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異世界殺人―クロスゲート・サスペンス―  作者: 橘靖竜
第八章 混濁転移世界

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第百十三話 強制退出

◆ ◆ ◆


【異世界・転移した学園/外周・正門前】


森が、鳴いていた。

枝が折れる音と、腹の底に落ちる唸り声が、何重にも重なる。


正門の前――鉄柵の外側。

そこに集まっているのは、獣だけじゃない。


グレイウルフ。馬や牛より大きい、煤けた鉄の毛並み。

その肩から背中にかけて、黒い影が“まとわりついて”いる。

影の縁をよく見れば、青白い文字列が走っていた。血管みたいに。


「……来た」

アデルが馬を止め、剣を握り直す。

「門の前。ここで受ける」


リオはマスクの奥で息を吐いた。

(影が増えてる。獣の上に――“煤”が乗ってる)


横でヴェルニが楽しそうに笑う。

「やっと派手なの来たね。アデル、俺の出番――」

「黙って」

「冷たいなあ」


イヤーカフが、ちり、と鳴った。


『学園の座標、まだ揺れてる。門の外側、影の密度が上がった』

ノノの声は速い。必要な情報だけを、投げる。

『獣に乗ってるの、たぶん“煤”。噛まれなくても、触れられるのが危ない』


「触れられる前に、門から離す」

アデルが短く言い、剣先を地面へ落とす。


「〈大結界・第一級〉――光よ、門前に“壁”を重ねて」


淡い光が地面に染み込み、鉄柵の前に透明な膜が立つ。

一枚、二枚、三枚。薄い壁が重なって厚みになる。


次の瞬間、先頭のグレイウルフが跳んだ。

土を抉り、膜にぶつかる。


ドン、と鈍い音。

膜はしなり、しかし割れない。

獣が弾かれ、怒りの遠吠えが森を震わせた。


「ギャウゥゥ……!」


その背中の黒い影が、膜に触れた瞬間――

影の縁の文字列が、走る速度を上げた。増える。濃くなる。


「……煤が、結界を試してる」

リオが呟く。


ヴェルニが指先を鳴らす。

「じゃあ、結界の上から吹き飛ばす。派手に」

アデルが嫌そうに目だけ向ける。

「巻き込みはしないで」

「しないしない。たぶん」

「たぶん、は要らない」


ヴェルニが笑ったまま詠唱する。


「〈爆裂・混成〉――『風、炎、圧。ひとつにして、前へ』!」


風が渦を巻き、そこへ炎が芯みたいに刺さる。

次の瞬間、前方へ“爆ぜる風”が走った。

熱と圧が、獣の群れをまとめて押し返す。


グレイウルフたちが踏ん張る。倒れない。

でも、門へ寄る足が一歩分だけ戻る。


その隙に、リオが掌を前へ出した。


「〈捕縛・第三級〉――『鎖よ、絡め』!」


細い光が走り、鎖の形になって一匹の前脚へ巻きつく。

獣が体勢を崩し、土が跳ねた。

影の文字列が乱れて、煤が一瞬“薄く”なる。


(効く。獣そのものじゃなく、上に乗ってる影が――)


