表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界殺人―クロスゲート・サスペンス―  作者: 橘靖竜
第八章 混濁転移世界

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

117/132

第百十七話 借りた回線


◆ ◆ ◆


【中間層・白い廊下】


白い廊下は、静かすぎた。

壁も床も、距離感を奪う白で塗り潰されているのに――今夜は、そこに“重さ”だけがある。


世界が揺れている。

揺れが増えるほど、ここは薄くなるはずなのに。

逆だ。揺れが増えるほど、白が硬くなる。硬くなって、人を挟む。


セラは、廊下の中央に立っていた。

白い衣装の裾が、見えない風にわずかに揺れる。

刺繍の祈りの文様が光を拾い、でも十字の形だけはどこにもない。

――意図的に外した“空白”。


(橋が足りない)

(言葉が遅れるほど、混濁が進む)


こちら側の子どもたちは、現実の家族を想像して怯えている。

向こう側の大人たちは、現実の秩序のふりをした何かに追われている。


セラは静かに息を吸い、白の奥へ意識を伸ばした。

“端末”。

人が握っている小さな板。

現実に馴染んだ音と、通知と、指紋と、写真の記録。


《……借ります》

言葉にした瞬間、白い廊下の空気が一度だけざらついた。

自分の輪郭が、少し薄くなる。

形を保つための“余白”を、回線に回す。


(長くは無理)

(でも、今夜だけは)


