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異世界殺人―クロスゲート・サスペンス―  作者: 橘靖竜
第八章 混濁転移世界

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第百十一話 影を焼き切る式


◆ ◆ ◆


【異世界・王都イルダ/市場区画】


透明な結界膜の表面を、黒い煤が這っていた。

青白い文字列が、虫の行列みたいに流れ、膜の“弱い目”を探っている。


結界の外。

憑かれたグレイウルフが、馬よりも大きい体をぶつけてくる。

ドン、と腹に響く衝撃。膜がしなり、空気が鳴る。


割れない。――けれど、読まれている。


「……嫌な手触り」

アデルは剣を下げたまま、目だけで結界の揺れを追った。


イヤーカフからノノの声が落ちる。

『式、噛まれてる。叩かれ方が同じだと、そこだけ薄くなる』

『ダミエ、面、ずらせる?』


ダミエは目だけ動かし、短く言う。

「……できる。面、替える」


「〈層替結界・第二級〉――表よ、裏へ。裏よ、表へ」


膜が、ひゅっと“裏返る”。

煤の文字列が走っていた面が消え、別の面が現れた。

文字列が一瞬だけ迷子になる。流れが乱れる。


その瞬間を、ヴェルニが逃さない。

「いい子だ、ダミエ。じゃあ次、俺」

アデルが眉を寄せる。

「その言い方、やめて」

「褒め言葉だろ?」


ヴェルニは両手を広げ、風を集めた。紺の髪が青く光る。

「――煤だけ剥がす。獣は後で寝かせる」


「〈合成術式・第三級〉――風よ、刃。炎よ、箒。『裂いて、掃け』!」


風が結界の外側だけをなぞって走る。

煤が“皮”みたいに浮き、次に薄い炎がそこへ滑り込む。

燃えるのは、煤と文字列だけ。獣の毛並みは焦げない。


「ギャウッ!!」

憑かれたグレイウルフが怒鳴るように吠えた。

背中の煤が、剥がされるのを嫌がるみたいに波打つ。


煤は、獣の背から“人の形”を作って立ち上がろうとする。

輪郭だけの影。肩、首、腕――中身のない黒。


アデルが低く言った。

「逃がさない」


ダミエが一歩、前に出る。制服の袖がぶかぶか揺れた。

「……結界、箱じゃ足りない。消すなら、閉じて、焼く」


「〈封環結界・第一級〉――『輪よ、閉じろ』」


市場の一角に、透明な輪が立つ。

輪が縮み、影と煤を“内側”へ押し込める。


ヴェルニが笑った。

「じゃ、俺の掃除、仕上げ」


「〈爆裂複合・第四階位〉――風炎合成、『焦点一閃』!」


輪の内側で、白い閃光が弾けた。

爆発じゃない。広がらない。

“そこだけ”を焼き切る、刃みたいな爆裂。


影が、声も出さずに歪む。

煤の文字列がほどけ、ちぎれ、灰になって消えた。


憑かれた獣の体が一瞬よろけ、次の瞬間、膝から崩れる。

唸り声が弱まり、牙を剥く力が落ちる。

ただの“獣”に戻って、荒い息だけが残る。


市場に、遅れて静寂が落ちた。


イデールが民へ向かって、いつもの柔らかい笑顔に戻る。

「大丈夫ですよ〜。怪我してる人、いますか〜」

震えて固まっていた人が、ようやく息を吐く。

泣いていた子が、母親の袖を握り直す。


アデルは剣を納めず、周囲を見回した。

「……一旦、押し返しただけ。終わってない」


ノノの声。

『うん。出方が“試し”だった。次は、もっと散らして来る』

『それと……イルダの外縁、別の反応が増えてる』


「別の?」

アデルが問い返すと、ノノが少しだけ間を置いた。


『人の形の影。あっちの世界で出てた、成人男性っぽいのと……女性っぽいの』

『こっちにも、出始めてる』


風が冷たくなる。

市場の外れ――人混みの切れ目。

そこに、黒い“人影”が一つ、立っていた。


背広の形。

スカートの形。

