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異世界殺人―クロスゲート・サスペンス―  作者: 橘靖竜
第八章 混濁転移世界

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第百二十二話 紋章の影

◆ ◆ ◆


【異世界・転移した学園/体育館・深夜】


体育館の灯りは落としてある。

真っ暗にすると怖がる子が増えるから、魔術灯を少しだけ残した。壁際がぼんやり白い。天井が遠い。


眠れている生徒もいる。

疲れ切って、毛布の中で倒れるように。

でも、眠れない生徒の目は冴えてしまう。物音がするたびに肩が跳ねる。


泣き声が、また小さく上がった。

今度は、我慢していた子が急に崩れたみたいに。


「……帰りたい……」


先生が駆け寄って、背中をさする。

「大丈夫。大丈夫。いまはここが安全」

その言葉は嘘じゃない。

でも“いつまで安全か”は誰にも言えない。だから、声が少しだけ震える。


ハレルは体育館の隅で、壁に背をつけていた。

胃の奥が痛む。

不安が、体の中で固い石になる。


(現実は崩れてる)

(こっちは守ってる)

(でも、穴が残る)


サキのスマホの残量が頭に浮かぶ。

使えば減る。減れば最後が来る。

その計算が、中学生にも分かるくらいはっきりしているのが怖かった。


その時、体育館の入口の方で、笛が短く鳴った。

二回。

警戒線の合図だ。夜間の兵士が使う、短い呼び出し。


先生たちが顔を上げる。

生徒の何人かが息を止める。


ハレルは立ち上がりかけて、思いとどまった。

今、ここで自分が動くと、生徒の目がついてくる。

“安全の中心”が動いたように見えてしまう。


代わりに、入口に立っていたアデルの部下が扉を少し開け、外を覗いた。


◆ ◆ ◆


【異世界・転移した学園/体育館前・廊下】


廊下は薄暗い。

窓の外は森の黒。遠くで風が鳴る。


アデルが来た。リオも。

ヴェルニは少し遅れて、肩を鳴らしながら歩いてくる。


笛を吹いた兵士が小声で言った。

「……さっき、門の内側の通路で“兵士”を見ました」

「見回りの交代の時間じゃないのに。呼び止めたら、返事をしません」


アデルの目が冷える。

「顔は見た?」

「……影で、はっきりは。でも、紋章は……私たちのです」


それを聞いた瞬間、リオの背中がぞわっとした。

(消えた門番)

(戻った?)


ヴェルニが鼻を鳴らす。

「戻ったなら戻ったで、黙ってないだろ。返事しないってのが嫌だな」


アデルは短く言う。

「騒ぐな。生徒に聞こえる」

そのまま兵士に指示を出す。

「場所を」


兵士が指さす。体育館の外壁沿い、器具庫へ繋がる細い通路。


アデルとリオが足音を殺して進む。

ヴェルニも続く。軽口は消えている。目だけが獲物を見る目だ。


通路の角を曲がった先――

そこに、人影が立っていた。


鎧の輪郭。槍は持っていない。

でも外套の端に、確かに“紋章”がついている。


「……おい」

リオが低く呼ぶ。


人影は、ゆっくり振り向いた。


顔の半分が影で見えない。

見える方の目が――妙に黒い。白目が薄い。

そして口が、小さく動いた。


「……寒くないですか」


普通の声。普通の言い方。

なのに、ここで言う言葉じゃない。


リオの喉がひりつく。

(黒い影の喋り方)


