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魔女の伝令兵

ソビエト連邦崩壊前夜、ゴルバチョフ書記長による情報公開(グラスノスチ)により、過去の様々な記憶が呼び起されることとなった。中には突飛なものもある。398実験飛行隊、通称「魔女の伝令兵」部隊はその最たるものだろう。設立は大戦中の1942年、ベラルーシやウクライナ農村部などにそれまで細々と生き長らえていた魔女たちによって構成される前代未聞の部隊である。この部隊は大戦中華々しい戦果を挙げたものの、戦後ひっそりと解体された。主人公である「私」ことスベトラーナ・アキーモビッチは、ジャーナリストとして、この魔女部隊に所属していた一人の女性兵カーチャへインタビューをする

破れ被れで適当に決まったと伝えられている。そうでなくては、ソビエト連邦軍内部に魔女による伝令兵部隊が結成される訳がない。一説にはモスクワを攻め落とされそうになって誰彼構わず徴兵したら、その中に魔女が混じっていたとも伝えられる。流石に黒ずくめの服装とどでかい箒は許されなかった。そもそも狙撃の良い的となる。だから軍属の魔女は、60cmほどに短く切った箒の柄に跨る訓練をこなさないといけないのだ。魔法を使えない身としては、箒の房の部分がなくなると飛べなくなるのではなどと勘ぐってしまう。実際にはそんな事もないそうで、要するに木の棒さえあれば空を飛べるらしい。魔女本人に聞いた話だから間違いはない。彼女の名前を、仮にカーチャとしておこう。

カーチャは大戦勃発当時は13才でしかなかった。彼女の一族は魔法を使えると指弾され、早くから強制収容所に入れられていた。スターリン体制下のソビエト連邦ではよく聞く話だ。確かに魔女は魔法が使えるが、それがどう反革命に結びつくのかというと、『魔法というのは非科学的であり、封建制度の遺物である』という理屈だったらしい。難癖も良いところだが、そんな事が罷り通っていたのがスターリン時代だ。そのまま収容所で暮らしていれば死んでいたかも知れなかった折り、大戦が勃発する。収容所の中でこのままくたばるより、例え戦地であっても外の世界へ飛び出したい。13才にして究極の選択をした少女の心中を察することなど出来ず、また私もついこの間ご本人にインタビューしたものの「そんな昔のことはもう覚えていないわ」とはぐらかされたままだった。


いずれにしろ、彼女たち魔女の伝令兵部隊が瞠目すべき活躍をこなしたのは歴史的事実であり、ソビエト連邦におけるプロパガンダ映画として「魔女の伝令兵」という作品まで作られたほどだった。だが私はそんな上っ面が見たい訳じゃない。一人の人間の中に二つの側面がある。模範的兵士、労働者の尖兵にして、祖国を守ろうとする不屈の少女たち、という物語ではどうしても覆いきれない部分、私が知りたいのはそこなのだ。だが幾ら詳しくカーチャの英雄譚を読みこなしても、そこからカーチャの内面を推し量ることは難しかった。だから直接、会いに行くことにした。

95年のある日、前々からジャーナリストとしての様々な人脈を通じて魔女の元伝令兵たちの消息を探っていた私は、とうとうカーチャとのインタビューを取り付けることに成功した。「魔女の伝令兵」という映画を作成した会社でカーチャの消息を知っていそうな人間をあたり、そこからまた人を手繰っていき・・、という作業の繰り返しの果てに、現在の住所、部屋に引かれている電話番号などを突き止めたのだった。

カーチャは当時67歳。この機会を逃せば次にいつ会えるか解ったものではなかった。私は急いでニューヨークに築いていた拠点からベルリンへの航空券を取り付けて、文字通り現地へ飛ぶ。飛行機の中で睡眠を取るつもりが、それ以上に原稿が積もり積もって寝る暇などなかった。幾ら賞を獲った所で貧乏暇なしとはよく言ったもので、相変わらず私の生活は原稿の締切を基準にして組み立てられている。私の母からすれば『そんな生活をしているから夫にも逃げられるし、子供も作れなかったんでしょう』という事になる。だが選んでしまった人生は今更変えられない。このカーチャは一体どんな人間なのだろうな、という想像をしながら慣れない手つきでワープロをカタカタと打ち込み続ける。当時購入したワープロには感動したものだった。タイプライターみたいに場所を取らないし、それこそ飛行機の中でも仕事が出来るからだ。

東西ベルリンを分断する壁がなくなった時、既に私は40過ぎだった。居ても立っても居られなくなり、現地に飛ぼうとした。まだ独立していなくて、確か大手の会社に籍を置いていた。自分の机を飛び立つ直前に上司から

「SA(私のイニシャルだ)!ベルリンに行ってこい。テレビは見たな?」

というぶっきら棒極まりない業務命令が飛んできたから

「もう準備出来てます。あと5分で会社を出られるわ」

と返したものだ。懐かしい。あれからもう6年経ってしまったとは。あの上司は最後の最後まで私の名前を正確に発音できず、イニシャルでしか私の事を呼ばなかった。確かに私はロシア系だから、英語圏の人々には発音しにくいのかも知れないけど。今もあの会社で元気にやっているのだろうか?

