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異世界殺人―クロスゲート・サスペンス―  作者: 橘靖竜
第八章 混濁転移世界

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第百十八話 夜の穴


◆ ◆ ◆


【異世界・転移した学園/体育館・中央】


通話が切れたあともしばらく、体育館の空気は張ったままだった。


泣き声は消えていない。

でも、さっきまでの“理由の分からない恐怖”とは少し違う。

現実でも誰かが動いている――それを知れただけで、先生たちの目にわずかな芯が戻っていた。


教頭が前に出る。

「聞いてください。今は情報が少ないです。ですが、外は危険です。今夜はこの体育館を中心に、学年ごとに区画を分けて待機します」


担任たちが一斉に動き出す。

毛布、水、出席確認、体調不良の確認。

手の震えている先生もいるが、それでも動く。


ハレルはその様子を見ながら、サキのスマホをちらりと見た。

画面の端の充電表示が、さっきより明らかに減っている。


サキが小声で言う。

「……減るの、早い」

「使いどころ、間違えないようにしよう」

ハレルも声を落として返す。


その時、教頭がまた近づいてきた。

「雲賀くん。外の……兵士の人たち、今もいるんだよな」

ハレルは頷く。

「います。もう学園の中にも入ってます。先生たちと話ができる人もいます」

「……そうか」


教頭は一瞬だけ目を閉じ、息を整えた。

「なら、こちらは生徒をまとめる。君たちは、外の人たちと連携してくれ」

「分かりました」


サキが不安そうに体育館の入口を見る。

「……また、黒い影みたいなの入ってきたりしないかな」

ハレルは即答できなかった。


代わりに、耳の奥にかすかにセラの声が触れる。


《入口に、人を偏らせないでください》

《一か所に集まると、狙われた時に崩れます》


ハレルはすぐに教頭へ言い換える。

「入口の近くに人を固めない方がいいです。何か来た時、一気に混乱する」

教頭はすぐに理解した顔で頷いた。

「分かった。器具庫前と舞台袖にも先生を置く」


“知らない世界の助言”を、“現実で使える言葉”に直す。

それが今のハレルの役目になっていた。


◆ ◆ ◆


【異世界・転移した学園/正門内側・警戒線】


門の内側では、すでに捜索班が動き始めていた。


二人一組の兵士が、校庭の端、体育館脇、校舎沿いの通路を順に確認していく。

松明の光と簡易照明の魔術が、地面の泥を白く浮かび上がらせた。


リオはしゃがみ込み、足元を見ていた。

乱れた靴跡。兵士のブーツ、先生の靴、生徒の上履き。

その中に、不自然な“切れ目”がある。


「……ここまではいる」


指先で泥の縁をなぞる。

兵士のものらしい深い踏み跡は、数歩分は残っている。だが――その先が、ない。


跳んだ、というより。

消えた、という方が近い。


ヴェルニが横で腕を組み、鼻を鳴らした。紺の髪が揺れる。

「俺でも分かる。これ、普通の隠れ方じゃねえな」

地面を見下ろし、目を細める。

「風で消した痕跡でもない。術の匂いはあるのに、薄すぎる」


アデルは周囲の配置を確認しながら言った。

「“どこへ向かったか分からない”のが一番まずい」

声は低いが、焦りを押し殺しているのが分かる。

「門だけじゃなく、校舎側、体育館側も警戒線を増やして」


「了解」


兵士たちが動く。

槍の穂先が光を反射し、警戒線が一段厚くなる。


イヤーカフ越しに、ノノの声が入った。

『アデル。微弱だけど、変な残留ある』

『黒い影の煤とも違う。サロゲートの片割れに近い……でも薄い』

一拍置いて、続ける。

『追跡は難しい。線が途中でちぎれてる』


アデルの眉がわずかに動く。

「やっぱり、か」


リオが立ち上がる。

マスクの奥の目が、門の外の森と、門の内側の校舎の両方を順に見る。

「外から来る敵だけ見てればいい状況じゃなくなったな」


ヴェルニが肩を回した。

「気分悪いな。ぶっ飛ばす相手が見えない」

それでも口元には、戦う前の癖みたいな笑みが残っている。

「……見えた瞬間に焼けるよう、準備だけはしとく」


アデルは短く頷いた。

「見えないうちは、守りを崩さない。焦って単独で動くな」


ヴェルニがすぐ返す。

「分かってる。――今回は、な」


リオが小さく息を吐いた。

冗談めかしているが、空気は軽くならない。


校舎の窓には、まだこちらを見ている生徒たちの影がある。

守るべき人数が多すぎる。

そして、“中に紛れる敵”がいる。


アデルは門の内側に立ったまま、剣の柄に手を置いた。


(嫌な予感は、もう十分ある)

(でも今は、形にしてはいけない)


