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異世界殺人―クロスゲート・サスペンス―  作者: 橘靖竜
第八章 混濁転移世界

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第百九話 動員、そして境界

◆ ◆ ◆


【異世界・王都イルダ/王国警備局・作戦庁舎】


王都の鐘が、短く、強く鳴った。

祝祭の鐘じゃない。火災の鐘でもない。

――“動員”の鐘だ。


石造りの廊下に、靴音が増える。

鎧の擦れる音、杖の先が床を叩く音、包帯箱が揺れる音。

いつもなら静かな警備局が、ひとつの生き物みたいに呼吸を変えていく。


アデルは作戦板の前で立ち止まった。

地図に刺さった針が、王都のあちこちで赤く光っている。

同じ質の“膜”。同じ匂いの“煤”。


リオが横に立つ。マスクは外していない。

目だけが、いつもより鋭い。


「……王都だけじゃないな」


『うん。王都が一番人が多い。だから、ここが一番危ない』

ノノの声がイヤーカフから飛ぶ。

『今、各地点の“白膜”の立ち方が揃ってきてる。偶然じゃない。合わせてる』


「合わせてる、って……誰が」

リオが低く言う。


ノノは答えを濁さない。

『分かんない。でも、“開け方”を知ってるやつ。しかも、複数箇所で同時に』


その瞬間、扉が開いた。

室内の空気が一段変わる。魔力の匂いが混じる。


「呼んだか、アデル!」

よく通る声。自信が先に歩いてくるみたいな声。


入ってきた男は長身で、痩せていて、端正な顔立ち。

紺色の髪が、照明に当たった瞬間だけ青く光って見えた。

やや短めの髪が揺れるのに合わせて、外套の裾が風を引く。


「魔術部隊隊長、ヴェルニ=シュナイダーだ。遅れてないだろ?」

言いながら、アデルの顔を見る。距離が近い。

アデルは半歩だけ下がった。


「遅れてない。……近い」


「近い方が話が早い」


リオが小さく咳払いをする。

ヴェルニはやっとリオに視線を寄こし、にやりと笑った。

「お、例の鍵持ち。噂は聞いてる」


噂、という言い方に、アデルの眉がほんの少し動く。

「今は噂を広げるな」


「分かってる分かってる。――で?」

ヴェルニは地図の赤点を見て、指先を鳴らした。

乾いた音が、妙に軽い。


「煤の影? 白い膜? 結界? なら、焼けばいい。吹き飛ばせばいい」

言い切る顔は、ほんとにそう思っている顔だった。


その次の瞬間、扉の影から“気配が小さい”人物が滑り込んだ。

制服が大きすぎる。フードを深く被り、襟が口元まで隠れている。

見えるのは目だけ。光を反射しない、冷たい目。


「……結界。焼く前に、分ける」

低い声。短い言葉。


ノノがイヤーカフ越しに、息を吐いたのが分かった。


「来た。結界部隊」

アデルが頷く。


「結界部隊隊長、ダミエ=モノグラム」

アデルが紹介すると、ダミエは小さく顎を引いた。挨拶の代わりみたいに。


ヴェルニが腕を組む。

「ちっさ……」


「言うな」

アデルが即座に返す。


ダミエは気にしていないのか、地図を覗き込み、急に言葉が増えた。

「白膜は、境界の“縫い目”。縫い目がほどけると、勝手に繋がる」

「繋がると、煤が流れてくる」

「煤は、捕縛が効かない。だから、隔てる。閉じる。重ねる。薄いところを補強する」

息継ぎが少ない。結界の話になると止まらない。


ヴェルニが口を挟む。

「閉じる閉じるって、閉じて間に合うのかよ。増えてんだろ?」


「増えてる。だから、優先順位」

ダミエは淡々と返した。

「人が多い場所。医療棟周辺。市場。城壁下。……守るべきところ」


医療棟。

リオの肩が、ほんの少しだけ固くなる。


その時、別の扉が開き、柔らかい香りが流れ込んだ。

笑顔が先に入ってくる。


「みんな、顔がこわいよ~」

ゆっくりした声。のんびりしているのに、場を落ち着かせる声。


長身の女性が歩いてきた。

茶髪の長い三つ編みを背にまとめ、いつもニコニコしている。

けれど目だけは、状況を全部見ている目。


「治療班隊長、イデール=エピ。呼ばれたから来たよ~」

言いながら、アデルの肩にそっと手を置いた。

「無理しないでね。今の王都、みんなが無理するから」


アデルは短く頷く。

「頼む」


イデールはリオを見て、ふわっと微笑んだ。

「あなたも。……大事な人、守ってる顔だね」


リオは返事の代わりに、視線を落とした。

言葉にしたら、揺れる。


作戦板の前で、城壁下の赤点が一段濃く点滅した。

ノノが言う。

『来た。今、出た』


◆ ◆ ◆


【異世界・王都イルダ/城壁下の通り】


透明な壁の向こうで、黒い影が揺れている。