シェーネフェルト空港からタクシーで1時間ほどの距離にあるアパートにカーチャは住んでいるようだ。周りには公園が整備されていて、快適な老後の生活を過ごせそうだった。私はこういう所でゆっくりと時間を過ごす自分というものが想像つかなかったけれど、次の休暇はそうやってのんびりしてみようかな、と思うのだ。肝心の休暇がなかなかやってこないのが難点なのだけど。

カーチャはこのアパートの一室、3階の304号室に住んでいる。波乱万丈な人生を送ってきた彼女は最後にそうやって極々普通の家庭を手に入れたらしい。旦那さんと結婚されて2人の娘と2人の息子を出産、今は皆独立して家の中はすっかり寂しくなってしまったそうだ。羨ましくないと言えば嘘にはなる。私も一時期結婚していたけれど、そういうまともな結婚生活というのは想像が付かない。夫とは常にすれ違いの生活をしてきたし、最後まで子供を授かることもなかったからだろうか。大戦の英雄にも関わらず、赤軍を抜けて西ベルリンへ脱出した武勇伝、戦後西ベルリン地区で亡命者受け入れ窓口となった事実。そういった経歴とこの極々普通の家庭を営んできたという事実がどうにも私の中で繋がらず、頭を抱えながらインタビューを始めるのだった。


実際に会ってみたカーチャは、典型的なベルリンにいるおばあちゃんといった風貌だった。彼女は愛想良く私を迎えると、居間というかテーブルとキッチンが揃っている部屋に通してくれた。ここが居間らしい。

「よく来てくれたわね、アキーモビッチさん、なんて呼べばいいかしらね・・」

と問われたので、いつもそうであるようにお好きな様にどうぞと答えることにしている。だから彼女は以後、私のことをスベトラーナと呼ぶようになる。愛称で呼ばれても構わないのだが、私は何も言わずにそのままインタビューに入った。

「・・インタビューって何を話せばいいのかしらね」

「なんでも構いません。じゃ、困るでしょうね。そうですね、伝令兵部隊の思い出って何がありますか?」

そうねえ、とカーチャは一瞬口ごもってから彼女はポツポツと話を始めてくれた。一旦始まってしまえばこちらのものだ。後は聞き役に徹していればいい。下手に誘導するのは好ましくなく、飽くまでも素の彼女たちを描き出したいのだ。


「伝令兵部隊に入って最初にやらされたのは、箒の柄を短く切ることでした。次にその箒を背中に担いだ状態のまま、匍匐前進するの。来る日も来る日も。全てがそうだった!」

60cmの長さに切った箒の柄と同じくらいの長さの機関銃を背中に背負った状態でゆっくりと地面を這うように進む。これが魔女の伝令兵がこなす最初の軍事訓練らしい。

「冬場は寧ろいいのよ。寒いし、顔の皮膚がめくれるかと思うほどにしもやけを起こすけど、でも顔が汚れないでしょ。嫌なのは夏場。地面がぬかるんで、蚊とかアブとかが群がってきても身動き一つしちゃいけないの。敵に見つかって撃たれるのはそういう時だからね

「化粧なんてさせて貰えないわ。でもドーランというか、絵の具は支給して貰えました。それで顔に模様を塗りたくっていくの。それから木の枝や葉っぱを適当に軍服に付けていくんです。近くで見てもこんな事で本当に誤魔化せるのかしらねって思うのよ?でもね、5mも離れて御覧。そんな恰好でゆっくりと匍匐前進された日には、全く分からないわ。夜になると特にね。」

まさしく戦化粧だ。迷彩服が彼女たちのドレスであり、弾丸が彼女たちのネックレスだ。私には想像も付かない世界。

「だからね、魔女といっても、やることは普通の伝令兵そのものなのよ。でもアタシが違うのは、空を飛べるって所。つまり、地面から浮くことが出来る訳よね?そこが重宝されたのかも知れないわねえ。」

魔女の伝令兵が活躍したのは、地雷原の突破や、負傷者が乗ったタンカーを箒の柄に括りつけて後方まで輸送する任務であったという。

「地雷原を突破するときには、背中に括りつけた箒の柄を胸元にもってきて、地面から数cmだけ浮くの。あんまり高いと目立つからね。数cmだけよ。そんでもってのっそりのっそりと地面すれすれを進んでいくの。地面からちょっと浮かび上がった匍匐前進というとイメージつきやすいと思う。恰好悪いったらないわ。

「負傷者を救出する任務のときはもっと厄介だったわね。首尾よくタンカーが用意できりゃあいいけど、そうも言ってられないこともあるのね。そういう時はもう、彼らを紐で箒の柄に括り付けて、そのまま後方まで運び込むのよ。魔力を使って重いもの持ち上げるのって本当に疲れるから、皆滅多にやりたがらなかったけどね。」

