悟りを知らない美人インストラクターの悩み
私はヨガのインストラクターを渋谷界隈でしている。
小林 祐子 32歳独身。
廻りからはセレブでお金持ちと観られ、成功者だと思われている。
しかし、このヨガスタジオを維持するのためには、経費が莫大にかかる。
なにしろ家賃が高い。月50万だから。
でも、自分を高めてゆくには必要なものだった。
おかげさまで口コミを通してスタジオに来るお客さんは増えた。
早朝8時から開いているが、出勤前のOLが来るかと思いきや、
年配の男性が多い。白人、日本人、アジアン、イスラム、色々。
私の美ボディが目的なのはわかっていた。
ぴったりフィットしたヨガスーツは、見ようによってはかなりエロい。
自分でもわかってる。
とにかく顧客がいなければ、このスタジオを維持できない。
だから割り切っている。
高い月謝を払ってくれる人は私にとって神様だ。
時々デートに誘われる。
全て断っている。
普段は、早朝のヨガ教室が終わった後、軽く朝食を食べる。
私はビーガンなので、植物系のヨーグルトとバナナ。
それと、アーユルベーダ茶。
そしてその後、女性専用クラスを2つこなして、1日の仕事は終わり。
午後は自由気ままに渋谷か原宿を歩いて家路へ。
とりあえず、世間的に見たら、ヨガの美人インストラクターの成功譚だろう。
ある時、一人の生徒(女性)に聞かれた。
「先生は美を追求してるのですか?それとも悟りですか?」
痛い所を突かれた。
「どちらもよ。美を追求しながら、悟りも目指してる」
適当なことを言ってしまった。
まったく初心を忘れていた。
いつの間にか、美を追求するフィットネスクラブみたいになってたからだ。
彼女は私に初心を思い出させてくれた。
でも、ここに来るまで大変な努力をしたことは本当。
ヨガを志したときのきっかけは、救いを求めていたから。
人生が行き詰ていた。
仕事も恋も。
藁をもすがる気持ちで、ヨガの教室に入った。
そしてヨガの先生に救いを求めた。
当時は何もかも捨てたい生活をを送っていた。
仕事でパワハラ、セクハラ、恋人からはモラハラ。しまいには二股をかけられ、失恋。その後、アトピーに苦しみ、私の顔はボロボロに。仕事もやめ転々としてるうちに貯金も底をついた。
その時に天啓のようなものが私の中で芽生えた。
ヨガで人生を変えることができるのではないかと。
先生は本当に美人でスタイルが良かった。
40歳はとうに過ぎているのに、そのしなやかな身体は奇跡だった。
私もこうなりたい!
努力した。
食事も、肉を辞めてベジタリアンになった。
アトピーはどんどん良くなり、体もどんどん軽くなった。
ある日、先生に呼ばれた。
「私、スタジオをあなたに譲りたいの。私はインドに行ってくる。悟りを得る為に。あなたは一番悟りに近い状態にあるわ。だから私が帰ってくるまで、この教室を帰ってくるまで、あなたに託したいの。」
そう言い残して、先生はインドへ旅立った。
私は不安で押しつぶされそうになった。
案の定、恐れていた通り、それまでの生徒は、先生がいなくなると次々に脱会していった。
私は悟りに近いなんて嘘だ。
私にできることは、健康と美。
でも気が付いたら、生徒が一人だけになっていた。
私に悟りを目指してるかどうか聞いてきた生徒だった。
私より後から入ってきた子だったけど、決して美しい人とは思えなかった。
だから美しくなってほしいと本気で思ってたし、彼女もそうだと思い込んでいた。
しかし、一方で、私がスタジオを維持するために、あえて男性を引き付ける様な恰好をして男性客を増やしてきた。それがいけなかった。
あわてて、女性だけのクラスを作ったが、生徒は帰ってこなかった。
でも、彼女は不満があるのかも知れないのに、なんの文句も言わず、辞めなかった。
でも、ついに彼女の口から言われた。
「先生、私は先代の先生のように、悟りを目指していた頃が好きなんです。今の形でも構いませんが、悟りを目指すクラスを作ってくれませんか?」
そう言われても、私自身、悟りがなんたるかわかっていない。
「考えてみるわ」
でもどうすれば?
私はインドにいる先生に連絡を入れた。
「あなたが感じたことをやればいい。悟りなんて考えちゃいけない」
答えはシンプルだった。
悟りを目指すな
とにかく瞑想をしなさい。
先生に言われた通り、時間があれば瞑想をした。
女性の生徒も、少しずつではあったが増えてきた。
ある時、瞑想中に何かがはじけたような気がした。
悟りではないが、自分を外側から認識しているような感じ。
誰かに伝えたい。
本気でそうも思った。
あの彼女に終了後、私が感じたことを素直に言った。
「私は未だに悟りを得ていません。だけど、一緒に悟りを目指すことを目的にクラスは開けません。ただし瞑想は出来ます。瞑想クラスを作るので手伝ってください。」
私はついに彼女の賛同を得て、瞑想教室を開くことにした。
彼女は瞑想クラスでは生き生きとしていた。
瞑想はただただ座禅するだけ。
悟りは目指さない。
でも私と彼女は、究極の悟りとは何か?
という点で一致していた。
そしていつしか、私はホントの悟りを求めてインドに旅をしたくなった。
彼女もインドに行きたいと言った。
私はインドに電話をかけた。
「私と同じ道に来るのね」
インドで修業中の先生が言った。
「インドにはいろいろなマスターがいるわ。もしインドに来るなら紹介してあげる。それで、実は私は日本にもどるわ。日本でやりたいこと見つかったの。あなたに教室をあずけてよかった。大変な苦労をさせてごめんなさい。」
「そんなことはありません。私もインドで修業して悟りたいと思います」
「ほら、だめよ。悟りたいと思ってはダメ!」
そうだった。
悟りとは結果であり、目的ではないのだ。
究極の目的とはいかに生きるかであり、
悟りはその途中の成果でしかない。
私はひとまず教室を閉鎖することにした。
この先、何が起こるのかわからないが、不安はない。
そろそろお金の為にヨガをやることに辟易としてたし。
そう考えながら、瞑想していると、
過去に出会った人田との顔が次々と浮かんできた。
ふと、こんな言葉が浮かんできた。
私を不幸にしていた人たちを祝福する。
私に生きるきっかけを与えた人たちだから。
私は心から彼らに感謝した。
私はその人たちの上から花びらをかけた。
祝福する=愛なんだ。
私は光悦に震えていた。
そして涙が出てきた。
私は、既に悟っていたのかもしれない。
これが悟り?
ふと横を見ると彼女も泣いていた。
「あなたも悟ったのね」
「はい」
私たちはインドへ行くことを辞めた。
そして、先代にこの教室をお返しして、
自分の為に、あらたなヨガ教室を探すことにした。
彼女も独立することにしたらしい。
この悟りを一人でも多く、分かち合いたい!
その気持ちだけが、胸に高まった。
私の胸に大いなる愛が目覚めたのだ。
外見だけの美はヨガではない。
私は内面こそ美しくなるための、ヨガメサッドを目指す。
それこそが、真の平和をこの世界にもたらす。
悟りを得た後、私は自分の使命に気が付いたのである。
悟りはあくまできっかけ。
悟りを追求しても何もわからない。
人は何を悟るかではなく、どうやって生きるか。
それがわかれば、誰もがヨガマスターなのだ。
終わり




