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異世界殺人―クロスゲート・サスペンス―  作者: 橘靖竜
第九章 基盤侵蝕編

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第百三十一話 白い記憶

第131話 白い記憶


◆ ◆ ◆


【現実世界・病棟/面会室】


病棟の面会室は、静かすぎた。

廊下の向こうではサイレンの音が遠く反響しているのに、この部屋だけが妙に白く、時間が遅い。


佐伯蓮はテーブルの上に広げられた紙を見つめていた。

村瀬七海はペンを握ったまま、何度も指先を開いては閉じている。

向かいには城ヶ峰と日下部。

どちらも急かす顔はしていない。だが、視線は一秒も無駄にしない顔だった。


「思い出せる範囲でいい」

城ヶ峰が低く言う。

「場所、匂い、音、壁の色。何でもいい」


佐伯が短く息を吐く。

「……白かったです。床も、壁も」

「でも、病院の白さじゃない。もっと……光ってるみたいな、冷たい白」


村瀬がすぐに続ける。

「匂いも、薬品だけじゃなかったです」

「海っぽい、湿った塩の匂いと……熱い機械の匂い」

「それと、低い音。ずっと鳴ってる機械音みたいな」


日下部の指が止まる。

「海の匂い……湾岸寄りか」


佐伯は目を閉じたまま、記憶の壁を探るみたいに言う。

「白い廊下の途中に、二重扉がありました」

「扉の横に、緑の細いランプ。あと、避難経路の表示が英語と日本語で二つあった」

「普通のオフィスじゃないです」


村瀬が紙に四角を描く。

「廊下を曲がった先に、窓のない部屋がありました。

そこだけ音が大きくて……床に丸い模様が見えた気がします」


「丸い模様?」

日下部が身を乗り出す。


「うっすらです」

村瀬は自信がない顔で、それでも言い切る。

「最初はただの床の継ぎ目かと思ったんですけど……今思うと、円みたいでした」


城ヶ峰が日下部を見る。

日下部はすぐにノートパソコンを開き、湾岸一帯のクロスゲート関連施設の見取り図を重ね始めた。

旧研究棟。物流倉庫。データセンター。

その中の一つで、指が止まる。


「……これだ」

画面を佐伯たちに向ける。

「湾岸東区の旧技術検証棟。地下区画がある。二重扉、外気遮断、白色床」

「潮の匂いが入る位置関係も合う」


佐伯の表情が固まる。

「……たぶん、ここです」


村瀬も頷く。

「窓がないのに、海の匂いだけ来る感じ……これが近いです」


城ヶ峰は一度だけ目を閉じ、すぐに端末を取った。

「記録する。湾岸東区旧技術検証棟、要員を回せ」

短い通話。すぐに命令へ変わる声。


日下部は別の資料を引き寄せた。

「これ、湾岸のサーバールームと近すぎます」

「一つだけじゃない。同じ輪の縁に、まだ複数ある」


「分かってる」

城ヶ峰は返しながら、木崎へも共有を飛ばす。

――『旧技術検証棟が次候補。潮・白い床・二重扉。佐伯・村瀬証言一致』


佐伯が小さく言った。

「……まだ役に立てますか」


城ヶ峰は即答した。

「十分だ」

それだけで、佐伯の肩から少しだけ力が抜けた。


◆ ◆ ◆


【現実世界・湾岸方面へ向かう車内】


日下部はノートパソコンの画面を睨み続けていた。

円状に並ぶ転移点。

濃くなる輪の縁。

その上に、クロスゲートの施設が重なる。


「……やっぱり、偶然じゃない」

誰に言うでもなく呟く。


城ヶ峰は前を見たまま聞く。

「何が見えた」


「輪の縁に、施設が“杭”みたいに刺さってる」

日下部の声は掠れている。

「しかも稼働してる場所と、休眠してるだけの場所が混ざってる」

「今止めた湾岸の一点だけじゃない。順番に起こせるようにしてる感じです」


「切り替え式か」

城ヶ峰が言う。


「……たぶん」

日下部が唇を噛む。