事実とすれば危険極まりないし、それで死亡する魔女も後を絶たなかったことだろう。だが魔女達は喜々としてそういった危険な任務に志願していったのだ。

「だから大戦の英雄とか言われてるけど、中身はこんなものよ。こういう面倒で危険な任務を黙々とこなしてたら、いつしかごてごてした勲章貰ったってだけなの。

「結局、アタシ達なりの世間への復讐だったのかも知れない。魔女なんて非科学的な存在は我が祖国ソビエトには要らないんだ、とか格好いいこと抜かしといて、イザとなったらアタシたちに泣き付いてきた訳じゃないのよ。そういう情けない連中に、アタシ達の力を見せつけたかったのかも知れないし。単純に世間から必要とされて舞い上がっていたのかも知れない。今にして思えば随分と単純だと思う。何処まで行っても世間知らずのお嬢ちゃんよね」


私は大戦の英雄とされるカーチャに尋ねた。何が戦場で一番恐ろしい経験だったのか?てっきり戦地での地獄のような経験を聞かされるものと身構えていた私にとって、カーチャの返答は拍子抜けするものでただ一言「下着よ」とだけ彼女は呟く。

「あの頃のアタシ達は何もかもがありもの借りもので済ませていたの。それどころか下着も男モノしかないのよ。当然ぶっかぶか。それをハサミでチョキチョキと切ってアタシ達の体型に合うように直したものだわ。

「本当は官給品にそんな事しちゃいけないんだけどね。でもそれにしたって物事には限度ってものがあるわよ。そんで、女性の軍人さんたちが相当動き回ってくれてね。軍に入隊して1年ほどしたら漸く身体に合う下着が支給されたときの嬉しさといったら無かったわ。

「でもそういうものだと割り切って訓練していました。軍隊ってそういう所だと。それが一番恐ろしい経験ね。

俗な言い方をすれば、カーチャはまだ本音を晒してくれていなかった。何か外向きの態度みたいなもので自分の本音を隠している。別に根拠などないが、ジャーナリストとしての長年の経験でそう感じた私は、再度こう尋ねなおした。

「下着がぶかぶかなのはしょうがないですけど、だが銃で撃たれたら死にますよね。生きるか死ぬかの修羅場で、下着が女ものかどうかなんてそこまで気になるものなんですか?」

カーチャはその質問をされたら暫くの間、ジャム入りの紅茶を呑んでからこう答えた。

「スヴィータ、貴方、女として扱われないってどういう事か解る?」

いつの間にか私のことをスベトラーナさんではなく、スヴィータと愛称で呼ぶようになっている。少しは親しみを感じてくれる様になってくれたのか。

「お前なんて女じゃない。お前は女ではなく、魔女ですらなく、単なる箒で空を飛べるだけの偵察兵だ、歯車なんだって毎日のように叩き込まれる暮らしよ。大戦が終わった時代しか経験したことない貴方には解らないでしょうね。でもね、アタシ達には、切実な事だったの。

「他にも忘れない経験だってしたものよ。行軍中に生理が来ちゃってね。でもナプキンなんてないでしょ。だからズボンの真ん中から血が滴り落ちていくのよ。しかも血ってすぐに乾くから、暫くすると股ずれで歩いていると痛くなってくるのよね。でも替えのズボンなんてありゃしない。恥ずかしいったらなかったわ。中には泣いちゃって歩けなくなる子もいたわね。アタシも気持ちは解った。だって!ズボンを血で濡らしたまま歩くのよ!アタシたちが歩くと、血の跡がずーっと続いていくの。でも男の兵隊さんたちは見て見ぬふり。

「本当に女を否定された気分だった。生理ナプキンなんて支給されてないし、どうしようもないわよね。そこに救いの女神が現れた!何だと思う?川よ!2月の本当に寒い川!!そんな時だったら誰も好き好んで自分から入りたがらなかったんでしょうけど。でも女の子たちは我先にと飛び込んで必死でズボンに付いた自分の血をこすり取ろうとしていたの。ずっとね。そのまま凍傷になってしまう娘だっていたくらい。でもアタシたちは、寒さよりなにより恥ずかしさが優っていたのよ。最後まで女でありたかった。

「解りますよ。貴方は物書きだし。人間のこういう格好悪いドロドロした所を描き切るのが仕事。それはアタシにも解るわ。ただアタシは彼女たちの顔をあまり思い出したくなかったの。だから最初男モノの下着の話をしちゃったのかも知れないわね。この経験に比べたら、クルスク(注:クルスクで1943年に行われた大戦車戦)やレニングラード(41年~43年まで続いた包囲戦)も大したことありません。アタシにとっては、あの時に河に飛び込んでズボンに付いた血を取ろうとした経験ほど酷いものはないね。」

やはりもう一層、封をして閉じ込めておきたい記憶があったようだ。

「激戦区とか言われる戦地に赴いたことは何回かあります。でもね、そういうの、よく解らないわ。偉い人が大きな作戦を立てているんでしょうし、戦争に詳しい人は幾らでも解説できるんだろうけど。アタシはただ目の前の負傷兵を運んで、地面から浮きながらそーっと地雷原を抜けることが出来る、それだけなの。それに目の前激戦区だろうと他の所だろうと、目の前で人が死んでいく戦場だって所は一緒でしょ。だからアタシ達、そういう気にしないようにしてたわ」