役人みたいな輪郭。けれど顔がない。煤の塊。

文字列の端がちらつき、風もないのに“布”のように波打った。


周囲の民が、遠巻きに固まる。

「なにあれ……」

「人、なのか?」

声が震える。


そこへ、隊列が来た。

杖を持つ者たち。魔術部隊。

札束を抱えた者たち。結界部隊。

担架と薬箱。治療班。


そして、先頭にアデル。

横にリオ。

少し後ろで、ヴェルニが楽しそうに口角を上げ、

ダミエが地面を見て“縫い目”を探し、

イデールが周囲の民の顔色を確認していた。


ヴェルニが手を上げる。

「俺が先に吹き飛ばす」


アデルが止める。

「先に分ける。民がいる」


「分かった分かった。……でも、派手にいくぞ?」


ダミエがぼそっと言う。

「派手は、縫い目を広げる。慎重に」


「え、結界ってそういうもん?」

ヴェルニが笑いかけるが、ダミエは笑わない。


アデルが短く言った。

「やる」


ダミエが一歩前へ出て、フードの影のまま詠唱した。

「〈遮断結界・第一級〉――境よ、ここに“線”を引け」


地面に淡い光が走り、通りを横切る透明な膜が重なる。

一枚、二枚。

薄いのに、確かに“境界”の手応えが生まれる。


民の中から、息を呑む音。

「……光の壁?」

「結界……?」


誰かが膝から崩れそうになり、イデールがそっと支えた。

「大丈夫だよ。呼吸してね」


黒い影が、壁に触れた。

ざらり、と空気が擦れる。

影が“押される”ように後ろへずれた。


『今』

ノノの声が飛ぶ。


リオが掌を出す。

「〈捕縛・第三級〉――『鎖よ、絡め』!」


鎖の光が、影の“周囲”を巻く。

実体を縛るんじゃない。

境界ごと、輪郭を“固定”する。


影が首を傾げた。

普通の人間みたいな動作なのに、遅れていて、気味が悪い。


そして、声が出た。

「……こんにちは」


雑談みたいな口調。

それが、いちばん怖かった。


ヴェルニが目を細める。

「気持ち悪いな。……燃やすか」


アデルが首を振る。

「燃やすのは最後」


「了解、アデルのお願いなら我慢する」


ヴェルニは不満そうに笑い、代わりに指先に風を集める。

髪が揺れる。外套が鳴る。

「〈第四階位・風圧〉――『押し返せ』」


風が壁に沿って走り、黒い影を“線の外”へ押し戻す。

影が揺れて、文字列が一瞬、濃く浮いた。


民がざわめく。

「……字?」

「今、体に……何か走った」


ダミエが低く言う。

「見ない方がいい。覚える」


その一言で、民は視線を逸らす。

イデールが小さく頷き、民を後ろへ誘導した。

「こっちへ。ゆっくりでいいよ~」


アデルは影を見据えたまま、短く言う。

「王都は渡さない」

それだけで、兵たちの背筋が揃った。


◆ ◆ ◆


【現実世界・海外都市/交差点】


信号が、点滅した。

次の瞬間、道路の向こうのビル群の輪郭が“ざらつく”。


人々が立ち止まり、スマホを上げる。

画面に白いノイズが走る。

何人かが叫ぶ。

「映らない!」

「写真が変!」


そこへ、若い警察官が現れる。

端正な顔。落ち着いた声。

「危険です。こちらへ。――撮影は控えて」


人の流れが、その声に従って動く。

助かるはずの動き。

でも、なぜか背中が冷える。


交差点の端で、黒い“会社員”の影が、ゆっくり首を上げた。

文字列の煤が、靴音もなく近づいてくる。


警察官は一歩前へ出て、手を上げる。

「大丈夫。落ち着いて」


その声は、親切だ。

親切すぎる。

まるで――秩序の顔をした何かが、秩序を使っているみたいに。


◆ ◆ ◆


【異世界・王都イルダ/城壁下の通り】


透明な壁の向こうで、黒い影が押し戻されていく。

完全には消えない。

でも、通りへは入れない。


ノノの声が、いつもより少しだけ硬い。

『……これで一箇所は抑えた。でも、他も同時に来てる』

『王都全体が、試されてる』


アデルが頷く。

「動員は正解だった」


リオが息を吐く。

「……ユナの守りも厚くなった。今はそれだけでも助かる」


ヴェルニが肩をすくめた。

「じゃ、次行こうぜ。俺、燃やせる場所を探してる」


「探さなくていい」

アデルが即答する。


イデールがくすっと笑った。

「ふたり、相変わらずだね~」


ダミエが小さく言う。

「次は市場。人が多い。……縫い目が薄い」


アデルは剣を握り直した。

王都の混乱は、始まったばかりだ。

そして、現実側も――同じように揺れている。


白い膜が、世界のあちこちで呼吸を始めていた。


◆ ◆ ◆


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