だが、勝った、と思うのは早かった。


押し返された獣の影から、黒い“人影”が、ぬるりと抜けた。

サラリーマンみたいな輪郭。OLみたいな輪郭。

形だけが人間で、中身は煤と文字列。


それが、結界の前に立つ。

立っただけで、空気が冷える。


影が、普通の口調で言った。


「こんにちは」

「今日、寒くないですか?」


ヴェルニが一瞬、眉を上げる。

「……気持ち悪いね、それ」

アデルは笑わない。

「人のふりをして近づく。……厄介」


イヤーカフが鳴る。


『イルダ側で、光が効いた。イデールの光、煤を“ほどく”』

ノノの声が早い。

『今の影にも、たぶん同じ。結界で閉じて、光で削るのが良さそう』


「共有ありがとう」

アデルは短く返し、剣を上げる。

「門は守る。中へは――まだ入れない」


その言葉の直後、門の向こう――校舎の窓の奥で、悲鳴が上がった。


◆ ◆ ◆


【異世界・転移した学園/体育館前・廊下】


体育館の出入口は、先生たちが机とマットで塞いでいる。

生徒たちは中に押し込められ、窓に寄りかけては引き戻されていた。


「外に……人がいる!」

「鎧……武器……なに、あれ」

「助けに来たの?でも、狼も……!」


好奇心と不安が、ぐちゃぐちゃに混ざる。

誰かが泣き、誰かが笑いそうになり、誰かが怒鳴る。


先生の声が何本も飛ぶ。

「押さないで!転ぶ!」

「前の子、下がって!壁際!」

「スマホは後!今は――今は落ち着いて!」


でも“落ち着け”は、もう効かない。

体育館の床で上履きが滑り、誰かが尻もちをつく。

倒れた子を起こそうとして、別の子がつまずく。

泣きながら名前を呼ぶ声が重なり、体育館の空気が一気に薄くなる。


廊下側でも同じだ。

逃げようとする生徒が出口に殺到し、机のバリケードにぶつかって止まる。

「開けて!」「外に出たい!」という叫びが上がるたび、先生が必死に腕を広げて塞ぐ。


「ダメ!外は危険!ここから出ない!」

「体育館の中へ!一度、全員中へ入って!」


押し返す力と押し出す力がぶつかって、廊下が詰まる。

その混雑の端で、黒い“制服”が立っていた。


学園の制服。

背格好も、生徒と同じくらい。

顔も見える。髪もある。

――なのに、足元の影だけが濃い。黒い煤が、床に滲んでいる。


生徒のふりをした“それ”が、体育館の入口へ近づく。


「……ねえ、体育、なくなったの?」

声は、あまりに普通だった。


先生のひとりが、反射で答えかける。

「今は――」


その瞬間、制服の足元の影が、伸びた。

先生の靴へ、すっと触れようとする。


「……っ!」


先生が引いた。

引いた足元に、黒い煤が“置き土産”みたいに残る。文字列が走る。


生徒の誰かが叫んだ。

「影……!足の影が、変だ!!」


体育館の中が、爆発みたいに騒がしくなる。

「なにそれ!」

「こっち来る!」

「先生、後ろ!」

泣き声が増え、押し合いが強くなる。

バリケードの机がギシ、と鳴り、先生が肩で支える。


「みんな、座れないなら、せめて壁に!しゃがんで!」

「転ぶから走らない!走らないで――!」


けれど誰かが走ると、連鎖で全員が動いてしまう。

出入口が狭いぶん、恐怖は濃縮される。

“誰か”が中に入ってきた――それだけで、逃げ道が消える。


ハレルは前へ出た。胸元の主鍵が、熱を持って脈打つ。


「……そいつ、違う」


声が震えた。でも、言い切った。

サキが隣でスマホを握りしめる。指が白い。


その瞬間、サキのスマホが震えた。

画面に、通知が浮かぶ。


《使う際には》

《近くに主鍵または副鍵がないと》

《強制プログラムは動かない》


サキが息を呑む。

「……お兄ちゃん、これ……」


ホーム画面に、見覚えのない地図アプリがある。

開くと、黒い地図に光る点がいくつも浮かび、そのひとつに“マーク”が付いていた。

体育館の入口の近く。

まさに、あの制服影の位置。


ハレルが覗き込んだ瞬間、胸元の主鍵が明滅した。

熱が増し、光がチカチカと脈を打つ。


(鍵が、反応してる……だから、動く?)


サキは怖い顔のまま、でも逃げなかった。

制服影に少しだけ近づく。先生が止めようとするより早く、サキは画面をタップした。


表示が出る。


《強制退出させますか?》

《はい/いいえ》


サキの喉が鳴る。

「……はい」


押した瞬間。


床が、光った。


制服影の足元に、円が現れる。

ただの魔法陣じゃない。

円周に沿って、青白いプログラム文字列が無数に走り、

内側にも同じ文字列が格子みたいに組まれていく。


ハレルの主鍵が、眩しいほどの光を放った。

その光に呼応して、円が“起動”する。


制服影が、まだ生徒の口調で言った。


「今日、寒くないですか?」

「え、体育なくなるの、やだな」


普通の会話。普通の不満。

なのに声の奥が、妙に空っぽだ。


影の足元の煤が、円へ吸われる。

制服影の身体にも、青白い文字列が走り始めた。

皮膚の上に、コードみたいに。


「……あ、れ?」

声が、少しだけ揺れる。

それでも“ふり”を続ける。

「……ねえ、先生、宿題――」


言い終える前に、制服影は円へ沈んだ。

床が開くみたいに。溶けるみたいに。

最後まで人間の声の形を保ったまま、消えた。


体育館の中も外も、一瞬だけ静まる。

息を呑む音だけが残る。


そして、遅れて、叫びが戻ってきた。


「消えた……!?」

「なに今の!?光った!!」

「サキちゃん、何したの!?」


サキはスマホを握りしめたまま、震える声で言う。

「……私も、分かんない。でも……“鍵が近いと動く”って……」


ハレルは主鍵を握り、唇を噛んだ。

(父さんのやつ……?)

(いや、セラの言ってた“プログラム層”…?)


廊下の奥――窓の外で、門のほうから爆音がした。

獣の唸り声が重なり、人の声も混じる。


助けが来ている。

でも、間に合うかどうかは――まだ分からない。



◆ ◆ ◆


【現実世界・日本/臨時指揮車両・日下部の膝上】


日下部のノートパソコンが、勝手に鳴った。

通知音じゃない。機械の内部から鳴る、薄い金属音。


画面の隅に、見覚えのないメッセージが出ている。


《開いて》


日下部が指を伸ばす。

止める暇もなく、クリックした瞬間――


「……勝手に、落ちてくる?」


ダウンロードが始まった。

パソコン用の地図ソフト。

インストールが終わるより早く、画面が切り替わる。


黒い地図。

現在地の周辺に、黒い点が無数に灯っている。

点のいくつかは“人”の形のアイコン。

別のいくつかは、“転移地点”みたいに円で囲まれている。


日下部の背中を、冷たいものが走った。

「……これ、見えてるのか。今、どこで“出てる”か」


城ヶ峰が画面を覗き、顔色を変えないまま言った。

「共有できるか」

「……やってみる」


日下部が操作しようとした、その時。

画面の端で、ひとつの点が“増殖”みたいに増えた。

街の中。人が多い場所。


城ヶ峰が低く息を吐く。

「……間に合わない速度だな」


◆ ◆ ◆


【異世界・転移した学園/外周・正門前】


結界の外側。

煤を纏った獣と、人影が、じわじわと距離を詰めてくる。


兵士たちは門の内側で槍を構え、結界の揺れを見て息を詰める。

結界の外へ出れば触れられる。

内側に入られれば、学園の中が終わる。


その足元――地面の影が、ほんの少しだけ動いた。


黒い、薄い破片。

手のひらほどの“煤”。

そこに、青白い文字列が絡まり、まるで筋肉みたいにうねる。


破片は、音もなく這った。

兵士の踵のすぐ後ろまで。


兵士は気づかない。

前の唸り声と、結界の揺れに集中している。


破片が、ゆっくりと持ち上がる。

人の指の形に似せた、黒い突起が伸びる。


――背中に、触れようとした。



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