私がカーチャというこの元少女兵に注目する理由はもう一つある。彼女たち伝令兵部隊は、戦後祖国に戻ることを許されなかった。彼女たち伝令兵部隊は、そのまま冷戦の最前線、東西ベルリンの境界線警備任務に投入されたのだ。何故祖国への帰還を許されなかったと思うのか、と本人に聞いたが

『党にとっては扱いが面倒だったからじゃないかしら?』

という身も蓋もない回答が返ってきて唖然とした記憶がある。科学的社会主義を奉じるソビエト連邦にとって、非科学的なこと極まりない魔女が祖国を救ったなどというのは政治的に面倒ではあっただろう。スターリン体制下であれば猶更のことだ。当時は何かにつけて社会主義的に振舞うことを強要されたらしい。

「一か月に一回くらい政治学習集会ってのが開かれるのよ。そんでアタシたちもそれらしい表情で難しい本を勉強させられるの。でもその集会のくだらない事ってなかったわね

「”マルクス=レーニン主義が如何に優れているか、とか西側は堕落しきっていてもう崩壊寸前、とかそんな念仏じみた話ばっかり聞かされるの。アタシは13で収容所に突っ込まれて、その後も学校みたいな所には殆ど行ってなかったじゃない?最初は勉強できるってのが嬉しくって仕方なかったんだけど、途中から飽きちゃった。本当にああいう先生たちってどうしてあんな退屈なことを真面目な表情でずーっと話続けることが出来るんでしょうかね。

「まぁそんな具合でね、アタシ以外の魔女も似たようなものなのよ。でも居眠りするって訳にもいかない。すると先生を困らせるような質問する娘がでてくるのね。

『教官殿!(そこで突然、カーチャは軍人らしい口調となった)魔女が共産主義者らしく空を飛ぶにはどうすれば良いのでありますか?』

『教官殿!魔法で空を飛ぶのとヘリコプターで空を飛ぶことの違いを共産主義の観点から教えてください。』

皆真面目ぶった表情でこんな質問ばっかりするのよ。いやになっちゃう」

私はそれを聞いた瞬間に笑ってしまったが、すぐにその対応が悪かったことに気が付く。この質問は彼女たち魔女の伝令兵部隊として、体制下で許される精一杯の抵抗だろう。当時の彼女は18才だった。本来であれば恋に夢中な時期だ。だがそんな時期に兵営の中で日々を過ごさねばならなかったカーチャの心境たるや、いかなものだっただろうか?しかも任務地は言葉も通じないドイツなのだ。勿論、ソビエト圏内であればロシア語は誰もが多少なりとも話せるとはいい条、やはり彼女たちにとってよその土地であることには変りなく、日々の生活は兵舎とその周りで閉じてしまうことが多かったそうだ。

「45年のベルリンってのは酷くてね。なーんにもないのよ。だって全部ナチスとの戦争で壊されちゃったのだからね・・。街中でアタシ達がパトロールしていると、それこそチビちゃん達がやってくるのは精神的にきつかったわ。それから女ね。妙に化粧の濃い女!!アタシ達アイツらは馬鹿にしてた。ともかく私はそういうなんていうのかしら、身体売ってる女たちに視線を向けないようにしていたわ。あっちだって哀れみを掛けて欲しくなかっただろうし、こちらも関わりたくなかったから」

戦争未亡人、或いは家族を食べさせていくために止むを得ず身体を売る女性たちがいたという話は私も知っている。だが彼女らのように人生を戦争に捧げた女性にしてみれば、そんな生き方は許せないのだろう。それまでの優しい口調が一転してしまったことに、私は言葉を続けることが出来なかった。

「でもまぁ要領のいい娘達はいてね。駐留軍の誰それと、まぁ夜となく昼となくいちゃついて・・。そのせいでお腹が膨らんじゃった娘も何人か居た。狙ってやったんでしょうけどね。軍としても大戦の英雄とされた魔女部隊から、そういうスキャンダルが出るだなんて。戦時中からプロパガンダ映画作って魔女部隊のこと宣伝してた手前、絶対に認める訳にもいかないだろうし。だからある程度お腹が膨れてくるとね、病気除隊扱いになってそのまんま故郷に返して貰えるのよ。生まれてくる子は、父無し子になるんだけど。そういう事が出来る人は気にしないんでしょう、きっと。ただアタシは逃げるんなら、正々堂々と正面から逃げる積りだった。これはもう、生き方っていうか考え方なんでしょうけどね。

