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異世界殺人―クロスゲート・サスペンス―  作者: 橘靖竜
第七章 学園異世界転移編

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第百四話 文字列の棘

◆ ◆ ◆


【異世界・王都/警備局医療棟・門周辺】


地面の円が、まだ生きていた。

青白いプログラム文字列が、

虫の群れみたいに地表を這い回り、時々ふっと“跳ねる”。


円の中心から伸びた片腕が、石畳を掻いた。

爪が削る音は金属みたいに硬くて、耳の奥に残る。


その先に――頭。

カイトの顔。だけど目は白目のない真っ黒。


「……あれぇ。ボクたち、こんなに外って冷たかったっけ」


声が重なって聞こえる。

子どもの調子なのに、老いた声が混じる。笑い方だけが軽い。


アデルは剣を水平に構え、門前に立った。

結界の膜は、何枚も重なって揺れている。揺れるのに、割れない。


代用サロゲート。ここから先は通さない」


「通す、通さないって……ねえ。ボク、器を借りてるだけだよ?」

サロゲートが首を傾げた。

「借りてるのに、返す場所がないの。だから戻るの。戻らないと、散らばっちゃう」


リオはマスクの奥で息を整え、掌を前へ出す。

鎖を出すときの、あの集中の顔。


「散らばるなら、散らばせない。……無理やり戻すのは、もっとだめだ」


サロゲートは笑った。

「正しい、ってむずかしいねえ。ボクたち、正しいこと、あんまり覚えてない」


足元の円が一段明るくなり、文字列が“逆流”する。

腕がもう一本、ずるり、と出ようとして――結界の膜にぶつかった。


ドン、と鈍い音。

膜がしなる。石畳の上の光が歪む。


アデルが低く息を吐いた。

「来る」


リオが一歩踏み出す。


「〈捕縛・第二級〉――『鎖よ、縫え』!」


光の鎖が走り、サロゲートの上半身に巻きつく。

肩、胸、腕。逃げ道を減らすように“縫い止める”。


だが――鎖の表面に、青白い文字列がにじんだ。

鎖そのものが書き換えられていくみたいに、形がほどけ始める。


「わ、これ好き。懐かしい。……でもね」

サロゲートが嬉しそうに言う。

「ボクたち、ひとりじゃないんだ。

 ほら、文字がいっぱい。みんな、ここにいる」


リオの背中が冷える。

(ほどける……!)