「輪全体を一気にじゃなくて、必要な場所から開けてる」


それは厄介だった。

止めるべきものが一点ではなく、面であるということだからだ。


城ヶ峰は短く息を吐いた。

「なら、起こされる前に潰す」

「止まってる杭も、寝かせたままにしない」


その時、木崎から返信が来た。

《了解。こっちで周辺の写真拾う。一般人の記録も当たる》

城ヶ峰は端末を伏せた。

今は、動かせるものを全部動かすしかない。


◆ ◆ ◆


【異世界・転移した学園/体育館・朝】


体育館では、先生たちが少しずつ“朝の手順”を作り始めていた。


窓際を明るく保つ。

ライトを集める。

暗い隅に荷物を置きすぎない。

床の冷たい場所には近づかせない。


それだけで、子どもたちの表情が少しだけ持ち直す。

怖さが消えるわけではない。

でも、“何をすればいいか分かる”だけで人は崩れにくい。


教頭が名簿を片手に、ハレルへ近づいた。

「雲賀くん。学園の外……他にも転移してきた場所があるんだな」


ハレルは頷いた。

「あります。駅も転移しています」

「……学園だけじゃありません」


「人も?」

教頭の問いに、ハレルは一瞬だけ迷った。

だが、隠しても意味がない。


「……います。駅には、現実世界の人たちが取り残されています」


それを聞いた先生たちの顔が変わる。

この学園だけじゃない。

異世界の朝を迎えている現実の人間が、他にもいる。


サキはスマホを握り直した。

残量は低い。

でも、画面に出る地図の点は増えている気がする。

まだ“場所”として曖昧な点が、輪の縁にいくつもちらついていた。


「……お兄ちゃん」

サキが小声で言う。

「これ、駅以外にもあるかも」


ハレルが画面を覗く。

確証はない。

でも、消えていない点がある。

点というより、薄い傷みたいなものが。


ノノの声がイヤーカフ越しに飛んできた。

『学園、聞こえる?』

『まだ弱いけど、駅以外にも反応ある。全部が人のいる場所とは限らない』

『でも、ゼロじゃない』


ハレルの胃がまた重くなる。

考えることが増える。

それでも止められない。


『駅側、まだ崩れてない』

ノノが続ける。

『アデルたちが入って、駅員や取り残された人たちに“明るい場所へ寄る”動きが広がってる』

『まだ理屈までは分かってない。

 でも、“暗い場所は危ない”“光のある場所が安全そうだ”って、現場で気づき始めてる』


教頭がその言葉を聞き取り、先生たちの方へ向き直る。

「この学園だけじゃない」

「だからこそ、ここを崩さない。……そのために、今の手順を続けましょう」


それは立派な演説ではない。

でも、必要な言葉だった。


◆ ◆ ◆


【異世界・転移した駅周辺/ホーム】


駅の空気は張りつめていた。


ガラス屋根の下、光の落ちる場所に人を寄せる。

売店の暗がりには近づかせない。

柱の陰は空ける。

駅員も、車掌も、会社員も、学生も、皆が少しずつその“変な手順”に従い始めている。


リオはホームの先を睨んだ。

黒眼のサラリーマンはまだそこにいる。

朝日の帯に追い詰められ、煤の輪郭を揺らしながら、普通の口調で言葉を吐き続ける。


「本日の運行は……」

「危険です……」

「助けて……」

一つの声の中で、別の誰かが混線している。


ヴェルニが吐き捨てる。

「胸糞悪いな。人の体使って喋るなよ」


同行の術師が、額の汗を拭って光癒を準備する。

だが相手は一体ではない。

ホームの先、改札の陰、停車中の車両の窓の向こう。

“いるかもしれない”気配が増えている。


駅員の一人が震えながら言った。

「さっき、売店の奥にも……誰かいた気が……」


リオは短く答える。

「気のせいでも、気のせいじゃなくても、近づかないで」

その言い方が、むしろ本物の危険を伝える。


その時、外から重い音が響いた。