アデルは声を荒げない。

ただ一歩前へ出て、短く言った。

「名を言え」


人影は首を傾げた。

動きが、少し遅い。

まるで“人間の動きを思い出している”みたいに。


「……交代、ですよね」

「寒いですね」

言葉がつながっているようで、つながっていない。


ヴェルニが小さく舌打ちする。

「俺、こういうの嫌いだわ。話が通じる顔して通じねえ」


アデルが剣の柄に指を置く。抜かない。

今抜けば、音が出る。生徒が気づく。


「近づくな」

アデルが低く言った。


その瞬間、人影の足元の“影”が、わずかに伸びた。

床に煤みたいな筋が一瞬だけ走る。

だが次の瞬間、その筋は消える。

消えるのが、余計に不自然だった。


リオが反射で腕輪に魔力を通しかけて、止めた。

ここで派手な術を打てば、体育館が割れる。


アデルが先に動く。

足元へ、薄い結界だけ落とす。


「〈封縛・座標杭〉――光よ、足を止めて」


床に淡い光が刺さり、通路の空気が一瞬だけ固くなる。


人影は足を止めた――ように見えた。

だが次の瞬間、身体が“ふっと薄く”揺れた。


違う。

薄くなるのは境界の話だ。

これは、焦点がずれる感じ。

目で見ているのに、次の瞬間に“そこにいない”感じ。


「――っ!」

リオが踏み込む。

だが人影は、壁の影へ溶けるみたいに消えた。


通路に残ったのは、冷たい空気だけ。

煤の筋もない。足跡もない。

まるで、最初からいなかったみたいに。


ヴェルニが拳を握る。

「消え方が気持ち悪い。術で飛んだって匂いじゃねえ」


アデルは剣を抜かずに言った。

「……戻ったわけじゃない。“通った”だけかもしれない」


リオは息を吐く。

「じゃあ、どこへ――」


アデルは答えない。

答えられない。

行き先が分からないことが、今夜一番怖い。


「門の内側を二重にする」

アデルが兵士に指示する。

「体育館の周辺にも巡回を置く。

 先生には“入口に人を集めない”だけ伝えろ。余計な説明は不要」


兵士が頷いて走る。


リオはマスクの奥で、短く言った。

「……消えた門番、確定じゃない。でも――近い匂いがする」


アデルが一拍だけ目を閉じる。

「分かってる。だから今夜は、絶対に穴を増やさない」


その言葉が、暗い廊下で硬く落ちた。


◆ ◆ ◆


【異世界・王都イルダ/西区・路地】


イルダは、昼より静かになっていた。

獣の唸りも、煤の影も減っている。

ダミエとイデールたちの班が結界と光で押し返し続けた成果だ。


だからこそ――夜の音が、目立つ。


路地の奥で、遅い悲鳴が上がった。

すぐに消える。声が“切られる”ように途切れる。


見回りの兵が走る。

その先に、倒れている男がいた。

胸元が裂けている。剣の傷とは違う。

熱で焼かれたみたいな縁が残っている。


「……誰がやった」


近くの住民が震える声で言う。

「兵士……でした」

「鎧を着て、外套に紋章をつけて……」

「あなたたちの……あの白い外套の部隊の紋章……」


見回り兵が顔色を失う。

「警備局の……?」


イデールが遅れて到着し、傷を見る。

いつもは柔らかい顔が、今は真剣だった。

「……これ、煤の熱。影が混ざってる」


そこへ、低い声が落ちる。

ダミエだ。フードの下の目が細い。


「……紋章、偽物か、本物か」

「どっちでも、最悪」


イデールが小さく息を吸う。

「アデルに……知らせよう」


ダミエは頷いた。

「知らせる。だけど……今夜は、街を崩さない」

声が低い。

でも“守る”と決めた声だった。


路地の闇が、また一段濃くなる。

静けさが、戻らない夜になった。



◆ ◆ ◆

【現実世界・臨時指揮車両/車内】


車内のモニターは、赤い点で埋まり始めていた。

転移地点。黒い影の反応。救急搬送の報。避難所の満員。

すべてが同時に動いていて、逆に何も動かせなくなる種類の混乱だ。


日下部のノートパソコンの地図ソフトが、その中心にあった。

地図の上で点が明滅している。

学園跡地を中心に――輪。


日下部は画面を拡大し、指でなぞった。

何度も。確認するみたいに。

そして、息を吐く。


「……やっぱり円形です」

「偶然なら、もっと歪む。これは“枠”を作ってる」

「内側を薄くするための、円――」


城ヶ峰は腕を組んだまま画面を見つめる。

表情は動かないが、目だけが硬い。


「枠を作って、次に何をする」

日下部が答える前に、城ヶ峰が続ける。

「“枠の中心”に何かを置く。あるいは中心を“起点”にする」


