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異世界殺人―クロスゲート・サスペンス―  作者: 橘靖竜
第七章 学園異世界転移編

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第百三話 欠けた帰還者

◆ ◆ ◆


【異世界・王都/警備局医療棟・病室】


ユナの呼吸は、静かに続いていた。

胸がわずかに上下するたび、

リオの肩の力が少しずつほどけていく――はずだった。


窓の外で、また空気が“ずれた”。

遠くの門のほうから、青白い光が脈打つのが見える。


リオが窓に近づき、拳を握る。

「……戻ろうとしてる」


アデルも同じ方向を見る。表情は崩さないのに、目だけが鋭い。

「さっきの“円”が、終わってない」


ハレルは主鍵を胸元に押さえた。まだ熱が残っている。

熱は、ユナが戻った証拠でもあり――

外の“未処理”が残っている証拠でもあった。


サキがベッド脇から離れないまま、声を絞る。

「……また、来るの?」


イヤーカフからノノ。

『門の周辺、文字列が増えてる。戻り方が乱暴。

 ……破片だけじゃない、無理やり“核”を引っ張ってる感じ』

『このままだと、医療棟の結界に触れる』


アデルが短く息を吐いた。決めるのが早い。

「私とリオで行く。……決着をつける」


「私も――」とハレルが言いかけた瞬間、アデルは首を振った。

「ユナから離れないほうがいい。今はまだ、戻ったばかりだ」


リオも、窓から目を離さずに言う。

「ここで崩れたら、全部ひっくり返る。……ハレル、頼む」


頼む、という言い方が重かった。

リオが誰かに“頼む”のは、たぶん滅多にない。


サキが唇を噛み、ハレルを見上げる。

「お兄ちゃん……」


ハレルは一瞬迷ってから、頷いた。

「分かった。ここは守る」


アデルは隊員に視線を向ける。

「ひとり、ここに残って。扉と窓、絶対に開けない。

 もし外が割れたら、まずユナを守って」


「了解です!」

隊員が即答し、ベッド脇に立つ。

槍を置き、代わりに短剣を手元へ。守るための構え。


もうひとりの隊員がアデルとリオに付く。

「私も行きます」


アデルは頷き、最後にユナの顔を一度だけ見た。

「……戻った。だから、今度は守る」


リオはユナの手に触れそうになって、触れずに拳を握り直す。

「行ってくる」


ハレルが言う。

「リオ、アデル――無事に戻れ」


サキも、震える声で続けた。

「……気をつけて」


二人は病室を出る。扉が閉まる。

その瞬間、病室の空気が少しだけ静かになった。


でも窓の外の青白い脈は、止まらない。


◆ ◆ ◆


【異世界・王都/医療棟前・門周辺】


門の外、森の縁に焼き付いた円が、まだ生きていた。

地面の上を、青白いプログラム文字列が虫みたいに走っている。


円の中心から伸びる片腕。

指が地面を掻き、爪が石を削る。


そして、頭が――にゅっと出た。


顔はカイトのはずなのに、目が違う。

白目のない真っ黒。

胸の焼け跡は、半導体みたいな板と魔術紋が覆い、そこにも文字列が絡んでいる。


「……あれぇ?」


声が混じる。子どもっぽい笑い方に、複数の声が重なる。

「ボク、消えたんじゃなかったっけ。ねえ、変だよね。……変だ、変だ」


アデルが剣を抜き、門の前に立つ。

代用サロゲート。ここで止める」


サロゲートは首を傾げる。人懐っこい仕草のまま、目だけが黒い。

「止める? なんで? ボクたち、ただ戻りたいだけなのに」


リオはマスクの下で息を整え、掌を前へ出した。

「戻りたいなら、正しい道で戻れ。……無理やりは、だめだ」


サロゲートが笑う。軽い。

「正しい道? へえ。正しい、って誰が決めるの?」


足元の円が一段明るくなり、文字列が跳ねた。

サロゲートの腕が、もう一本、ずるりと出ようとする。


リオが踏み出す。

「〈捕縛・第三級〉――『鎖よ、絡め』!」


光の鎖が空気を走り、サロゲートの上半身に巻き付く。

鎖が締まる――はずだった。


サロゲートは、笑ったまま肩を揺らす。

「わ、これ好き。懐かしい。

 ……でもね、ボクたち、ひとりじゃないんだ」


鎖の上を、青白い文字列が逆流した。

まるで鎖そのものが“書き換えられる”みたいに、形がほどけていく。


リオの背筋が冷える。

(ほどける……?)