それがカーチャが西ベルリンへ逃亡する理由付けの一つとなったのかも知れない。

「夜中よねぇ。境界線が綺麗なのって。貴方は若いから知らないでしょうけど・・・。真っ暗な占領地区の中でね、アメリカさんとかイギリスとかフランスが管理してる西地区。そっちだけは光り輝いているのよ。本当に真珠みたいに綺麗だったわぁ。で、当然アタシ達朝までグルグルと境界線回ってじゃない?箒に跨ってねぇ。そうなると惨めな気分になってくるの。だって相変わらずアタシ達の基地の周りは、瓦礫ばかり。立派なのは、例のスターリンだかレーニンだかの看板ばっかじゃない?でも西地区だと高いビルとかが犇めきあっているのよ。どっちが豊かな暮らしなんて、子供でも解りそうなものだったわ

「ま、一番きついのはさ。同世代の娘たちよ。西ベルリンにいる娘たち。着飾った恰好で米兵に黄色い声出しながら群がっているあの娘たちを見ると。境界線沿いだからね、時々そういう娘たちが視界に入ってくるのよ。その度に、なんでアタシの人生はああではないんだろう、とね。流石に戦争が終わったから顔にドーランとか塗りたくる必要はなくなっていたけど、汗臭いヨレヨレの迷彩服を着ている自分が嫌になるのはそういう瞬間よね。


ここでカーチャはお昼にしましょう、といって私をお昼ご飯に誘ってくれた。ベルリンで食べるお昼ご飯での定番メニューは、何と言ってもジャガイモとウィンナーソーセージ、そしてビールだ。旦那さんも一緒に食べるお昼ご飯は、それはそれは素晴らしく満ち足りたものではある。だが私にとって酒といえばウォッカであり、どうもこのビールというのはジュースじみているかな、とは思った。どうもこの、赤かったり黄色かったりするお酒には親しめそうにない。

カーチャさんの夫であるトンボさんは、当時70歳に差し掛かった所。老いたりとはいえ矍鑠としている。休日には一人とフラリと近所の公園へ行って風景画を描くことを趣味にしておられるとのことであり、20歳の不良少年の面影を見出すことは難しかった。シュリッペと呼ばれる焼きたてのドイツパンを食べながらトンボさんがポツリポツリと話し始めた。

「ある日東側と西側で通貨が切り替えられてね。それからじゃないか。西側の方がドンドン豊かになっていって・・・。丁度アメリカさんから援助がジャンジャカ入ってきた頃合いだったからね。両替所のレートとか見ていたら面白いんだ。東側のオストマルクの価値が、西のドイツマルクに比べて日を追うごとに落ちていく一方なんだから。

「非番の日になると仲間と一緒に西ベルリンへ出向いて買い物とかしていたんだよ。なんだかんだ言っても、ドイツ製の家電やらなんやらは当時から高性能だったしな。故郷には早く帰りたかったが、それもいつになるか解らない。だからまぁ、俺たちなりに今を楽しんでいたって訳さ。まさかベルリンの街でそのまま骨を埋めることになるだなんて、当時は想像もしていなかったんだがね。」


「昔は西と東を簡単に行き来できたのよ。アタシも非番の日に適当に魔女仲間と歩兵の監視役さんで一緒に西側地区の周りをウロついたりしたものよ。監視役が付いていてもね、(そこでカーチャは意味ありげにトンボの方を見る)使い方によっては役に立ったりするのよ?だって監視役がOKと言えば、政治的に問題ない事になるんですからね!故郷へ仕送りするためのシャツとかお菓子だのお土産だの、そういうのが並んでいる通りは境界線のブラウデンブルク門から歩いて5分と経たないのよね。

「魔女部隊の監視というより、半ばデート気分だったんじゃない?勿論、私たち皆その頃付き合ってる人居たけど。でも監視役に気分よくなって貰うと、色々と楽なのよ。

「その当時付き合っていた男の子がトンボって子でね。馬鹿っぽいけどなんたって五体満足な男ってだけで当時は大変な人気だったのよ。大祖国戦争で男は粗方死んじゃったからね。それにトンボは、こういっちゃなんだけど、頭悪い分主義主張みたいなものに染まらなかったせいかしらね。一緒にいてとても気分が楽だったの。境界線をパトロールするときの西ベルリンの綺麗さに比べるとねえ、なんて際どい話題を心置きなく話せるのってソイツくらいだったのよ。」

旦那さんが急に不機嫌そうになり

「そんな昔のことをほじくり返さないでもいいじゃないか」

とブツクサ言い始める。この二人の馴れ初めはこのベルリン時代らしい。

「まぁな。コイツじゃあないけど。あの頃は楽しかった。でも楽しい時期ってのは、そう長続きしないもんだ」


ここで私はフト疑問に思った。後の時代に生きている私はベルリンの壁というものを知っている。その崩壊もだ。当時既に40過ぎのおばさんと言って差支えない年齢になっていた私にとって、ベルリンの壁をドイツ人達が破壊していくあの光景は目に焼き付いている。この原稿をタイプしている今この瞬間にも、私はテレビで見たあの瞬間の画像を思い出すことが出来る。ハンマーやらつるはしでベルリンの壁を破壊していく群衆などというのは、生まれてこの方社会主義体制で生きてきた私にとっては目を疑う光景だった。だが、このベルリンの壁なんてものが建設されたのは、1961年に入ってからの事なのだ。カーチャとトンボ夫妻(当時まだ結婚していなかったらしいが)が西地区へ亡命したのは、1949年のことである。その気になれば幾らでも自由に行き来できた時代に、何故敢えて亡命したのか?一体何が二人を駆り立てたのか?

