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異世界殺人―クロスゲート・サスペンス―  作者: 橘靖竜
第九章 基盤侵蝕編

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第百三十三話 白い基盤

【現実世界・湾岸東区/旧技術検証棟・地下通路】


階段を降りるたび、白さが増した。


壁も、床も、天井も。

塗装の白ではない。

光を返しすぎる、冷たい白だ。


城ヶ峰が先頭に立ち、隊員たちがその後ろに続く。

日下部はノートパソコンを抱えたまま、

壁の継ぎ目や床の反射を目で追っていた。


「……病院の白じゃない」

佐伯の言葉を思い出しながら、日下部が低く言う。

「ここ、意図的に“汚れ”が残らないようにしてる」


足音が吸われる。

機械音だけが、ずっと低く鳴っている。


通路の先に、二重扉が見えた。

右脇に、細い緑のランプ。

その横には、英語と日本語が並んだ避難表示。


「一致したな」

城ヶ峰が言う。


佐伯と村瀬の記憶どおり。

つまりここは、ただの旧施設じゃない。

“今も使われている場所”だ。


隊員のひとりが、遠隔用の小型カメラを扉の下へ滑らせる。

扉の隙間の向こうには、さらに白い部屋があった。

中央に大きな機材。

床には円。

壁際に細い端末。

そして――動いている。


「……開ける」

城ヶ峰の短い声。


二重扉が重く開いた。


◆ ◆ ◆


【現実世界・湾岸東区/旧技術検証棟・地下中枢】


部屋は、以前のサーバールームより広かった。


白い床。

白い壁。

白い照明。

だが中央にあるものだけが、異質な熱を持っている。


巨大な円柱型の演算装置。

サーバーというより、塔に近い。

無数の細いケーブルが床下へ沈み、

周囲の床には青白い文字列の円が幾重にも走っていた。


円が三重。

その外側に、さらに薄い補助円。

まるで“輪の輪郭”そのものを床に移したみたいだ。


日下部の呼吸が浅くなる。

「……これ、アンカーです」

「前のサーバーより、基幹に近い」


城ヶ峰は即座に部屋全体を観察した。

中央装置。

側面端末。

壁面のモニター群。

天井の換気口。

光の入り口。影の逃げ場。


「撮れ。触るな」

隊員たちが散開する。


壁際のモニターには、地図が出ていた。

学園跡地を中心にした輪。

その輪の外周に、複数の点。

湾岸、駅前、病院周辺、商業地、行政導線。


そして、点のいくつかには色がついていた。

青。黄。赤。


日下部が目を細める。

「青は稼働待機、黄は予備、赤は起動中……か」


城ヶ峰が短く言う。

「根拠は」


「希望的観測です」

日下部は額の汗を拭わずに続ける。

「でも、色の変化が現実側の出現地点と合ってる。たぶん間違ってない」


その時、壁際の端末画面の一つに文字が走った。


《BASELINE SYNCHRONIZING》

《HOST STABILITY: RISING》

《ANCHOR RING: EXPANDING》


日下部の顔から血の気が引いた。

「……基盤の同期」

「やっぱり、“輪”はただの転移じゃない。世界の足場をずらしてる」


城ヶ峰はその言葉を頭に入れたまま、さらに画面を追う。

別のモニターには、人型のシルエットが並んでいる。

横に数値。

安定率。

同期率。

定着率。


「……これか」

城ヶ峰の声が低くなる。

「定着体の管理画面」


日下部が息を呑む。

「そこまで行ってるのか……」


その瞬間、部屋の照明が一拍だけ明滅した。


全員の動きが止まる。


中央装置の側面、細いスリットの暗がりから、黒いものがにじみ出た。

液体みたいに、煤みたいに、ずるりと。


「ライト!」

城ヶ峰が即座に命じる。


強光が向けられる。

黒いものは一度だけ引いた。

だが、完全には戻らない。

光を避けながら、人の輪郭を作っていく。


白衣。

細い首。

丸眼鏡のような影。

技術者の姿だ。


「ログは残ってますか?」

影が、穏やかな声で言った。

「監査用に、二重で保存したほうがいいですよ」


隊員のひとりが思わず後退る。

だが城ヶ峰が手で制した。


「撃つな」

低い一言。


影は続ける。

「定着率が上がると、現場対応が難しくなるんですよね」

「でも、そこが面白いところで――」


朝日が届かない。

この地下には、自然光がない。


日下部が喉を鳴らす。

「……窓がない」

「光の量が足りない」


城ヶ峰は即座に判断した。

「中央装置から離れろ。壁際ライト固定」

「影を“寄せる”な」


技術者影は笑っているようで、笑っていない。

目の位置だけが、妙に冷たい。


「ご安心ください」

「まだ、ここは途中ですから」


その言葉の直後、壁際モニターの一つが切り替わる。

映ったのは、別の施設。

同じ白い床。

同じ円。

同じ装置。


湾岸だけではない。

輪の縁に、同型が複数ある。


城ヶ峰の目が鋭くなる。

「……全部繋がっているな」


影は丁寧に頷いた。