日下部が小さく頷く。

「……クロスゲートのやり方です。地図と座標で世界を扱う」

「この円、たぶん“観測の輪”です。……固定するための」


城ヶ峰は短く息を吐いた。

「クロスゲート関係地を洗う。今すぐ」


机に広げられた資料束。

旧本社、関係データセンター、協力研究機関、外注先、テスター関連の連絡網。

そこに日下部がキーボードを叩いて、地図ソフトと重ねていく。


「……学園跡地を中心にした円の上、近い場所がいくつかある」

日下部が画面を指す。

「湾岸の再開発エリア。旧クロスゲート関連の倉庫。……それと――タワー側」


城ヶ峰の視線が鋭くなる。

「オルタリンクタワーに近い座標か」


「はい」

日下部は喉を鳴らした。

「ここ、反応が他より濃い。……“輪の縁”が強い感じがある」


城ヶ峰は即決した。

「行く。いま動ける最短の関係地を踏む」

「目的は二つ。輪の意味を確かめること。

 ――そして、次の転移点を潰す手掛かりを拾うこと」


日下部が顔を上げる。

「俺も行きます。地図ソフトの更新、現地の方が正確に取れる」

「止めるな。もう止まれない」


その時、城ヶ峰のスマホが震えた。

内線。病棟側。


城ヶ峰はすぐ出る。

「城ヶ峰だ」


『……佐伯です』

若い男の声。落ち着こうとしている声。

『村瀬もいます。今、ニュースを見て……』

『俺たち、何か役に立てませんか。情報でも、記憶でも』


城ヶ峰は一拍だけ考え、言葉を選ぶ。

感情に寄せすぎず、切り捨てすぎない。


「役に立つ」

淡々と言い切る。

「ただし、今は病棟から動くな。命令だ」

「代わりに、こちらが聞き取りをする。

 クロスゲート関連で“記憶に残っている場所”を全部出せ」


『……はい』

佐伯の返事は短い。

隣で村瀬が小さく息を吸い、続けた。


『私……クロスゲートの施設の“匂い”みたいなの、覚えてます』

『変な白さ。床の白。ライトの白。……白い廊下に近い感じ』


日下部の手が止まった。

城ヶ峰の目が一瞬だけ細くなる。


「……白い廊下」

城ヶ峰が低く繰り返す。

「それが今、黒い影と繋がっている可能性がある」


『だから、思い出します』

村瀬の声が少しだけ震える。

『役に立ちたいです。怖いだけで終わりたくない』


城ヶ峰は短く息を吐く。

「分かった。思い出せるだけでいい。整理して送れ」

「こちらも動く。……生きて、恩を返せ」


『……はい』

佐伯がはっきり答える。

『生きて返します』


通話が切れる。


城ヶ峰はすぐに別の番号を押した。

木崎だ。


「木崎。今、動く」

『お、やっとかよ。どこだ』


「クロスゲート関係地を洗い出した。地図ソフトの“輪”がある」

「湾岸の関係地、タワー寄りの座標が濃い。まずそこを踏む」

「お前にも情報を送る。合流できるなら合流しろ」


木崎の返事は早い。

『了解。写真と照合しながら行く。

 現場は任せろって言いたいけど、任せられる状況じゃねえな』


「そういうことだ」

城ヶ峰は言って切った。


日下部がノートパソコンを抱え直す。

車内の空気が、動く空気に変わる。

止まる空気じゃない。走る空気だ。


城ヶ峰が短く命じる。

「出す。目的地、湾岸。最短ルート」

「……輪の縁を踏む。次の中心を作らせない」


車両が動き出す。

サイレンと赤色灯の光が流れ、夜の道路が伸びる。


日下部は画面の輪を見つめたまま、低く言った。

「……これ、誰かが“円を描いてる”」

「つまり――次の一手も、もう用意されてる」


城ヶ峰は前を見たまま答えた。

「だから先に潰す」



◆ ◆ ◆


【異世界・転移した学園/渡り廊下】


ハレルは廊下の端で、主鍵を握りしめていた。

胸の熱は落ち着かない。

夜の空気が薄い。膜が軋む感じがする。


(今夜は穴を増やせない)

(でも、影は通る)


父の顔が浮かぶ。

森から現れて、消えた。

あの“プログラム円”を作った手。

自分が追いかければ何か掴める気がして、でも追いかけられない。


胃が痛い。

けれど、止まれない。


体育館の中で、誰かがまた小さく泣いている。

先生が「大丈夫」と言っている。

その声が、今夜の世界の全てだった。


ハレルは息を吸って、吐いた。

そして、体育館へ戻る方向へ足を動かした。


夜はまだ終わらない。

終わらせ方も、まだ見えない。


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