その話をカーチャにすると、彼女は静かに

「封鎖のときにこの人と見た光景かなぁ・・」

と話し始めた。

ベルリン封鎖は1948年6月から1949年5月にかけて行われた。その間、西ベルリン地区がソビエト連邦占領地区の中から完全に切り離されたのだ。教科書にはそう書いてある。だがこの二人の視点ではそう生易しいものではなかった。

「さっき俺が言った通り、西と東で通貨改革が行われたあたりからだろうな、その頃からハッキリと復興の速さに差が付き始めてね。事実あの辺りから、西のビジネスマンたちが東の美容室やら食堂を使い始めるようになったんだよ。なんたって、安いから!」

「そうねぇ・・。確かにアタシ達のお給金じゃあ、西のデパートで売られてる品なんて高くて、とても買えやしなかったわ」

そんな事は誰しも解り切っていたことではあったが、それでも二人はそういった場所に入り浸った。何故?

「やっぱり自由よねぇ。豊かっていうか。そういう空気、誰でも欲しいじゃない?」

「アキーモビッチさんはまだソ連時代を覚えているから解るだろう。街中にレーニンやスターリンの看板だの銅像だのが溢れかえっていて、それ以外は何にもない街と、そういう余計なものが一切なくてモノで溢れかえった街。西地区は皆の憧れの的でな。共産党にとっては目障りなこと極まりなかったんだろうさ」

ーだから、封鎖した、と?乱暴極まる話ではある。だがそれが我がロシアではないか・・。今私が普段拠点としているアメリカでは考えられないことが、ロシアでは往々にして起こりうるのだ。


「俺たちからしても青天の霹靂ってヤツでな。ある時期からいきなり非番の日であっても西地区へ行くことが出来なくなった。突然にだ。」

「軍隊の中って案外情報が漏れやすいものなのね。皆噂していた所なのよ。上は何する積りなんだろうって。そしたら『1週間後にベルリン境界線が全部封鎖されるんだ』とか言われて、当初は半信半疑だったわ。勿論、その噂は本当だった。」

石炭どころか食糧の類まで一切の西地区への搬入を阻止したソビエトに対するアメリカ側の返答は、大空輸作戦だった。60秒に1機の飛行機から食糧や石炭が入ったコンテナがパラシュートによって地面に落とされてくる。その光景、アメリカ軍による力、アメリカの富。これらが若かりしカーチャやトンボを始めとする人間にどう映っただろうか?

「封鎖のときにテンペルホーフに突貫工事で作った滑走路。あそこに1分に一度は飛行機がやってくる、あの光景を見ちゃうと、もう貧しくて自由もない東側には居られないなと素直に感じちゃったんだ」

「丁度勤務が終わって、二人で何処って言わずにそこら辺ぶらつきたい時にはね、この人を箒の柄の後ろに乗せて二人でグルグルそこら辺を飛ぶのよ。でも封鎖のときはもっと凄かった。昼も夜も空から飛行機がドンドンやって来るんだもの。怖かったくらいよ」

怖かったのは、東側当局にとってもそうだろう。その一年後の1949年、封鎖は解除される。カーチャとトンボが西ベルリンへ脱出したのは、その年の6月。丁度西ドイツが成立した直後のことだった。10月には東ドイツが成立する。



トンボは途中で席を立って居なくなってしまった。どうやらこれから公園に行くらしい。カーチャは皿洗いを済ませると、また話をしに戻ってきてくれた。

「何処まで話したっけ・・。そう、封鎖ね。そんで封鎖が終わったあたりから、もう西の方が確実に豊かになっていて。毎日毎日1000人、2000人くらい西に亡命するのが当たり前になっていたの。

「だけど思わない?なんで自分たちの地区はこんなに貧しくて、西側はこんなに豊かなんだろう?なんでアタシたちの方がこんなに自由もないし堅苦しいのに、あちらは楽しそうなんだろうって。多分あのとき亡命していた人たちもそう思っていた筈よ。

「で小娘だったアタシはね、居ても立っても居られなくなったものですよ。いつまた境界線が封鎖されてもおかしくないと思っていたからね。だから逃げるんならサッサと逃げたもん勝ちだわって思い立ったのよ。


ただ亡命は、それ自体が困難な話だった。まずトンボ自身赤軍の一員である。カーチャもそうだ。何より、カーチャたち境界線をパトロールする兵士たちは、二人一組となっていた。どちらか一方が突然脱走しても、片方が射殺できるようにである。それはトンボたち歩兵も同様ではあった。