アデルがすぐに重ねる。

「〈大結界・第一級〉――光よ、門前に“壁”を重ねて」


透明な膜が何枚も立ち、医療棟側への道を塞ぐ。

同時に、床の光の線が広がり、円を囲うように縁を作る。


サロゲートが、ぱち、と指を鳴らした。

「じゃあ、ボクも」


炎が、足元から噴き上がる。

熱は本物だ。空気が一気に乾く。


「〈焼痕標・第二級〉――『ここだよ』」


炎が一瞬だけ地面を舐め、円の上の文字列が濃くなる。

“目印”みたいに、座標が固定される感覚。空気がそこへ引っ張られる。


隊員が歯を食いしばり、槍を構えた。

「近づかせません!」


「〈火矢・第二級〉――『一直線』!」


赤い矢が走り、炎の縁を削る。

だがサロゲートは痛がらない。ただ楽しそうに笑う。


「わぁ、熱い。……熱いって、こういうことだっけ」


その言い方が怖い。

熱さを“思い出そうとしてる”みたいだった。


リオが鎖を握り直し、もう一度だけ力を込める。

「……今度は、ほどけさせない」


アデルが横で静かに言う。

「リオ。焦らない。医療棟のほうへは、私が絶対に通さない」


「うん」


ノノの声がイヤーカフから飛ぶ。

『円の文字列、増え方が変。さっきの青白い陣の“残り”を使ってる』

『……つまり、戻ろうとしてるのはサロゲートだけじゃない。後ろに、何か引っかかってる』


サロゲートが、にこ、と笑みを深くした。

「うん。引っかかってる。……だって、ボクたち、まだ途中だもん」


そして、黒い瞳がアデルを見る。

「副隊長さん。……カイトの顔、ちゃんと見てくれる?」


アデルの指が、ほんのわずかに止まった。

一瞬だけ、目が揺れる。

――カイト。信頼していた部下。死んだはずの肉体。


その“一瞬”を狙うみたいに、円の文字列が跳ね、鎖がまたほどけかけた。


リオが歯を食いしばる。

「アデル、大丈夫。……中身は違う」


アデルは目を戻し、短く頷いた。

「分かってる」


だがサロゲートは、その揺れを楽しむように笑っていた。

戦いは、ここから本気になる。


◆ ◆ ◆


【現実世界・学園跡地/石造建物・内部】


黒い影の“サラリーマン”が通り過ぎたあと、空気が少しだけ戻った。

呼吸ができる。けれど、安心はできない。

また探しに戻ってくる。そういう気配が、壁に残っている。


城ヶ峰が、指先だけで合図した。進む。音を立てるな。


特殊部隊がライトを落とし気味にして前へ出る。

木崎はカメラを胸に抱え、息を浅くしたまま付いていく。

日下部はノートパソコンを抱え、目だけを動かして周囲を追っていた。


奥へ進むほど、空気が変わる。


最初はただの古い石の通路だったのに、

角を曲がるたびに“研究施設の匂い”が濃くなる。


太いケーブルの束。

壁に打ち付けられた固定具。

床を這うコードが、黒い蔦みたいに絡まり合っている。


「……こんなの、学園の地下にあるような設備じゃない」

木崎が小声で吐く。


城ヶ峰は前を見たまま、低く返す。

「元から、学園の設備じゃない。……ここは“残ってた”場所だ」


通路の脇に、端末の残骸があった。

画面は割れ、筐体の中が樹脂みたいな塊で埋まっている。

何だったのか分からない。

けれど、ただの壊れ方じゃない。溶けたように、歪んで固まっている。


床や壁には、魔術の紋に似た線が増えていた。

円、直線、三角。

それらが重なり合い、途中から“文字列”みたいに見える。


日下部がノートパソコンの画面を見て、眉を寄せる。

「……ここ、近い。……近いって、分かる」


「何が?」

木崎が聞くと、日下部は唇を噛んだ。


「説明が……できない。

でも、俺の中の“ずれ”が、ここで引っ張られてる」


城ヶ峰は短く頷く。

「だから来た」


通路の奥に、金属の扉が見えた。

古いのに新しい。補強された跡があり、周囲にだけ紋の線が濃い。


その扉の前で、全員が止まる。

誰も言葉を出さない。


――奥に、いる。


さっきの“サラリーマン”とは違う種類の気配。

もっと静かで、もっと重い。


城ヶ峰が小さく指を立てた。

開けるな、じゃない。準備だ。


特殊部隊が隊形を組み直す。

木崎はカメラを握り直し、日下部はノートパソコンを抱えたまま息を止める。


扉の向こうで、かすかな“カリ…カリ…”という音がした。

爪が石を削る音にも、文字列が擦れる音にも聞こえる。


そして、扉の隙間から――

青白い文字列みたいな光が、ふっと漏れた。


◆ ◆ ◆


医療棟の門では、サロゲートが笑いながら戦いを始めている。

現実側の奥では、研究施設の“根”が口を開けかけている。


どちらも、まだ終わっていない。


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