第十一話 記録の証人
地下の奥――“原記録層”。
青白い光が壁を走り、無数の文字列が浮かび上がる。
改竄されたコードの断片が、ノイズのように明滅していた。
「侵入反応、収まりません……外部からの干渉が続いてる」
セラの声はかすかに震えていた。
「誰かがこの層の記録にアクセスしてる。
――“真実”を、上書きしようとしてる」
リオが剣を構え、ハレルが隣に立つ。
「つまり、今まさに改竄が進行中……?」
「そう。だけど私たちがここにいる限り、完全には終わらない。」
セラは周囲を見回した。
輪郭はすでにノイズに覆われ、声も電子音のように揺れている。
「……急いで。私の稼働時間、あと数分。」
ハレルはうなずき、祭壇のような台座に近づいた。
中央には水晶装置が埋め込まれ、封印紋が青く脈動している。
セラの指が触れた瞬間、塔全体――いや、地下構造そのものがわずかに震えた。
――映像が、再生される。
暗い部屋。
机に座る柏木先生――いや、アルディア大臣。
その背後に、黒衣の人物が立っていた。
顔はフードの影で見えない。
手にした観測端末をかざすと、部屋の記録がゆがみ始める。
「やめろ、そのデータは……!」
柏木の叫びが反響する。
「“記録”を正すだけだ。観測者の時代は終わった。」
短く返す声。その手が光を放ち、刃が胸を貫いた。
――柏木の体が崩れる。
ハレルの喉がひりつく。
「これが……真実の記録……。」
「行政庁の塔で証拠をでっちあげて、記録まで上書きしたわけだ。手が込んでるな。」
だが映像はそこで終わらなかった。
黒衣の人物がフードを外す。
現れたのは、記録庁副官・カシウス。
リオの目が見開かれた。
「カシウス……お前が……!」
「知り合いか?」
「……かつての上官だ。俺を“観測官候補”として育てた人物。」
セラの声がかすかに震えた。
「カシウスは、“観測理論”を否定した。
記録を保つよりも、世界を“最適化”する方が正しいと信じていた。」
ハレルが装置を見つめながら問いかける。
「セラ……“観測官”って、何をする人なんだ?」
セラは少しだけ微笑んだ。
「観測官は、“世界の記録”を守る役目を持つ人たち。
この世界では、出来事は“誰かが見た”とき初めて形になる。
――それを観測理論というの。」
「見た瞬間に、形になる?」
「ええ。観測とは、“起きたことを確定させる行為”よ。
私たち観測官は、その確定された記録――“ログ”を保管し、
もし誰かが書き換えようとしたとき、それを検知する。」
セラの瞳が、淡い光を帯びた。
「世界は観測でできている。
でも、観測された“記録”が誰かに上書きされたら……
真実は、嘘に変わる。だから観測官がいるの。」
ハレルは唇を噛んだ。
「つまり、“真実を守る者”じゃなく、“真実を作る者”になったんだ……。」
再生映像の中で、カシウスが小型端末を操作する。
映像の柏木が倒れると同時に、画面全体がノイズで塗り潰される。
――それが、“上書き”の瞬間だった。
「これで“犯人”は、カシウスで確定だな。」
リオの声には怒りが滲む。
「だが、奴はいまどこにいる……?」
セラは沈黙したまま、祭壇の奥を見つめる。
「……居場所は、記録から抹消されている。」
そのとき、リオが装置の奥に手を伸ばした。
封印の紋が光り、内部から小さな破片が浮かび上がる。
焦げたように黒ずんだ銀の欠片――ネックレスの微細な破片だった。
「これは……先生の所持品にあった“観測鍵”と同じ材質……!」
セラが静かにうなずく。
「そう。アルディアが使っていた“観測鍵”は、複製体で本来ひとつの装置。
実験の暴走で割れ、三つの形でこの世界に散ったの。
一つは、柏木の死後に“証拠”として軍服の男によって回収され、記録庁に保管された。
もう一つは、行政庁の塔――偽装現場に置かれ、リオが拾い上げた。
そして最後の微細な破片が、この地下の原記録層に残されていた。」
ハレルはゆっくりと胸元に触れた。
そこには、父から譲り受けたカメラ付きのネックレス――
**観測鍵**があった。
セラの瞳が優しく光る。
「あなたの持つ“鍵”は、彼らが模倣しようとした“主観測鍵”。
現実と異世界、両方の“存在を記録”する本物。
あなたの父――雲賀匠が託したもの。」
ハレルの目が見開かれる。
「……父が? それじゃ、先生と父は……」
「繋がっていた。現実に託すために動いていた。」
ハレルの胸のネックレスが共鳴し、青い光を放った。
地下の壁面に無数の文字列が浮かび上がる。
それは光の粒で編まれた“記録コード”――世界の構成情報。
《記録の改竄検出――再構築開始》
光の帯が塔の中心に集まり、まるで巨大なデータ樹のように枝を伸ばしていく。
枝の先には、事件の映像が次々と再生されていた。
“大臣アルディア”が倒れる瞬間、“リオ”が剣を構える偽の映像――
壁一面に浮かぶ光の文字が回転を始め、リオと柏木先生の姿が重なっていく。
すべての嘘が剥がれ落ち、真実だけが残る。
「でも、どうなる?」
「改竄記録を“消す”には、観測者が犠牲を払う必要がある。」
「犠牲……?」
セラは微笑んだ。
「大丈夫。私は、そのために生まれた。」
壁の光がさらに強くなる。
セラの身体が透け、内部に無数の記録コードが流れ始める。
まるで、彼女自身が“修復プログラム”そのものになったようだった。
「待て、セラ!」
ハレルが叫ぶ。
セラは振り向き、静かに微笑んだ。
「観測者ハレル。記録を託す。――真実を見失わないで。」
光が彼女の体を包み込み、粒子が空へ舞い上がる。
地下室の中の記録コードが渦を巻き、改竄データを焼き尽くすように純白の炎を上げた。
次の瞬間、眩い閃光が塔を貫き、すべての光が消えた。
ハレルは目を閉じた。
――静寂。
壁に残ったのは、ひとつの新しい記録。
《確定記録:リオ・アーデン 無実/犯人:カシウス/動機:観測鍵流出阻止》
それがこの世界の“新たな真実”として刻まれていた。
セラの姿は、もうなかった。
リオが低く呟く。
「これで……“大臣殺害事件”は終わった、のか?」
ハレルは答えず、胸のネックレスを握りしめた。
青い光がまだ微かに灯っている。
――まるで、セラの意識がそこに宿っているかのように。
「……終わってない。 真実は、これからだ。」
リオが黙って頷く。
天井の裂け目から、地上の朝光がわずかに差し込んだ。
その光の中、ハレルの瞳に新たな決意が宿った。




