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第5話 ビューティフル・ドリーマー その1

 その日、ジェイソン・ベルミューイ博士は我々人類とミジンコが”究極的な時空ワーム”に基づいて完全に同一の存在である事実に思い至る。

 いわゆる「我、発見せり(エウレーカ)」、その瞬間だった。

 ちょうど時を同じくして、アリシア・パリ・テキサスはカビ臭いマットレスの上で目覚める。


 寒い、痛い、硬い。また同じだ。

 硬いマットレス、カゴに盛られたオレンジ、壁にかけられた印象派の絵画……既に見慣れた『ホテル ドルドン・ブレイク』の一室であり、そこで目覚めるのは今度で三回目であった。

 昨晩の記憶と符号しない。

 同じ一日を繰り返しているという事実について、もはや疑うことはなかった。

 しかしながら、全く同一の一日を人生の内に何度も経験することを潔しとしないアリシア・パリ・テキサスは玉響(たまゆら)に詩歌を詠むことにした。

 

 ある晴れた日の午後

 私は左頬を失った。

 

 暮れなずむ夕日の中で

 私はかろうじて残った口で(あし)()

 いざ、行かん



 会心の一作についてロクな感想を寄越さなかった二つの愚昧な柑橘類に対し、頭皮を剥ぎ、中身を食した後、朝勃ち治め、アリシア・パリ・テキサスは今にも崩れ落ちそうな『ドルドン・ブレイク』を後にした。



 ◯



 布切れ一枚すら敷かれていない『ドルドン・ブレイク』の客室ではベッドメイキングすら必要ない。

 することもないので外へ出たが、差し当たって昨日………いや、この場合なんと言うべきか。

 一巡目の今日とか、二巡目の今日とかと言えばいいのか。

 すると今度で三巡目なわけだけど、二巡目で50ゴールドを拾った木陰。

 まずはそこを目指すことにした。


 私の失われた記憶の行方は依然として定かでないのだが、そのせいか、頭が空っぽなお陰でどうにも物覚えがいい。

 私は二巡目での出来事について思い起こす。

 50ゴールドコインを拾った私はその後、『アルキメデス・ビタリ』なる少年に出会い、このアッペレザス村を案内された。

 街の集会所でもある大衆食堂『ちからの種』では彼の友人であるカッちゃんやヒッちゃんらを加え、「ケツからゲロ吐くか、口からウンコを出すか」という議題について示唆に富む議論を楽しんだ。

 第一印象からしても非常に理知的に映ったアルキメデス少年だが、その時ばかりは知性の片鱗を欠片すらも感じさせなかった。


 日も暮れた頃、親切にも当てもなく彷徨う私に「よかったらウチへ」と、彼の住まう海の見える黄色い屋根の小さな一軒家へ向かい、決して裕福な暮らしではないが『ドルドン・ブレイク』とは似ても似つかないラグジュアリーなベッドで私は安眠を手にした。はずだった。

 孤独にこそ人の親切は沁みるものであるが、手にしたはずの確かな温もりも、あるはずの記憶も、今日という一日すら私には積み重ならないというのか。

 私は孤独の気持ちでヴァンドリ川流域を南下し、ピーターマッハ公園にほど近い木陰に腰を下ろす。



 チャリン!



 という小気味よい音がなったかは分からないが、そこには二巡目に私が拾ったものと同一の50ゴールドコイン。

 手にしたところで明日へ持ち越せるものかも分からないが、ひとまず拾わないわけにもいかない。

 儲けは儲けだ。

 私は気怠げに右手を伸ばしたが、すんでのところでコインは何者かの腕に掻っ攫われた。


「すみません。あなたのでしたか?」


 女性の声である。

 目線を上向けると、紫紺の長髪をたなびかせる清楚な女性が現れた。

 白いワンピース。あり得ないほど幅広な縁の女優帽。気品ある優雅な立ち姿。

 場違いも甚だしいが名家の令嬢を思わせる。

 あ、ごめん嘘。

 なんかこの人臭い。

 え、すっげぇ臭いんだけどどうしたらいい?