「当時の境界線は、ベルリンの壁なんての比べたら可愛らしいものだったからね。所によっちゃ有刺鉄線しか遮るものがない所もあったのよ。だから一日に2000人、場合によっては3000人くらい脱走されちゃう時もあったくらいなのよね?それに私は自分が監視する立場じゃない?だから何処の場所だと警備が手薄だとか手に取るように解っていたのよ。そこでトンボが非番の日を選んで脱出する事にしたの。トンボが下準備して、有刺鉄線を切れたら切っちゃって・・。それに護身用に銃も一丁持っておく。アタシは制服ですからね。ピストル一丁しかない。」

カーチャとトンボが共謀して脱出が可能そうな地点を探し当てた、というのは如何にも私にはドラマチックに聞える。すると私の表情を見て取ったのだろう。カーチャは当時の地図を持ってきてくれた。

「確かに歩兵と魔女が組んで脱走だなんて、小説のネタにすらならないような陳腐な話よね。でも事実なのよ。今手に持ってきたこの地図ートンボが予め調べておいてくれたんだけどねーについている印の地点が脱出候補地。決め方は簡単でね。脱出が頻発する地点を実際に調べてみるってだけ。東ベルリンから西ベルリンへ逃れられるルートなんてそうそうないからね。トンボが上司に掛け合って色々と情報をアタシに流してくれた。

「だから後はいつ逃げ出すかってだけ。アタシ達魔女は、監視が厳しかったからね。その意味でもトンボが協力者だったのは有難かったの。」

「最初、全て上手く行きそうな気がしていた。でも途中でパトロールの兵士に勘付かれたの。トンボを箒の後ろに跨らせて、まさに境界線を超えようというときに、連中がピストル片手に音もなく姿を表してね。」

「『止まれ』って無表情に銃を突きつけてくるのよ。怖かったのなんのって。

だがそこでトンボは咄嗟に銃を空に向けて発砲したらしい。相手が一瞬怯んだその隙をついてカーチャに飛ぶんだ、と叫んだという。

「その時ばかりはウチの人、まぁ当時はまだ結婚してなかったんだけど、が頼もしく見えたわ、今でも時々は頼もしい男なんだけどね

「今にも他の連中が後ろから撃ってくるんじゃないか。そうじゃなくてもその時サイレンが鳴り響いてもう大変だったからね。事前に手筈を何回もトンボと打ち合わせしていた筈なのに、僅か数メートルほどの距離を乗り越えるのがあれほど大変だったのは後にも先にもあの時だけ。だからかしらねえ、運び屋みたいな仕事始めたの。え?あぁ、まぁこの話は長くなるからまた後にしましょうか。ともかくアタシ達、無事に西側まで逃げおおせたのよ。」

私は旦那さんが席を立ったのは、この下りを思い出したくないからなのでは、と今にして解った気がする。


「アメリカ軍は当時から物資が豊富だったわねぇ・・。ビールを鱈腹支給されていたし、タバコも吸い放題だった」

「一番嬉しかったのはね!!生理用ナプキンが使い放題だったことよ。東ベルリンじゃあ、そんな御大層なものなかったもの!それに女ものの下着だって幾らでも手に入るんだから。何もかもが不足していた東ベルリンとは全然違ったわね」

「ともかくアメリカ軍の施設にいる間、必死にドイツ語の勉強をしたの。アタシもトンボも!だって当面故郷に帰れっこないじゃない?だったらもうこのベルリンに骨を埋めるって覚悟で生きていく必要があった。それにアタシ、戦争中に何か特技を身に着けた訳じゃないからね。ともかくドイツ語を学んでいったの」

アメリカ軍は東側へ脱出した人間に対しては気前の良い所を見せていたが、それでも半年したあたりで彼らは西ベルリンで自活して行かねばならなくなった。だが転機は割と早く訪れる。カーチャの魔女としての才能とドイツ語を極めて短期間にマスターできた努力を買った地元の運送会社が彼ら二人を雇ってくれたのだった。

「でもそれで人生バラ色になる訳じゃないのよね。映画だとそのままハッピーエンドになるのだけど。アタシは伝令兵として地図を読みこなす訓練とか、箒に跨って空を飛ぶとか色んな取り柄があったけど、トンボにはそういうのが何一つ無かったのよ。勿論あの子も勉強してドイツ語は喋れるようにはなったんだけどね。

「だからトンボはそのまんま運送会社でトラック運転手。アタシは小口の配達。お給金はアタシの方が少し高かったわ。どうでもいいけどね。でもこれで漸く西ベルリンで生活する基盤がすこしずつ整いだしたの。アタシのこと皆、魔女の宅急便とか言うのよ、嫌になっちゃう。」

「でも調子が良かったのは最初だけだよね。別に魔法の力使って箒に跨って空飛んだ所で、小口の配達する上で大していい事はない。まぁ無料で使えるヘリコプターみたいなものじゃないか、と言われたらそうだけど。でもアタシはこの仕事をしていく中でベルリン西地区の街並みや地形図を事細かに頭に叩き込んでいったの。もう伝令兵やっていた頃からの習性よね、これは。今でもここら辺の街区の地図を何も見ないで書けますよ。

