第十話 地下の真実
朝靄が街を覆っていた。
イルダの街並みはいつもより静まり返り、通りには誰もいない。
霧の向こうに灰色の塔がかすみ、崩れた屋根の影が地面を斑に染めている。
その塔の裏手。
アーチがひしゃげ、地下へと続く階段が口を開けていた。
吹き上げる冷気はまるで息をしているかのようで、
ハレルは背筋をすくめた。
「ここが……記録庁の本棟跡?」
「ええ。塔は“表層”に過ぎない。」
セラが指先をかざす。透明なバリアが火花を散らし、粉のように崩れた。
「真の記録は、この地下に封じられているの。」
石段を下りるたび、空気は重く冷たくなっていく。
壁を伝う水の音、遠くで鉄の軋む音。
足元に散らばるのは古びた端末の残骸――そして焼け焦げた記録カード。
「……これ、相当古い型だな」
リオがしゃがみこみ、破片を拾い上げる。
「記録ハッシュが改竄されてる。塔の映像を作るとき、ここをコピーしたな。」
「つまり――塔の事件は、ここを舞台化した“偽装”だった。」
セラの言葉に、ハレルの胸が跳ねた。
(じゃあ、僕らが見た血や悲鳴は……全部再現データ?)
“あの瞬間”が嘘で構成されていたという現実に、胃の奥が冷たくなる。
「中枢へのアクセスは?」
「封印コードが三重。解析に少し時間を。」
セラが床に手を触れると、青い光の線が放射状に走った。
壁の機械がうなりを上げ、停止していた照明が一つ、また一つと点く。
白い光が廊下を照らすと、そこに刻まれた無数の数式と文字列が浮かび上がる。
ハレルは思わず息をのんだ。
「……全部、“記録の骨格”か」
「この施設は、世界そのものを観測するための試験区画。
塔の事件もここから送信された“映像データ”を基に構築されていた。」
セラの声が微かに震えていた。
「改竄官たちは、真実を書き換え、偽りの世界を“正規記録”として登録したのよ。」
ハレルはリオを見た。
彼の目は暗く光り、奥底で怒りが燃えていた。
「柏木先生を殺したのは内部の改竄官。そして俺を犯人に仕立てたのも……同じ連中だ。」
「……なぜ、そこまでして?」
「記録を守るためだろう。いや、“守る”という名の支配だ。」
風が一瞬止み、奥の鉄扉が軋んだ。
セラが扉の中央に指を触れる。
封印の光が走り、ハレルのネックレスが共鳴した。
カチリ、と硬い音が響き、扉が静かに開く。
奥の部屋は薄明かるく、静寂が支配していた。
祭壇のような台座に水晶装置が安置され、
その表面には“記録波形”が脈動している。
壁の中には旧式の端末が何十も埋め込まれ、
どれも沈黙したままかすかに光を放っていた。
「ここが――“原記録層”。
この世界の根幹データが眠る場所。」
セラの声は祈りのように響いた。
リオが装置に手をかざす。
その瞬間、空間がわずかに歪み、壁面に幻影のような映像が浮かび上がった。
古びた書架。机に座る柏木――いや、アルディア大臣。
背後に、フードをかぶった影。
影の手が端末をかざすと、画面が一斉にノイズで塗り潰された。
「まさか……一ノ瀬、お前じゃ――」
「違う。」リオの声が鋭く響く。
「その時間、俺は結界塔の修復任務にいた。
だが“記録”では、俺が現場にいたことにされていた。」
ハレルは静かにうなずいた。
「つまり、記録そのものが偽装されてる。
犯人は“記録を操作できる者”――」
セラが口を開いた。
「観測庁の中枢にいた“改竄官”たち。彼らなら可能ね。」
リオの拳が震えた。
「なら、真犯人は……まだこの地下のどこかにいるかもしれない。」
その時、天井の照明が一斉に点滅した。
機械の低音が鳴り、どこか遠くで鐘のような音が響く。
セラが顔を上げた。
「アクセス反応……誰かが、外部からこの層に侵入してる。」
「外部? まだ観測庁に生き残りが?」
「いいえ……この波形、まるで“別の世界”からの干渉。」
ハレルの胸のネックレスが脈打った。
光が広がり、壁の文字列が淡く反転していく。
(……誰だ? この信号は……)
リオが剣を抜いた。
「行くぞ、ハレル。ここで終わらせる。」
ハレルは深く息を吸った。
――真実は、ここで繋がるのかもしれない。