「報告は細かく上げて。小さい違和感でもいい」

アデルが言う。

「消えた一人を、見落としたままにはしない」


◆ ◆ ◆


【異世界・王都イルダ/解析室】


王都の解析室は、今夜だけで机が三つ増えていた。


ノノ=シュタインの前には、紙、板、術式盤、記録結晶。

その周りで新しく入った分析員が慌ただしく動いている。

誰もが年上だが、今この部屋の中心はノノだった。


『そのログ、時間軸ずらして重ねて』

『ううん、そこじゃない。強制退出の前後だけ抜いて』


指示は早い。声も早い。

でも命令口調ではない。必要な情報だけを、正確に飛ばす。


一人の分析員が顔を上げた。

「これ……境界の裂け目みたいなもの、確かに残ってます」

ノノは即座に身を乗り出す。

「大きさは?」

「小さいです。人一人通れるほどじゃない。でも、影みたいなものなら……」


ノノの眉が寄る。

「……通れる」


そこへ別回線が入る。

ダミエからの報告だ。


『……こちら、イルダ西区。穴、二つ見つけた』

低い声。相変わらず短い。

『塞ぐ。時間、少しかかる』


ノノが一気にメモを取る。

「ダミエ、塞いだ後の残留値も見て。再発するか知りたい」

『……分かった』


別の回線で、イデールのゆっくりした声が重なる。

『ノノちゃん、さっきの“黒い影”ねえ……』

『治療の光、やっぱり効くみたい。強いのじゃなくても、反応するの』


ノノの目が光る。

「やっぱり。ありがとう、イデール先輩」


『えへへ。たまたま試したら、当たっちゃった』


たまたま、で済ませていい発見じゃない。

でもその“たまたま”が人を助ける夜だ。


ノノはすぐにアデルたちの回線へ共有を投げる。

『黒い影系には治療光が効く。強くなくてもいい』

『ただし、取り憑かれた対象まで一緒に傷つけないように、当て方は気をつけて』


報告を終えたあと、ノノは一瞬だけ椅子に背を預けた。

眠い。目が痛い。

でも止まれない。


(新しい層……)

(匠さんたちが作ったのか、誰かが真似したのか)

(どっちでも、今は“使える情報”に変える)


ノノはすぐに身体を起こした。

「次。学園周辺の穴マップ、更新する」


◆ ◆ ◆


【異世界・王都イルダ/西区・路地】


イルダの街は、少し前までより静かになっていた。


ダミエの結界が細い路地を封じ、

イデールの治療班が傷人を運び、

獣の唸り声も遠ざかっている。


一時的な静けさ。

それでも、誰も油断していない。


ダミエは路地の角に立ち、結界杭の状態を確認していた。

大きすぎる制服の袖から、指先だけが少し見える。


『……ここ、薄い』

小さく呟いた時だった。


路地の奥で、何かが倒れる音がした。

ガタン、と木箱が崩れる音。

続いて、遅い悲鳴。


イデールが振り向く。

『今の、聞こえたぁ?』

ダミエの目が細くなる。

『……聞こえた。人の声』


二人が駆けつけると、そこには血の筋だけが残っていた。

壁に、兵士の外套の布切れ。

そして床に落ちている、見覚えのある紋章片。


アデル部隊の紋章だった。


イデールの顔から笑みが消える。

『……これ、学園に行ってた子たちの……?』

ダミエは布切れを見つめたまま答えない。

代わりに、低い声で言う。


『……誰かが、兵士のふりをしてる可能性がある』

『アデル先輩に回す』


夜が、また嫌な方向に動き始めていた。


◆ ◆ ◆


【現実世界・駅前跡地/規制線外】


木崎は人の少ない路肩まで下がって、城ヶ峰に電話を入れた。

数コールで繋がる。


『木崎か。今どこだ』

城ヶ峰の声は低く、周囲の騒音を押し返すみたいに真っ直ぐだった。


「駅前跡地。そっちは」


『移動中だ。日下部と合流してる』


木崎は一度だけ息を整える。

言い方を選ぶ。全部は説明しづらい。


「……学園側の子どもらの声、拾えた」

数秒の沈黙。

電話の向こうで空気が止まったのが分かる。


『生存確認できた、って意味か』

城ヶ峰の声が一段低くなる。


「そうだ。生きてる。ただ、向こうも相当危ない」

木崎は短く言った。

「細かい回線の話は会ってからにする。今、電話で説明してる暇がない」


城ヶ峰はすぐに切り替えた。

『……分かった。生きてるなら十分だ』

必要以上に踏み込まない声だった。

『合流して情報を出せ。位置を送る』


「了解」


電話を切る直前、城ヶ峰が付け足す。

『木崎。無茶はするな』

一拍。

『撮るのはいい。死ぬな』


木崎は苦く笑った。

「そっちもな」


通話が切れる。


その直後、視界の端で、ふらりと人影が揺れた。


――女。

スーツ姿の、OLみたいな輪郭。


だが、輪郭の表面は黒い煤みたいにざらついていて、肩口や髪の先から青白い文字列が滲んでいる。

歩き方は普通の通勤帰りみたいなのに、足音だけが薄い。


木崎の喉がひりつく。


同時に、日下部の地図ソフトを映している端末(共有画面)側で、

その位置に小さな円のマークが灯った。


「……出たな」


木崎はカメラを構え直した。

逃げる人々の流れの中で、黒い“OL”だけが、妙に丁寧な歩幅でこちらへ向かってくる。


◆ ◆ ◆


【異世界・転移した学園/体育館裏・渡り廊下】


ハレルは先生への説明を終え、渡り廊下で少しだけ息をついていた。

サキも隣で壁に背を預ける。


体育館の中からは、まだざわめきが聞こえる。

でも、崩壊の音ではない。持ちこたえようとする音だ。


サキがスマホを見た。

「……残量、ほんとに減ってる」

「次は、本当に必要な時だけだな」

ハレルが言うと、サキは頷いた。


その直後、スマホ画面の端に一瞬だけ白い線が走る。

通知音は鳴らない。だが、明らかに何かが来た。


サキが息を止める。

「……また?」

ハレルも身を乗り出す。


画面には短い表示だけが出ていた。


《穴は残る》

《使うなら、戻す手も考えて》


ハレルが眉をひそめる。

「……誰だ。父さんか、セラか、それとも別の誰かか」

サキは小さく首を振る。

「分かんない。でも……今までのと同じ感じ」


遠くで、笛が鳴った。

門側の警戒班の合図だ。短く二回。


ハレルとサキは顔を見合わせる。

嫌な予感は、だいたい音になってから来る。


今夜はまだ、終わらない。


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