「東ドイツが出来上がると、それこそもう大変な数の人々が西ベルリンへ脱出するようになっていったの。敗戦から5年も経つ頃には西と東じゃまるきり別世界になっていたからよ。さっきも言ったけど、毎日毎日2000人くらい亡命してくる訳じゃない。じゃあ、そういう連中向けに商売しましょうよって」


1961年にはベルリンの壁が出来上がった。私は当然その話題になるかと思っていたのだが、カーチャはいつまで経ってもその話をしようとしない。とうとう私から水を向けてみる。

「・・・あれには驚いたわねえ、だって朝起きたらいきなり有刺鉄線網がアタシ達の住んでた西地区を囲むようになってたんだから。

「でも最初の頃は、壁なんてあってないようなもんだったからね。有刺鉄線なんてその気になれば幾らでも潜り抜けることが出来たわよ。事実パトロールしてる兵士がいきなり脱走するとかいう事件もあったくらいだし。

「ただそういう障害があると人間って燃えるのかしらね、恋と似てる気がする。あれくらいの頃からかねえ、アタシ達にお声が掛かりだしたの。

日々ベルリンの壁の高さがより高くなっていく。当初は有刺鉄線網しかなかった「壁」も、文字通り鉄筋コンクリート製の二重壁と化しつつあった。壁を超えるための危険性が増えていくに従い、運び屋としてのカーチャとトンボの価値は跳ね上がっていったらしい。何しろ魔女は箒さえあれば空を飛べてしまうのだ。

「裏稼業とか、女スパイとか言われますけどね。そんな大層な事じゃないのよ。トンボもアタシも、この見知らぬ街で生きていく為に必死でやっていただけ。必死でドイツ語覚えて、必死で街の地形や何処になんの店があるか覚えていたってだけ。するとある日、変な荷物の配達依頼を受け取ったのよね。境界線付近で、長さが160cm,重さ50kgくらいの箱型の荷物を運搬してくれとかいう意味の解らない依頼が舞い込んできたの。

「そういう依頼してくるのは、お世辞にもマトモとは言い難い人種だわねえ。だからそういう時には、ウチの人が根掘り葉掘り事情を聞いてみるのよ。すると大抵、昔のアタシたちと似たようなこと考えてる若者たちだったりするのよね。

「一旦そういう商売を始めると、途端にヤバい連中が群がってくる訳なのよ。御法度の白い粉を運んで、とか、銃を運んでくれだとか。でもアタシたちは断固として、運ぶのは人間、それも亡命したいヤツだけってルールを守り抜いたわ。やはり米軍基地にいた頃の人脈が効いたのかも知れないね。これは。それにあの人ったら、ちょっと乱暴な連中ともすぐに仲良くなっちゃうの。あの人曰く

『酒場で一緒にビールを呑めばどんなヤツとでも友達さ』

だって。羨ましいわねぇ。

「トンボが手を動かす仕事が好きだったのが良かったのかも知れない。トラックの荷台を二重底にしてその中に東から亡命したい人を詰めておくことを始めた訳ね。

「スヴィータ、貴方、アタシの事最初、とてもそういう亡命者の運び屋じみた仕事している様には見えないって言ったわよね。」

そこで私は何気なく頷いた。

「アタシも最初はそんな危険な事辞めて、とかそれらしい事言ってたけど、子供が何人も生まれてくるから綺麗事なんて言ってられないのよね。ちゃんとした暮らしをさせてあげる必要もあったし。」

ただそういった暮らしには代償が付き物だ。

「東の連中もアタシみたいなのが西地区で生き生きされてると鬱陶しいったらないみたいね。何だかよく解らない連中に付け回された事なんて一度や二度じゃないわね。

「その度に路地裏に逃げ込んで煙に巻いてやったわさ。その頃にはもう、西地区に友達や仕事仲間が沢山いたからね。ヨソ者がアタシを追い立てまわしていたらすぐに匿ってくれる仕組みが出来ていたのよ。

だがそういったやり方もそのうちに限界を迎える。KGBやソビエト駐留軍の組織力に個人で敵う筈もないからだ。どうしたものかとと夫婦で相談したらしい。

「今更別の街に行って新しく運送屋始めるったって知り合いもいないし。かと言ってこのままベルリンで頑張り続けてもしょうがない。結局運送屋も運び屋も店じまいすることにしたわ。大人しくしている分には、何もされないって解っていたし。」



「これで私の話は全てよ。一人の少女兵が、戦争で徴兵されて、無理やりベルリンで監視兵やらされて、その後西へ脱出して運び屋やって・・。故郷で強制収容所に突っ込まれたときには、自分の人生がここまで面白くなるだなんて想像も付かなかったわ。でも事実なの。私の人生を別に面白おかしく伝えないで頂戴!ありのままに、その通りに伝えて欲しいの。それがアタシのお願い」

元魔女のカーチャとのインタビューはこれで全てだ。私がこの録音された記録を元に本にしてから数年後の2000年、カーチャは72歳で永遠の眠りについたと聞いている。夫のトンボ氏も後を追うように2002年に亡くなられたそうだ。

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