イヤーカフからノノの声が飛ぶ。リオとアデルに、いつもの早さで。

『円の外周、三つ“節”がある。数字の密度が濃いところ』

『そこ押さえられたら、戻り方、鈍る。

 リオ、正面の節。アデル、右。隊員、左いける?』


「いけます!」と隊員が即答し、槍を地面に突き立てるように構える。


アデルが剣先を地面に向けた。

剣先から淡い光が滴り、石畳に線が引かれる。


「〈結界杭・第二級〉――光よ、地に刺さって」


パッ、と光の杭が立つ。一本、二本、三本。

円の“右”の節を囲むように、光が地面を縫った。


隊員も同じように声を合わせる。

「〈結界杭・第三級〉――『留めろ』!」


左の節に小さな杭が打ち込まれ、文字列の流れが一瞬だけ詰まった。

まるで血管が押さえられたみたいに、円の脈が乱れる。


サロゲートが「あれ?」と笑みを薄くする。

「……いじわる」


その瞬間、胸の焼け跡の板と紋が熱を持ち、炎が噴いた。

火は派手じゃない。狙いが鋭い。結界の“継ぎ目”へ刺してくる。


「〈焼痕標・第二級〉――『ここだよ』」


炎が床を走り、光の杭の根元に焼け跡みたいな印を残す。

印が増えるほど、座標が“固定”されていく。引っ張る力が強くなる。


アデルがすぐに重ねた。

「〈大結界・第一級〉――光よ、“壁”をもう一枚」


膜が増え、門前の空間が分厚くなる。

炎が膜に触れて、じゅ、と音を立てて消えた。


リオは正面の節へ視線を固定し、掌を強く握る。

「……今、止める」


「〈捕縛・第二級〉――『締めろ』!」


鎖が一気に締まり、サロゲートの上半身を“円の中心”へ引き戻す。

サロゲートの顔が一瞬だけ歪む。笑っているのに、目が黒いまま揺れた。


「……やだ。まだ外、見たいのに」


だが円の文字列が詰まり始めている。

杭に押さえられ、流れが乱れ、戻る力が自分を引っ張る。


サロゲートの片腕が、石畳を掴んだ。

指が石を削り、爪が欠けるほど力を入れる。


「貸してる器、返したくないよ。……ボクたち、まだ遊べるもん」


リオが歯を食いしばる。

「遊びじゃない」


アデルが一歩前へ出て、剣を下げた。声は低くて、でも冷静だ。

「戻るなら、全部戻れ。欠けたまま来るな」


サロゲートがくすっと笑う。

「欠けてるほうが、楽しいのに」


そして、最後にもう一度だけ炎が跳ねた。

杭の一本に当たり、光がひとつ、バチンと弾ける。


隊員が息を呑む。

「結界が――」


アデルは眉ひとつ動かさず、剣先を床に押し当てた。

「大丈夫。私が持つ」


光の膜が、ぐっと厚くなる。

杭が一本欠けても、壁は崩れない。


リオが鎖を引いた。

サロゲートの上半身が、ずるり、と円の中へ戻っていく。


「またねえ」

混じった声が、少し遠くなる。

「ボクたち、戻り方、覚えちゃったから」


最後に、黒い瞳だけがこちらを見た。

そして――引きずり込まれる。


円の光が一拍だけ弱まった。

文字列の流れも、いったん落ち着く。


……落ち着いた、はずだった。


円の縁から、煤みたいな“黒い欠片”が、ぬるりと滑り出した。

欠片の端々に、青白い文字列が絡んでいる。薄く、でもしつこい。


欠片は結界の膜の隙間を探すみたいに、医療棟側へにじむ。


リオが気づいて息を止める。

「……残りが」


アデルが小さく舌打ちしそうになって、こらえた。

「ノノ」


イヤーカフ越しに、ノノの声が一瞬だけ硬くなる。

『それ、戻り損ねの破片。……追ってくる。気をつけて』


◆ ◆ ◆


【異世界・王都/警備局医療棟・病室】


ハレルは胸元の主鍵を押さえた。

熱が、さっきとは違う。熱いのに、冷たい。矛盾した感覚。


サキもスマホを握りしめる。

画面は暗いのに、掌の中がじわじわ熱い。


ベッドの上のユナの呼吸が、ほんの少しだけ強くなる。

指先が、かすかに動いた――ように見えた。


「……今、動いた?」

サキが小声で言う。


ハレルは頷きかけて、窓の外の光を見た。

門のほうの青白い脈が、いったん弱まっている。


「リオたちが……押し返した」


そのとき、サキのスマホが震えた。

通知。たった一行。


《扉を開けるな》


短い。説明もない。

でも、心臓が跳ねる。“知ってる誰か”の言い方だった。


サキが息を吸い、ハレルを見る。

「……また、来た」


ハレルはうなずく。

「今は、ここを守る」


病室に残った隊員が、扉のほうへ身体を向ける。

「来ても、通しません」


窓の外で、青白い光がまた一瞬だけ“跳ねた”。

小さな欠片が、こちらへ向かっている気がした。


◆ ◆ ◆


【現実世界・学園跡地/石造建物・内部/金属扉前】


扉の隙間から漏れる青白い文字列の光は、霧みたいに薄い。

でも、見ているだけで目の奥が痛くなる。


城ヶ峰が指を二本立てた。

左右に散れ、という合図。


特殊部隊が無言で動き、銃口を扉へ向ける。

木崎はカメラを構えるが、シャッターを切る音すら怖くて、指が止まる。


日下部はノートパソコンを抱えたまま、扉の紋を見つめていた。

顔色はまだ悪い。なのに目だけが妙に冴えている。


「……この感じ」

日下部が呟く。

「クロスゲート社のサーバ室で、似た空気を嗅いだことがある。

 ……コードの匂いと、焦げた匂いが混ざってる」


城ヶ峰が低く言う。

「開ける」


特殊部隊員が工具でロック部を押さえ、ゆっくり扉を引いた。


ギ……と、金属が鳴る。

その音が、やけに遠くに聞こえる。ここだけ音の距離が狂っている。


隙間が開き、青白い光が床へ流れ出した。


――床に、円。


薄い円が描かれ、その上を文字列が走っている。

まるで“足元に置かれた罠”みたいに。


「踏むな」

城ヶ峰が即座に止める。


全員が息を詰めたまま、円の外側だけを見て前へ覗く。


奥は、研究施設だった。

太いケーブルの束。端末の残骸。樹脂が溶けて固まった塊。

壁には魔術の紋みたいな線が増え、途中から“文字列”に見える。


日下部が唇を噛む。

「……ここだ。俺が感じてた“根っこ”」


その時、通路の奥で――

コツ、コツ、と足音がした。


革靴が床を叩く音。

まるで、普通の会社員が廊下を歩いてくるみたいなリズム。


全員が固まる。

城ヶ峰が指を立てる。息を殺せ。


暗闇の奥から、黒い影が現れた。

サラリーマンの輪郭。スーツの形。

でも全身が黒い煤みたいな影に覆われ、端々に青白い文字列が見える。


顔は見えない。

それなのに、口だけが“普通”に動いた気がした。


「いやぁ……今日は、残業っすね」


声は、世間話の声だった。

そのギャップが、背筋を凍らせる。


黒い影が、ゆっくりこちらへ向かってくる。

円の上の文字列が、わずかに反応した。


城ヶ峰は動かない。

誰も動けない。


息を止める。

心臓の音だけが、うるさい。


黒い影は、ふっと歩幅を変えた。

円を避けるように、こちらを“探す”ように――通路を横切っていく。


そして、通り過ぎながら、ぽつりと言った。

「……体、欲しいなあ」


背中が冷え切る。

影は奥へ消えた。足音だけが遠ざかる。


日下部が、肩を震わせながら小さく吐息を漏らす。

「……今のが、残留物」


木崎がやっと声を出す。

「ふざけんな……普通にしゃべるなよ……」


城ヶ峰は目を細め、扉の向こうの円を見る。

そして、低く言った。


「進む。……踏まずに、越える方法を考えろ」


青白い文字列が、床の円の上で、また一段速く走り始めた。

まるで“次”が来るのを待っているみたいに。


◆ ◆ ◆


医療棟の門では、欠けた破片がこちらを嗅いでいる。

現実側の扉の先では、円が“罠”として息をしている。


二つの世界の文字列が、同じ匂いで繋がり始めていた。


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