でも、中身はない。煤と文字列だけが、身体の中でゆっくり流れている。


誰かが「人だ」と思って近づきかけ、次の瞬間、足が止まる。

本能が止める。

“これは人じゃない”と、皮膚が分かる。


アデルが短く言った。

「……守る班と、動く班に分ける。イルダは絶対に空けない」


ヴェルニが肩を回す。

「学園のほうも面倒そうだな。俺、動く班がいい」

「だめ」

「即答!?」

「突っ走るから」

ヴェルニはニヤッとする。

「分かってるじゃん。だから俺が必要だろ?」


ダミエが小さく口を挟む。

「……イルダ、結界の貼り替えが要る。残る班、必要」

結界のことになると、言葉が少し増える。


アデルは頷いた。

「ダミエはイルダに残る。イデールも。民の避難と治療」

「は〜い」イデールが手を振る。

「ヴェルニは……動く班。だけど、私の指示を聞く」

「了解。聞く聞く。たぶん」

「たぶん、じゃない」

「はいはい」


リオはマスクの奥で短く息を吐いた。

「学園のほう、急ぐ。……中に、ハレルたちがいる」

アデルが頷く。

「行く」


そして、イルダの端で黒い人影が増えていくのを、誰もが見た。

“煤の人間”が、街の秩序の中へ混ざろうとしている。


◆ ◆ ◆


【異世界・転移した学園/校内・体育館(臨時避難場所)】


体育館の床は冷たかった。

停電のままの照明は戻らず、窓から入る森の緑の光だけが、ざらついた影を作っている。


生徒たちは、壁際に固まって座っていた。

泣き止めない子。スマホを握り潰しそうな子。笑って誤魔化してる子。

全員が同じ顔をしているわけじゃない。けれど――目の奥が、同じ色だ。

「分からない」という色。


外から、低い唸り声が聞こえる。

馬や牛より大きい獣の声。

それに重なるように、さっきから何度も、硬い衝撃音が響いている。

ドン、ドン、と。門のほうだ。


そして、別の音。

風が裂けるみたいな音と、光が弾ける音。

“派手”なのに、怖い。

生徒の何人かが、窓際へ寄りかけて、先生に怒鳴られて引き戻される。


「窓に近づくな! 見なくていい!」

教頭の声が震えていた。怒鳴っているのに、芯がない。

その隣で、担任たちが必死に声を張る。

「全員ここから動くな!」

「絶対に外へ出るな!」

「扉は先生が管理する!」


でも、抑えきれない。

好奇心が、恐怖と同じくらい強い。


「……外の人たち、武器持ってた」

「兵士? 映画の撮影じゃないの?」

「え、さっき光が……爆発みたいなの見えた」

「魔法……?」


“魔法”という単語が出た瞬間、空気がひとつ、冷えた。

言った本人も、言ってはいけないことを言ったみたいに口を押さえる。


ハレルは、体育館の入口近くに立っていた。

アデルの部隊兵士たちのおかげでここへなんとか戻ってこれた。


サキはその横で、窓のほうを見てしまいそうになる自分を、何度も止めていた。

手は、無意識にスマホを握っている。

画面は暗い。なのに、指先だけが熱い。


「雲賀くん」

声をかけてきたのは、教頭ではなく、担任でもなく

――レアに斬られて腕を包帯で吊っている男性教師だった。

顔色は悪い。けれど目は、まだ折れていない。


「君たち……さっきから、反応が違う」

教師の視線が、ハレルの胸元――主鍵へ一瞬落ちる。もちろん理由は分からない。

分からないから怖い。だから確かめたい、という目だ。


「外のあれは何だ。ここはどこなんだ」

質問は短い。生徒に投げる言葉じゃない。

でも、先生たちも今は、判断材料が欲しい。


ハレルは息を吸った。

言えば、確定する。

でも、黙っていたら――誰かが外へ出て死ぬ。


「……先生」

声が乾く。中学生にも分かる言葉を探して、噛み砕く。


「ここ、たぶん……“現実の学園”じゃないです」

ざわ、と体育館が揺れた。言葉で。