「基盤ですから」


◆ ◆ ◆


【異世界・転移した学園/体育館・午前】


体育館の空気は、朝より少しだけ動いていた。


先生たちが班分けをし、子どもたちに水を回し、

明るい場所へ人を寄せる流れができ始めている。

崩壊寸前だった空気が、なんとか形を持ち直している。


だが、ハレルの胃は軽くならない。


サキがスマホを見下ろしたまま言う。

「……点、まだ増えてる」

「駅以外にも、こっち側に来てる場所がある」


画面の輪の縁。

薄い点が、まだ消えない。

駅だけでは終わらない。


ダミエが、体育館の穴を見たあと、静かに立ち上がった。

「……縫い目は保ってる」

「でも、外で増えると、ここも引っ張られる」


ハレルが眉を寄せる。

「引っ張られるって……」


ダミエは目だけでサキのスマホを見る。

「輪は、別々に見えて、別じゃない」

「だから……どこかが裂けると、他も薄くなる」


教頭がその言葉を聞いて、少し青ざめた。

「この学園の中だけ守っても、足りないのか」


「足りない」

ハレルは、珍しく迷わず言った。

「でも、ここを崩したらもっと駄目です」


その返答が、先生たちにとっては一番現実だった。

夢みたいな理屈じゃない。

守る場所を守りながら、次を考えるしかない。


ノノの声がイヤーカフから飛ぶ。

『学園、聞こえる?』

『イルダ西区、イデール先輩が持ちこたえてる。でも兵士型の定着がもう一体出た』

『街の人が、“紋章を見ても安心できない”段階に入ってる』


ハレルは目を閉じる。

定着。

侵蝕。

秩序の顔。


父の背中が、また頭をよぎる。


◆ ◆ ◆


【異世界・王都イルダ/西区・午前】


イデールの班は、まだ動き続けていた。


市場通りに光を流し、路地の暗がりを減らし、

住民を“明るい通り”へ寄せる。

逃げ場を教えるのではなく、逃げ道そのものを作っているような動きだ。


「こっちよお。あわてないでえ」

いつものおっとりした声。

なのに、その声に従う住民の足は速い。


黒い目の兵士が、また一人見つかった。

今度は宿屋の裏手。

剣を抜いたまま、壁に向かって「巡回は正常です」と繰り返していた。


イデールは深く息を吸い、光癒を重ねる。

班の術師も続く。

淡い光が兵士の胸を包み、煤のような黒を少しだけ薄くする。


完全には戻らない。

でも、暴れる勢いは落ちる。


「……きれいにはいかないわねえ」

イデールが小さく言う。

それでも手は止めない。


近くの住民が、泣きそうな顔で聞いた。

「助かるんですか……?」

イデールは一拍だけ黙り、でも目をそらさない。


「助けるために、光を当ててるの」

「だから、まだ諦めないでえ」


それが、今のイルダで言える最大限だった。


◆ ◆ ◆


【異世界・転移した駅周辺/ホーム・午前】


ホームでは、人の位置がようやく固定され始めていた。


光の当たる場所。

影を避ける場所。

駅員たちも、理由は分からないままその手順を覚えていく。


だが、楽にはならない。


停車中の車両の中、黒眼の学生がまだ非常用ハンマーを握っていた。

別の車両の奥では、誰かが泣きながら笑っている。

どこまでが人で、どこからが別のものか、見分けがつきにくい。


リオが低く言う。

「車両ごとに切り分ける」

「明るいところから一つずつ、人を出す」


ヴェルニが頷く。

「まとめて助けようとすると崩れるな」


森の縁では、巨大影が位置を変えている。

四足の黒。

狼とも熊ともつかない。

さらに奥で、馬や牛に近い影が揺れている。


駅員の顔色が悪い。

「……あれ、入ってきたら」


アデルの声が通信で届く。

『入れない。中を守る。外へ出ない』

短い言葉。

でも、今はそれでいい。


リオはホームの中央に立ったまま、

光と影の境目を見つめていた。


◆ ◆ ◆


【現実世界・都内/路上】


木崎は走りながら、送られてきた画像を確認していた。


一般人の静止画。

ドラレコ。

店先の防犯カメラ。

どれも雑だ。ぶれる。

でも、その雑さが逆に現場を残す。


同じ若い警官が、違う場所にいる。

しかも、人の流れを“ちょうどいい場所”で切っている。


「……秩序の顔で、誘導してる」


木崎は低く呟いた。

そして、城ヶ峰へ新しい画像を投げる。


――『同一個体らしき警官、複数地点確認。一般人の記録も回収中』


その直後、通りの向こうで信号待ちの車列が乱れた。

巨大な黒い四足が、ビルの陰からぬっと首を出したのだ。

馬とも牛ともつかない輪郭。

端々に青白い文字列。


悲鳴。

急ブレーキ。

木崎は反射でシャッターを切る。


現実の街に、もう異世界の獣では表現しきれないものが歩き始めていた。


◆ ◆ ◆


地下の白。

街路の黒。

体育館の穴。

駅の光。

市場通りの治療光。


全部が別々に見えて、別ではなかった。


輪の縁が、ひとつずつ世界に杭を打っている。

そして、その杭はまだ増えている。


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