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異世界殺人―クロスゲート・サスペンス―  作者: 橘靖竜
第十章 奪還反攻編

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第百五十五話 観測者カシウス

第155話 観測者カシウス



【異世界・オルタ・スパイア最深部手前/裂け目状通路】


通路は、石でできているはずなのに、途中から石ではなくなっていた。


壁の継ぎ目に走る古い魔術紋。

その上へ、青白い線が薄く重なる。

床に刻まれた観測環の輪郭。

その内側へ、現実側の処理線みたいな数列が滲む。


石の塔の底なのに、どこか白い施設の匂いがする。

白い施設のはずなのに、王都の結界の圧もある。


ハレルは、主鍵の熱が一歩進むたびに強くなるのを感じていた。

進め、と言っている。

だが同時に、ここから先は戻れないとも言っている気がした。


サキはスマホを握る手に力を入れる。

画面には、線がもう地図の形をしていない。

白い円。

重なった輪。

その中心にだけ、脈打つ一点。


「……もう、場所っていうより中心だね」

サキが小さく言う。


「中心だ」

セラが低く返した。

「塔の最深部であり、塔ではない場所」

「現実側と異世界側が、もっとも強く押しつけられている点です」


ヴェルニが舌打ち混じりに笑う。

「言い方が最悪だな」


「最悪だからです」

セラはいつも通り、感情をあまり乗せずに言った。


アデルは前を見たまま歩く。

足音は石の通路に吸われ、ほとんど響かない。

「ここから先、見たものも聞いたものも、“誰が言ったか”で判断するな」

「鍵の反応と、セラの案内を優先しろ」


リオが短く頷く。

「分かってる」


通路の先には、半ば裂け目のように開いた入口があった。

人ひとりが立って通れるほどの幅。

その向こうに、円形の広い空間が見える。


石の床。

高い天井。

観測環。

そして、その全部の上に、白い処理線。


サキが息を呑む。

「……いる」


誰が、とは言わなかった。

でも全員に伝わった。


◆ ◆ ◆


【現実世界・オルタリンクタワー地下最深部手前/半開き隔壁前】


現実側の隔壁の向こうも、同じ圧を持っていた。


日下部が端末を持つ指先を少しだけ強くした。

「ここから先、反応が一つにまとまってます」

「人というより、観測点そのものみたいな……」


木崎は隔壁の隙間へレンズを向ける。

白い制御室の奥。

基盤塔の細い柱。

中央の円。

その向こう、もう一つの円形空間の縁に、人影が立っている。


長身。

細い。

静かすぎるほど静かに、そこにいる。


「……見えた」

木崎が低く言う。


城ヶ峰が短く聞く。

「誰だ」


木崎は、一瞬だけ言葉を切った。

カメラ越しのその姿は、今まで写真の中にだけ現れていたものと一致している。


長い銀髪。

端正すぎる横顔。

警官でも、社員でも、一般人でもない。

最初から、そこにいるための顔。


「カシウスだ」


その一言で、全員の空気が変わる。


城ヶ峰は隔壁へ手をかけた。

「開ける」


重い音もなく、白い隔壁は静かに左右へ割れた。


◆ ◆ ◆


【重なった中枢/異世界側】


円形空間は、塔の最深部でありながら、もう塔の内部には見えなかった。


石の観測環。

床いっぱいに広がる魔術紋。

だが、その上へ白い制御線が何重にも重なり、中心へ集まっている。

壁際には、王都の塔にあるはずのない白い監視卓が半ば石へ埋まり込み、

逆に現実側にはあるはずのない古い柱が、白い床を貫いて立っていた。


二つの世界が、綺麗に混ざっているわけではない。

無理やり押しつけられて、どちらも少しずつ壊れたまま重なっている。


その中心に、男が立っていた。


銀髪。

長い髪が、風もないのにわずかに揺れて見える。

長身で、細い。

顔立ちは整っている。

だが、人間の整い方というより、

“観測しやすい形に削られた”みたいな不気味な美しさがあった。


カシウスは、振り向かなかった。


「……来たな」


静かな声だった。

大きくない。

それなのに、石室全体の中心から聞こえる。


アデルが一歩前へ出る。

「振り向け」


その言葉に、カシウスはゆっくりと振り向いた。


目が合う。


ハレルの背中が冷えた。

そこにあるのは敵意だけではない。

もっと嫌なものだ。

こちらを人として見ていない目。

“使えるか、使えないか”から先に見る目。


カシウスは、ハレルの胸元の主鍵を見て、次にリオの副鍵を見た。

そしてほんの少しだけ、笑った。


「噛み合ったんだな」

「思ったより早かった」


リオの顔が強張る。

「お前……」


「怒らないでほしい」

カシウスは静かに続けた。

「私にとっても予想外だった。

 匠が残した補助層が、まだあそこまで機能するとは思っていなかった」


その名前に、ハレルの胸の奥が強く反応した。

「父さんを知ってるのか」


カシウスはすぐ答えない。

代わりに、石室の床に広がる白い線へ目を落とす。


「知っている」

「よく知っている」

「だからこそ、彼の作ったものがどれだけ危ういかも分かる」


セラが一歩、前へ出た。

「危うくしたのはあなたです」


カシウスの視線が、初めてセラへ向く。

少しだけ、興味を持ったように。


「橋渡しか」

「まだその役をやっていたのか」


「ええ」

セラは短く返す。