誰かが「は?」と笑いそうな声を漏らし、でも笑えずに飲み込む。


「外の森……あれ、ここにはないはずなんです」

「それは分かってる!」と誰かが叫びそうになって、先生に口を塞がれる。


ハレルは続けた。

「俺たちの学校だけが、どこかに“飛ばされた”」

「飛ばされたって……」

「……異世界って、言ったら信じますか」


体育館が一瞬、完全に静まった。

静まりすぎて、外の唸り声が逆に大きく聞こえる。


サキが、喉を鳴らしてから言った。

「……私たちも、信じたくなかった」

声は震えている。でも逃げてない。


教師が、唇を噛む。

「……なんで、君たちがそんなことを知ってる」


そこだ。

一番言えないところ。


ハレルは、正直に首を振った。

「それは……言えません」

生徒の一部が「はあ!?」「何それ!」と騒ぎそうになり、先生が手を上げて制する。


ハレルは言葉を足した。

「言うと、もっと危ない。

 ……俺たちのせいで、また何かが“寄ってくる”かもしれない」

本当は、もっと複雑だ。

鍵、観測、同調、カシウス、レア、セラ。

でも今それを言っても、中学生も高校生も、先生も、耐えられない。


教師が、苦い顔で頷く。

「じゃあ……分かる範囲でいい。“ここで”やるべきことを言え」


ハレルは、外の音を聞きながら答えた。

「外へ出ないこと。窓も開けないこと。扉は絶対に開けない」

「さっきの兵士たちは?」

「……たぶん味方です。俺たちを助けに来てる」

言い切るのは怖かった。でも、今は必要だった。


サキが、続けて言う。

「外の人たちが戦ってるのは……あの大きい狼みたいなの、です」

生徒が息を呑む。

「ほんとに、いるの……?」

「いる。見たら……多分、足が動かなくなる」


教師が窓のほうを見ないようにして、言った。

「この森の先に、何がある」


ハレルの喉が、また乾いた。

“街の名前”を言うのは、危険だ。

でも、何も言わなければ、先生たちは判断できない。


「……大きい街が、あります。石でできた街」

「石の街……」

サキが小さく付け足す。

「王都……イルダ、って」

言ってしまった、とサキ自身が一瞬固まる。

体育館の中の空気が、ピリ、と張った。


「……なんで、その名前が」

教師の目が鋭くなる。


ハレルは、首を振る。

「今は、名前だけでいい。

 そこへ行けば助かる、って話じゃないです。距離も分からない」

そして、噛み砕く。

「ここは、俺たちが知ってるルールの外です。

 だから――学校の中を、城みたいにして守るしかない」


先生たちが顔を見合わせる。

怯えているのに、教師としての仕事を放棄していない顔。


その時。

体育館の窓の外で、光が一度、弾けた。

風が巻いて、炎が線になって走る。

生徒たちが「うわっ」と身をすくめる。


「なに今の……」

「すご……」

恐怖の中に、どうしても混ざる“見たい”が、漏れる。


担任の一人が、呆然と呟いた。

「……あれが、魔術……?」


ハレルは、即答しなかった。

“魔術”と断言した瞬間、世界が一段リアルになる。

受け止めきれない子が出る。


代わりに、サキが言った。

「……光の刃よりは、ずっと……守るための光、だと思う」

自分に言い聞かせるように。

でも、先生たちはその言葉に救われた顔をした。


「よし」

教頭が、ようやく声の芯を取り戻す。

「全職員、分担する。出入口の封鎖、保健室の整備、情報の統制――」

声が震えても、やるしかない。


ハレルは、最後にだけ言った。

「……外の人たちが、門を守ってくれてる間に、学校の中を固めてください」

「君たちは?」

教師が問う。


「俺たちは……狙われてる」

それだけで、十分だった。

先生の顔が引き締まる。守る対象が、変わる。


