」

リオが聞く。


ノノは地図の上へ、細い白線を出した。

イルダ、学園、駅周辺、そして現実側の対応点が、円のように並んでいる。


「まだ細い支点が残ってる」

「大きい中枢だけじゃなく、小さく固定してる点がある。

たぶん、現実側にもう一つ」

「それと、異世界側でも“向きを固定する場所”が必要」


セラが静かに言う。

「帰還は、ただ穴を開ければ終わるものではありません」

「戻る道を、最後まで“光路”として保たなければならない」


その言葉に、ハレルが顔を上げる。

「光路……」


それは、今の状況にぴったりだった。

暗い境界の中で、細く通る帰る道。

切れたら終わる。

でも、通れば戻れる。


ヴェルニが肩を壁へ預けたまま言う。

「つまり、まだ準備段階ってことだな」


「そう」

ノノが頷く。

「でも、準備段階ってことは、向こうも今のうちに潰しにくる」


その空気が変わった。


ハレルも、リオも、アデルも言葉を失わなかった。

全員が同じことを思ったからだ。


――カシウスは黙っていない。


◆ ◆ ◆


【どこでもない層/黒い空間】


カシウスは、白い床のない場所にいた。


石でもない。

金属でもない。

上下の感覚すら薄い、暗い層。


その中心で、銀髪の男は静かに立っていた。


右肩から胸へ走る亀裂は、まだ残っている。

白い数列がそこから細く漏れ、空中で消える。

血は流れない。

だが、傷は確かに傷だった。


カシウスは、その亀裂へ自分の指を軽く触れた。

痛みに顔を歪めはしない。

ただ、ほんの一瞬だけ目が冷たくなる。


「……ここまで来るか」


その呟きは、怒声ではない。

だが、その静けさがかえって危うい。


彼の前に、三つの影が現れた。


最初は黒い輪郭だけ。

そこへ、徐々に肉と服と顔が貼りついていく。


一人目は、背筋の伸びた男。

細身。

黒いスーツに近い輪郭。

目には影と文字列。

顔は整っているが、冷たく、人間味が薄い。

口調まできっちり整っていそうな空気を持つ。


「パイソン」


カシウスが呼ぶ。


「はい」

その男は即座に答えた。

声は冷静で、丁寧で、無駄がない。

「状況は把握しています」

「中枢ログの一部喪失。

異世界側と現実側の回線維持。

帰還設計の進行が予測されます」


二人目は、肩幅のある男。

立ち方が荒い。

皮膚の下に黒い影が蠢いて見える。

口元には、最初から挑発的な笑みがあった。


「ジャバ」


「はい」

荒い声。

「やっと本気の遊びですか?」


目の奥で黒い影がざわつき、時々、文字列がぎらつく。


三人目は、少し離れた場所に立っていた。


細身。

身長は高すぎない。

百七十センチ少しほど。

髪は少し長く、前髪が目にかかる。

耳がちょうど隠れる長さ。

色は黒と、赤錆色が混じっている。

痩せた頬。

目の下の濃い隈。

皮膚の一部には、うっすらと半導体みたいな板が埋まっていた。


「ラスト」


その名を呼ばれても、ラストはすぐには返事をしない。

少し遅れて、ぼそりと声が落ちた。


「……います」

後半は、ほとんど聞き取れない。


カシウスは三人を順に見た。


「中枢ログは奪われた」

「だが、まだ解析は終わっていない」

「今なら潰せる」


ジャバが鼻で笑う。

「だったらまとめて潰せばいい」


パイソンが即座に切り返す。

「雑に壊せば、補助層と主鍵の反応を逆に強めます」

「君は毎回それを忘れる」


ジャバの目が黒く沈みかける。

「言い方が気に入らねえな」


「気に入る必要はありません」

パイソンは冷たく言う。

「必要なのは結果です」


カシウスは二人のやり取りを止めない。

その代わり、視線をラストへ向けた。


「ラスト」

「君は現実側だ」


ラストは、前髪の奥で少しだけ顔を上げた。


「……警官」

ぼそり。

「その顔、まだ……使える」


「使え」

カシウスが言う。

「普通の導線に紛れろ。

解析班を逃がすな。

ログを削れ」


ラストの目の奥で、文字列が静かに流れた。

「……分かりました」

「錆びる。崩れる。持たない……」


最後の方は、影に埋もれてほとんど聞こえない。


カシウスは今度はジャバを見る。


「君は異世界側だ」

「王都各所の圧を上げろ。

軍と術師を散らせ」


ジャバは口元を歪める。

「任せてください。」

「でかいのを暴れさせりゃいいんでしょ」


「雑でも構わない」

カシウスが言う。

「だが、長く持たせろ」


最後に、パイソンへ視線が戻る。


「全体を見ろ」

「私の傷が消えるまで、補助層とログ解析を進めさせるな」


パイソンは一礼に近い動きで頷いた。

「承知しました」

「帰還設計が形になる前に、必ず分断します」


カシウスは、そこでわずかに笑った。

冷たい、細い笑みだった。


「いい」

「では、始めよう」


三人の影は、それぞれ別の方向へ溶けるように消えた。


暗い層に一人残ったカシウスは、傷の入った右肩を見下ろし、低く言う。


「君たちが“戻す”というなら」

「私は、それがどれほど困難か教えてあげよう」


◆ ◆ ◆


【現実世界・湾岸方面/対策本部車両・深夜】


木崎は、写真を閉じた。


「……来るな」

低い声。


城ヶ峰が短く聞く。

「何がだ」


「反撃」

木崎が答える。

「中枢ログを奪われて、黙る顔じゃなかった」


日下部も画面を見たまま言う。

「同感です」

「しかも今、向こうにとって一番嫌なのは、

 僕らがこれを読んで帰還設計を進めることです」


城ヶ峰は頷いた。

「なら、読め」

「来る前にな」


佐伯と村瀬も、無言で画面へ向き直る。

もう、ただ巻き込まれていた側ではない。

読む。

持ち帰る。

戻す。

その側へ、全員が少しずつ立ち位置を変え始めていた。


◆ ◆ ◆


【異世界・王都イルダ/臨時分析拠点・深夜】


ノノが、現実側から来た追加ログを受け取っていた。


サキのスマホ。

携行端末。

紙の地図。

セラの読み。

全部がテーブル代わりの布の上で重なっている。


ハレルはその前で、主鍵を握ったまま黙っていた。

リオは腕を組み、アデルは壁に寄り、ヴェルニは座ったまま天井を見ている。


「……来る」

ノノが言った。

「向こう、絶対に何か返してくる」


セラが頷く。

「はい」

「それも、解析を止めるための手になります」


アデルが短く言った。

「なら、守る場所を決め直す」

「解析班、学園、イルダ、駅周辺。

全部を同時には守れない」


その言葉に、本当の始まりが乗っていた。


帰還の道は見え始めた。

だが、その光路を通すためには、まだ守るべき場所が多すぎる。


ハレルはようやく顔を上げた。

「……やろう」

「帰るために」



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