「あなたが壊した境界を、戻すために」


カシウスは、そこでようやく笑った。

だが愉快そうではない。

“理解の足りない相手を見る顔”だった。


「戻す、か」

「その言葉が、いちばん不誠実だ」


石室の空気が、一段だけ冷える。


◆ ◆ ◆


【重なった中枢/現実側】


現実側からも、同じ男が見えていた。


白い制御室の奥。

石と白の境目。

銀髪の長い男。


城ヶ峰は歩みを止めない。

木崎はカメラを上げたまま、シャッターを切らずに構えている。

日下部、佐伯、村瀬、隊員たちも、誰一人声を出さない。


カシウスの目が、現実側にも向いた。


「そちらも来たか」

「秩序の側の人間が、こういう場所まで降りてくるのは珍しい」


城ヶ峰が低く返す。

「お前が秩序の顔を使いすぎた」


カシウスはその言葉を聞いて、少しだけ目を細めた。

「違う」

「私は、顔を使ったわけじゃない」

「顔を余らせている側から借りただけだ」


木崎が思わず舌打ちする。

「普通の警官の顔も、普通の社員の顔も、“余り”か」


「そうだろう?」

カシウスはあっさりと言った。

「人は、役割の顔を持ちすぎている。

警官。社員。教師。兵士。

誰もがすでに“中身と外側”をずらして生きている」

「なら、そのずれを利用することのどこが不自然なんだ?」


その言葉の気味悪さに、村瀬が顔を青くする。

佐伯は歯を食いしばったまま、目を逸らさない。


城ヶ峰が短く言った。

「人を容れ物としてしか見ない理屈だな」


「容れ物だからだ」

カシウスの声は静かなままだ。

「器は器。

コアはコア。

事実は事実。

観測は観測」

「全部を一つの固定したものとして扱う方が、よほど乱暴だ」


日下部が思わず一歩出る。

「それで定着体を作ったのか」

「死んだ人間の体に、別のコアを入れて」

「あるいは一つの体に複数のコアを混ぜて」


カシウスは否定しない。

「そうだ」

「戻せるなら、戻せばいい」

「失ったものを取り戻せるなら、それを選ぶべきだろう」


ハレルの顔が強張る。

サキも、スマホを握る指先へ力を込めた。


「違う」

ハレルが低く言う。


カシウスは、初めて真正面からハレルを見た。

「何が違う」


「戻すことと、作り替えることは違う」

ハレルの声は震えていない。

「勝手に混ぜて、別の体に入れて、定着させて……それは戻すじゃない」

「ただ、自分の都合で並べ替えてるだけだ」


石室が静かになる。


カシウスは、数秒だけ黙っていた。

それから、ほんの少しだけ首を傾ける。


「では、問いを変えよう」

「死んだ恋人が、本当に戻る方法があるとして」

「それでも“違う”と言えるか?」

「姉が、完全に元に戻るかもしれないとして」

「それでも“混ぜるな”と言えるか?」

「父が、もう一度こちらへ戻せるとして」

「それでも“事実を曲げるな”と言い切れるか?」


その言葉は、正確に急所を突いてきた。


リオの呼吸が止まりかける。

ハレルの主鍵が熱を帯びる。

サキの指が強く震える。


だが、その時だった。


「言える」

アデルがはっきり言った。


全員の視線が向く。


アデルはカシウスを睨んだまま、続けた。

「戻したい気持ちがあることと、何をしてもいいことは違う」

「失ったものを欲しがる心を、お前は免罪符にしているだけだ」


リオも、遅れて言葉を繋いだ。

「ユナを元気に現実へ戻せるなら、戻したい」

「でも、貴様のやり方じゃない」

「他の誰かを壊してまでじゃない」


サキも、かすれそうになる声を押し戻す。

「お父さんに会いたい」

「でも、何かの事実を曲げてまで会いたいわけじゃない」


ハレルは、その言葉を聞いてようやく息を吸えた。

カシウスの言葉は確かに刺さる。

だが、刺さることと、正しいことは違う。


「お前は“戻す”って言葉を使ってるけど」

ハレルが言う。

「やってることは全部、上書きだ」


カシウスは、その言葉に初めて少しだけ表情を消した。


◆ ◆ ◆


【重なった中枢】


沈黙のあと、カシウスは石室の中央へ半歩だけ下がった。


「……そうか」


声は静かだった。

怒っていない。

だが、その静けさが逆に冷たい。


「なら、ここからは説明ではなく、確認にしよう」


その一言と同時に、床の白い線と石の魔術紋が一斉に明滅した。


現実側の白い制御線。

異世界側の石の観測環。

それらが中心で噛み合い、部屋の輪郭そのものが少しだけずれる。


日下部が息を呑む。

「……来る!」


セラが即座に言う。

「気をつけて!」

「ここからは、部屋の方が見てきます!」


カシウスの背後、中央の白い円と石の紋様の重なった場所で、空気が薄く裂けた。


それは扉ではない。

傷でもない。

“観測の穴”みたいなものだった。


ヴェルニが口元を上げる。

「やっと本題かよ」


「来るぞ!」

アデルの声が飛ぶ。


木崎がカメラを構え直す。

城ヶ峰が前へ出る。

リオとアデルが副鍵へ手を添え、ハレルは主鍵を握り直す。

サキのスマホには、画面いっぱいに警告が走っていた。


《CORE INTERFERENCE》

《OBSERVATION SHIFT》

《LOCK LOST》


カシウスは、その警告の中で、ほんの少しだけ笑った。


「見せてあげよう」

「“固定された現実”が、どれほど脆いか」



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