「あ、違います。」


 その人の差し出す50ゴールドコインを咄嗟に振り払う程度には、一帯に糞尿をしたたかぶち撒けたような異臭が立ち込めていた。

 清掃されていない牛舎か、馬小屋。

 汲み取り式便所、あるいは肥溜め。

 歳も近そうなその女性に対し侮蔑とも取れる単語がとめどなく想起されてならなかった。

 頑張れば茹で卵の匂いに感じないこともないが、それは頑張っている時に限るのであり、人は大抵の場合気を抜いているのだ。


「そうですか。儲けましたね。ところで、私は訳あってここを訪れた旅人なのですが、よろしければ私にこの街の手ほどきを享受したいただきたいのですが」


 あと10ゴールドやるからさっさとお引き取り願いたかったが、図々しくも彼女は私に迫った。

 この街の手ほどきについては、私も二巡目でアルキメデス少年から案内されたばかりであり心得がある。

 そうなれば不本意ながらも引き受けるのが私である。


 彼女の名は『アイム・エイトハーフ』。

 彼女が三日前、あの広い広い大草原で私を見つけた第一発見者だということにも両者早々に思い至り、こうなれば下着を借りた大恩もある。尚更従わないわけには行かなかった。

 大衆食堂『ちからの種』へ向かった私達は暫しの歓談に耽り、一時は私が「カレー味のうんこか、うんこ味のカレーか」という議題を持ちかけてゴミを見る目を向けられるといった肝っ玉の縮こまる一幕もあったが、概ね私達は意気投合した。


 最大の暁光(ぎょうこう)という意味では、彼女………いいや、既にファーストネームで呼び合う仲ではないか。アイムに連れられた先の、アッペレザス村でも特に辺鄙(へんぴ)な空き地に佇む馬小屋。

 糞尿臭こそ漂うが。ただ寝がし放題とこられては敵わない。

 清掃の行き渡っていない馬小屋の隅、つまり最も穢れが濃縮された一角こそ、我らの聖地であった。

 馬小屋に敷き詰められた藁(敷料)は、馬の排泄物を吸収し、馬の体が直接汚れるのを防ぐ役割だというが、それはそれ。

 この三日間、我ながら藁にもすがる勢いで生きてきたが、念願叶ってようやく私は藁に縋り付いた。



「あ、くっさぁ・・♡」



 ◯



 少年アルキメデス君は当年とって10歳。その朝は早い。

 しかし、今日はそれまでと様子が違っていた。



 ◯



 神の啓示もかくやのその発見を検証すべく、ジェイソン・ベルミューイ博士はいち早く旧知の仲であるデイビット・ジョンソン博士を呼びつけた。

 20年来の友人から驚愕の新事実を打ち明けられたデイビット・ジョンソン博士はしかし、「まったくたわけた話だ」「アカデミアにあるまじき危険思想そのものだ」と、これを一蹴する。

 20年来の友情に走った亀裂たるや深刻なものであり、かくして両者一歩も譲らぬ丁々発止(ちょうちょうはっし)の激論の火蓋が切って落とされた。

 ちょうど時を同じくして、アルキメデス少年はピーターマッハ公園のベンチに深く腰掛け、脳裏を苛んでやまない昨晩の出来事について思い詰めていた。


 昨晩………いや、少年もまたこの繰り返す一日を認識するものの一人である。

 というより、少年こそこのアッペレザス村を覆う一連の怪奇現象を発生させた張本人であり、本来、一巡目や二巡目の記憶を三巡目である今回に引き継いでいる人物は少年の他にいるはずがないのである。


 とはいえである。

 目下、学校へ行くことすら些事(さじ)に思えるほど少年の頭を悩ます元凶は他でもない、お姉さん(アリシア・パリ・テキサス)であった。

 二巡目の世界でアリシア・パリ・テキサスを家にまで招き入れた少年は、その正体を間近で見定めた。

 確かに、彼女は記憶喪失であるらしい。

 その事実は一大事だ。

 不可解な点は他にもある。

 積もり積もる小さな違和感の連続はしかし、お姉さんの姿を間近で捉えながらも少年の中で最後まで確かな『異常』として検出するには至らなかった。


 夜も更けた頃である。

 『明日』が間近に迫った深夜、アリシア・パリ・テキサスと添い寝へ持ち込んだ少年は彼女が尻尾を出すその瞬間を虎視眈々と伺っていた。

 その時だった。



 物音ひとつ立てず、ふいにベッドを抜け出すアリシア・パリ・テキサス。

 少年はこれを静かに追った。

 木製の床が軋む音すら殺し、隣室へ姿を消したお姉さんの姿を追う。

 ガサゴソと不穏な物音のする隣室に足を半歩踏み入れた少年は、その異常事態を目の当たりにした。


 うずくまるようにして座り込むお姉さん。

 その下半身に、はだけた下腹部に、無骨に隆起する『逞しい何か』。

 頬を紅潮させ、ひたすら上下運動を繰り返しては隆起物をしごく『右手』。

 行為の意味こそ理解できなかったが、その光景は、これ以上ないまでに、アルキメデス少年にとって確かな『異常』そのものであった。




「あれはなんだ。」




 そうして迎えた三巡目の今日。

 あの光景の意味を、その答えを、少年は遂に得られないでいた。

 読み終えた新聞を折り畳み、心配の眼差しを一人向ける白内障の老夫であった。

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