体育館の空気が、また揺れる。

今度は音じゃない。

遠くで、誰かが“踏み込んだ”みたいな、地面の微かなうねり。


サキが、スマホを見下ろす。

画面は暗い。

でも、指先の熱だけが増した。


「……お兄ちゃん」

サキが小さく言う。

「今、ちょっとだけ……誰かが、近い気がする」


ハレルの胸元で主鍵が、同じリズムで、熱く脈打った。


外で戦っている誰か。

そして――この世界を揺らしている“何か”。


体育館の中の不安が、ひとつの形になる。

「ここにいるだけじゃ、終わらない」


それを、先生たちも、生徒たちも、薄く理解し始めていた。


◆ ◆ ◆


【現実世界・日本/各地の転移現場(ニュース映像)】


画面の中で、道路が歪む。

公園の一角が森になり、ビルの隙間に異世界の植物が生える。

そして――黒い影が映る。


サラリーマン風。

OL風。

どれも、遠目には普通の人に見える。

でも、近づくと分かる。輪郭が“煤”で、端々に文字列が走っている。


さらに、もう一つ。

猫の形をした黒い影が、ぴょん、と跳ねた。


一見、かわいい。

猫みたいに軽く、素早く、走って、飛び跳ねる。

でも、毛並みがない。煤の塊。

尻尾の先から、青白い文字列がひらひら漏れる。


「なに、あれ……猫?」

「撮れる? 撮って!」

スマホが一斉に上がる。


――そして、現場が一斉にざわつく。

影猫が、子どものほうへ寄った。

無邪気な動き。なのに、近づくほど空気が冷える。


大人が慌てて引き戻す。

「触るな! 近づくな!」


◆ ◆ ◆


【現実世界・連絡回線/木崎→城ヶ峰】


木崎の声が、少し掠れている。

「……撮れた。送る。これ、普通じゃない。影が“文字”でできてる」


画面越しに、連写の画像が届く。

森の縁。黒い人影。

そして、跳ねる猫影。


城ヶ峰は画像を一枚ずつ拡大し、目を細めた。

「……現場ごとにパターンが違う。だが共通してる。煤と、文字列」


木崎が早口になる。

「一般の警官も現場に出てる。誘導してる。まともな人もいる。

でも、混ざるなら……やれる」


城ヶ峰は短く返す。

「混乱を増やすな。まず切り分ける」

「分かってる。だから送ってんだろ」


◆ ◆ ◆


【現実世界・政府緊急対応(報道)】


「警察・自衛隊・自治体が連携し、緊急の対策本部を設置――」

「転移現象を“特別事態”として扱い、避難と封鎖を優先――」


画面のテロップが流れる。

街の秩序が、別の秩序に塗り替えられていく。


城ヶ峰は端末を閉じ、息を吐いた。

「……世界が揺れてる。だが、中心は必ずある」


木崎からの追加の一枚。

影猫が跳ねた瞬間の写真。

煤が、ほんの一瞬だけ“人の手”みたいな形を作っている。


城ヶ峰の目が冷える。

「……かわいい顔で近づく。最悪だな」


◆ ◆ ◆


【異世界・王都イルダ/市場区画】


黒い人影が、もう一体、増えた。

サラリーマンの形が、街灯の下で揺れる。

OLの形が、石畳を滑るように近づく。


ヴェルニが舌打ちする。

「獣より、こっちが気持ち悪いな」

ダミエが小さく言う。

「……結界、効く。でも、数が増えると、貼り替えが追いつかない」


イデールが、民の手を握って笑う。

「大丈夫。ここは守るよ〜」

その笑顔の奥だけ、真剣だ。


アデルはリオと視線を合わせた。

「学園へ。状況把握。原因の匂いを掴む」

リオが頷く。

「行こう」


ノノの声が、少しだけ低くなる。

『気をつけて。影は“人のふり”が上手い。

 ……上手いほど、こっちの心が乱れる』


イルダの空に、薄い雲がかかる。

世界の境目が、またひとつ、呼吸したみたいに――空気が揺れた。


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