◆ ◆ ◆


【現実世界・転移現場/駅前跡地】


駅前だったはずの場所に、森と崖がある。

木崎は規制線の外で、カメラを構えたまま空気を読んでいた。


逃げる人。怒鳴る警官。泣く子ども。

それを撮る自分。

全部が現実なのに、景色だけが“現実じゃない匂い”をしている。


その時、ポケットのスマホが震えた。

知らない通知音。短い一回。

木崎は眉をひそめて画面を見る。


《接続要求》

差出人:――表示なし。

通話でもない、メッセージでもない。

なのに、画面が“応答”を求めている。


「……は?」


指が勝手に動きそうになって、木崎は一拍だけ止めた。

こういうのは危ない。

でも、この状況で“危なくない”ものなんてない。


木崎は舌打ちして、応答を押した。


スピーカーが、かすかに鳴る。

ノイズ。白い砂を擦るみたいな音。

そして――女の声。


《……木崎透さん》


一瞬、背筋が冷えた。

名前を呼ばれる温度が、普通じゃない。


《……木崎透さん》

一瞬、背筋が冷えた。

ただ――“知らない声”ではない。

砂を擦るみたいなノイズの奥、その落ち着いた抑揚。

何度か、境界の向こうから割り込んできた声。


「……セラか」

木崎の声が低くなる。警官の誘導の声の裏で、森がざわつく。

「今さら、俺のスマホに直で来るって……どういうつもりだ」


《はい。セラです》

《橋渡しです》

《あなたの端末を借ります。時間がありません》


「“借ります”じゃねえだろ」

木崎は舌打ちして、周囲の規制線と森を一瞥した。

「……だが、今はいい。繋げ。ハレルとサキに」


「いったい――」

言いかけた瞬間、木崎の耳に別の音が混じった。


『……木崎さん?』


若い男の声。

ハレルだ。

遠い。体育館の反響が薄く混ざっている。

でも、確かに“向こう側”から届いている。


「……おい」

木崎は一度、息を吐いてから言った。

「生きてんだな」


『……はい。今、体育館に……』

ハレルの声が掠れている。

限界の声だ。


「サキは」

『ここにいます』

今度は少女の声。サキ。

震えているのに、言葉は折れていない。


木崎は喉の奥が一瞬痛くなるのを、乱暴に飲み込んだ。

「……よかった」


セラが間に入る。

《時間がありません》

《必要な情報だけ》


「分かってるよ」

木崎は周囲を見た。

規制線。森の崖。遠くの叫び声。

そして、黒い影――さっきより“増えてる”気配。


「現実は、地獄だ」

木崎は短く言った。

「学園だけじゃない。駅前も、商業施設も、森になってる。崖もできてる」

『人は……』

ハレルが息を飲む。


「逃げてる。黒い影が出てる」

木崎は言葉を噛み砕く。中学生にも伝わるように。

「人に取り憑く。半分黒くなる。口から“助けて”と“世間話”が交互に出る。

警官は撃てねえから、テイザーだ。さすまただ。ロープで縛ってる」


サキが小さく息を呑む音がする。

『……そんな……』


「国も動いてる。警察も自治体も、今は全部“特別”ってやつで回し始めてる」

木崎は付け足した。

「だから、“忘れられてる”わけじゃない。探してる人間もいる。……俺もだ」


ハレルが一瞬黙って、やっと言った。

『……ありがとうございます』


木崎は「礼言ってる場合か」と言いそうになって、やめた。

今、礼を言えることが救いだ。


『木崎さん……父さんは』

ハレルが言いかける。

木崎の指が一瞬固まる。


セラが先に割り込んだ。

《そこは、今は》

《まだ、言葉にしないで》


“確定”を避ける言い方。

木崎は舌打ちして、話を戻す。


「ハレル。そっちはどうだ」

『……兵士と……術師が来て、守ってくれてます。

でも、門番が一人いなくなったって……』

「消えた?」

木崎の声が低くなる。


『……はい。どこに行ったか分からない』

『嫌な予感がするって……アデルさんが』


木崎は周囲の森を見た。

自分の足元の影が、妙に濃く見える。

「嫌な予感ってのは、たいてい当たる」


セラの声が、少しだけ遠くなる。

《……回線が焼ける》

《長く繋げない》


「分かった。じゃあ最後に一個だけ」

木崎は早口になる。

「外に出るな。窓を開けるな。

“好奇心”で死ぬやつが出る。――先生にも言え」


『……言います』

ハレルが即答する。


「サキ」

木崎は名前を呼ぶ。

「スマホ、無駄に触るな。残量は命だ」

『……はい』

サキの声が小さくなる。

『でも……必要なら、使います』


「それでいい」

木崎は短く言った。

「迷って死ぬよりマシだ」


◆ ◆ ◆


【異世界・転移した学園/体育館・器具庫前】


ハレルはスマホを握ったまま、息を吐いた。

体育館のざわめきが、少しだけ落ち着いている。

情報が届くと、人は“想像だけの地獄”から一歩出られる。


教頭が近づき、声を低くする。

「……今のは?」

ハレルは一拍だけ迷って、言い方を選んだ。

「現実で、俺たちを知ってる大人です。

こっちを探してる。……現実は、混乱してる」


先生たちが顔を青くする。

でも、叫ばない。

叫ぶと生徒が崩れると分かっている。


「じゃあ、保護者は」

「捜してる人もいる。国も動いてる」

ハレルは噛み砕いて言った。

「だから今夜は、ここを守る。勝手に外へ出ない」


その言葉が、先生たちの背骨になる。

「分かった」

担任が頷いた。

「全職員、夜間体制を組む。生徒を小グループで固める。水と毛布の配分を――」


サキがスマホを握り直す。

残量表示が目に入って、喉が鳴る。

使えば減る。

でも、使わないと守れない。


《……よくやりました》

セラの声が、かすかに耳に触れた。

《でも、私は薄くなっています》

《次は、もっと短い》


ハレルが唇を噛む。

「……セラ、ありがとう」

《礼はいりません》

《橋は、まだ保ちます》


その瞬間、スマホのスピーカーが、砂を擦る音に戻った。

回線がちぎれる。白いノイズだけが残る。


◆ ◆ ◆


【現実世界・転移現場/駅前跡地】


木崎の通話は切れていた。

画面は暗く、通知も消えている。

まるで最初から何もなかったみたいに。


――なのに、ポケットの中が妙に冷たい。


木崎は顔を上げた。

崖の縁。森の影。

そこで、ぴょん、と黒いものが跳ねた。


猫みたいに軽い。

でも毛並みがない。煤の塊。

尻尾の先に、青白い文字列がひらひら漏れる。


木崎の背中が冷える。

「……来てんのかよ」


猫影は一度こちらを向いたように見えて、次の瞬間、森の奥へ消えた。

跳ねた先だけ、空気が薄く揺れた。


規制線の向こうで警官が叫ぶ。

「危ない! 下がってください!」


木崎はカメラを握り直し、ゆっくり後退した。

心臓が早い。

でも、目は離さない。


(ハレル……サキ……)

(こっちはこっちで、止めるしかねえ)


スマホが、もう一度だけ震えた気がした。

だが画面は点かない。

震えは、ポケットの内側――自分の皮膚の方から来た錯覚だった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