ホームの外壁が、どん、と震える。

人々が一斉に息を呑む。


窓の外。

森の縁に、巨大な影が立っていた。


狼とも熊とも言い切れない。

背中の高さが異様だ。

四足なのに、形が途中で崩れている。

その奥にも、馬や牛に近い影がいくつも揺れている。


駅員が掠れた声を出す。

「……あれ、全部、動物なんですか」

誰も答えられない。


ヴェルニが剣を抜かずに前へ出る。

「外へ出るな」

短い言葉。

だがそれだけで、今やるべきことは伝わる。


ホームのガラス屋根に、朝日がさらに広がる。

影はその縁まで来て、そこで止まった。


◆ ◆ ◆


【現実世界・都内/路上】


木崎のスマホが震えた。

城ヶ峰からの短いメッセージ。


――《周辺の写真と一般人の記録を当たれ。静止画を優先》


木崎は立ち止まらなかった。

走りながら周囲を見る。

避難誘導の警官、自治体職員、消防、泣く子ども、崩れたガードレール。

全部が同じ画面の中に入る。


「おい、写真撮ってるやつ、いるか!」

木崎が規制線の外から声を張る。


一人の大学生がスマホを上げた。

「さっきから動画回してます!」

別の中年男性が言う。

「ドラレコならある!」

制服姿の女子高生も、まだ顔色の悪いままスマホを握っている。


木崎は名刺を見せながら、次々に画面を覗き込んでいく。

動画、静止画、連写、ライブ配信のアーカイブ。

一般人の記録は粗い。ぶれる。切れる。

でも、そのぶん“現場そのもの”が残る。


「この警官、いつ撮った?」

「え……五分、いや十分前くらいです」


「こっちは?」

「駅前の横断歩道です。避難誘導してた時」


木崎の目が細くなる。


同じ若い警官が、別々の場所に写っている。

駅前。商業ビル脇。バス乗り場。

時間差が短すぎる。

徒歩で移動していたら間に合わない距離だ。


しかも、どの写真でも“やたら正しい位置”に立っている。

人の流れが最も集まる場所。

逃げ道が交差する場所。

混乱の中心に、自然な顔でいる。


「……これか」


木崎は低く呟き、今度は動画を止めて静止画にする。

動いていると普通の警官にしか見えない。

だが、フレームを止めると、顔の輪郭が一瞬だけ歪むものがある。

完全には変わらない。

けれど、“人の顔の貼り方”が少しだけ雑になる。


「もう少し前のやつあるか?」

「あります。えっと、避難始まった直後の……」


大学生がスクロールする。

木崎は画面を奪うように見た。

避難開始直後、警官はまだいない。

次の静止画で、急に現れている。

その次では、もう人を誘導している。


「……途中がない」


中年男性が不安そうに言った。

「何なんですか、これ……」

木崎は即答しなかった。

言えば、ここでまた人が崩れる。


代わりに、必要なことだけ聞く。

「この元データ、俺に送れるか」

「送れますけど……」

「今すぐ頼む」


その場で転送を受け取り、木崎はすぐ城ヶ峰へ共有した。

短く打つ。


――「一般人の静止画とドラレコ確認。

 同一警官が複数地点に短時間で出現。

 動線が正確すぎる。途中フレーム欠落あり。記録を当たる価値あり」


送信して、木崎は顔を上げる。


遠くで、また悲鳴が上がった。

誰かが「下がって!」と怒鳴っている。

サイレンが重なり、街がまた少しだけ壊れる。


それでも木崎は、スマホを下ろさなかった。

一般人の雑な記録。

ドラレコ。

店の防犯カメラ。

そのどれかに、もっと決定的な“剥がれ”が残っているかもしれない。


「……記録で剥がす、か」


匠の言葉を思い出しながら、木崎は次の写真を開いた。

秩序の顔をした異物が、どこに立っていたのか。

その痕跡を、現実の側から拾い集めるために。


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