第1話 ようこそアッペレザス村へ
ホラを吹いているように聞こえるかもしれないけど、僕の夢は『世界征服』である。
僕は賢く、それでいて努力を怠らない。
まだ10歳を数えたばかりの僕であるが、もうきっと並の大人達は僕にひれ伏すほど偉くなっているに違いないのだ。
例えば、同い年の友達は文字が大きくて行間の広い愉快な読み物を好むそうだが、僕は違う。
昨晩読み終えた『小市民ケーン』という小説は文字も小さいし行間もうんと狭く、1ページに文字がギチギチ詰まっていた。
秩序と平和とは、権力者同士の握手よりも一個人の圧制によって成し遂げられるものだというのが僕の持論だ。
歴史上、独裁者などという不名誉な言われ方をする人たちは自分の欲に支配されてしまったからであり、僕のように愛と正義と何より平和を愛する人が治める世界が平和でないはずがないと考える。
よって、僕は『世界征服』を心に決めたのである。
その為の布石を打つことに僕は余念が無い。
世界征服への第一歩、それは僕の住むこのアッペレザス村の征服か、あるいは僕が毎日通っている王立ロビンフッド小学校の征服であるに違いない。
いずれにしても、僕はそれを現段階で約99.9%達成したと自負している。
そう、あの日、僕が身につけたこの無敵の『能力』によって……今日も僕は『世界征服』に向けた一歩を着実に踏みしめるのであった。
◯
時に皇暦100024年、3月26日。
少年アルキメデス君は当年とって10歳。その朝は早い。
7:00、アルキメデス少年は起床して間もなくピーターマッハ公園へ駆けつける。
毎朝決まってこの時刻にピーターマッハ公園のベンチに腰掛け朝刊を広げる耄碌した老夫がおり、少年は老夫のすぐ脇に腰掛け一緒に朝刊を確認するのだ。
今朝の見出しには『人間の乱獲によりメドゥーサボールが絶滅』とあった。
アルキメデス少年は思わず「人間なんて大嫌いだ」と、強く呟く。
少年の言葉に、老夫は白内障の瞳を閉じ、ひとつ大きく頷いた。
7:30、アルキメデス少年は王立ロビンフッド小学校へ歩いて向かう。
ピーターマッハ公園から西南西へ60mの道のりである。
時を同じくして、アッペレザス村はとある馬小屋でアイム・エイトハーフとアメリ・ダイ・ハードが目を覚ます。
アイム・エイトハーフは貴族令嬢でありながら吟遊詩人の端くれである。
窮屈な邸宅の暮らしに辟易とし、遂に「この場所に、もうメロディは無い」と言い残し旅に出た。
馬糞にまみれて明かした第一夜だが、それは彼女にとって新たなメロディとの出会いでもあったのだ。
「そういえばアイムちゃん」
同じく馬糞まみれで夜を明かし、昨晩から一回り臭くなったアメリ・ダイ・ハードが口を開く。
「竪琴はどうしたの?」
「昨晩、質に出しました。旅の資金になればと思ったのですが」
◯
アッペレザス村はランベルト高原から東に5kmほどに位置する海辺の街である。
人口15000人。面積17.06 km²。
街の財政を支えているのは主に漁業だが、海岸線からほど近い山を越えると田園風景が現れ、柑橘類の栽培地でも知られる。
この街で採れる『髪の毛の生えたオレンジ』は、なんと『喋る』そうだ。
オレンジの皮を、まるで頭皮を剥ぐように剥く時の悲痛な叫び声がこの街の風物詩である。
『ナァ姉ちゃん、あんたビタミンが足りてねーって顔してるぜ?』
『だからって僕らを食べようなんてマネはやめろよな?』
アッペレザス村はとある安宿でアリシア・パリ・テキサスが奇怪な生物を目撃した。
カゴに入った喋るオレンジである。
なんと髪の毛まで生えており天然パーマだった。ブランド品である。
『オイ・コラ!無視すんない!僕ら”マブダチ”だったじゃーねーか』
『あんた、ちょっと見ない内に僕らのこと忘れたなんて言わねーよなァ?』
アリシア・パリ・テキサスはアイムやアメリらと同様、昨日アッペレザス村へ来たばかりだった。
彼女らが恵んでくれた衣服(下着を含む)の他に、所持品は『赤黒い鉱石のようなペンダント』一つのみ。
所持金ゼロ、記憶もゼロ。
自分が何者であるか───そう、それこそ自分の『性別』さえ分からなかった。
端正な顔立ち、色白の肌、膨らんだ胸はおよそDカップと推定されたが、その陰部にはそれら身体的特徴とはおよそ『共存し得ない突起物』が見事に隆起していたのだ。
その悍ましくも愛らしいチ◯コを前にアリシアは悩んだ。
悩んだ末に「これもアリか」と雑に片付けて眠りについたのが昨晩である。
自身の過去や素性についての唯一の手掛かりは、鉱石のペンダントのみ。
しかし───
『オイオイ兄弟、僕ら忘れちまわれるようなキャラしてっかよ?』
『あだぼーよ兄弟。僕らだって、ブラッシでこの天パーを解きほぐしてくれた姉ちゃんのこた一生忘れねー』
「おい、さきっから聞いてれば、君たちは何なんだ」
『ナンダ?ナンダとはナンダ?』
『そうさ、僕らの仲にナンダもアホンダラもあるかよ!』
「それだ、さきっからまるで、私のことをしってるような口振りじゃないか」
『……?オイオイ、オイオイオイオイオイ?』
『姉ちゃんまさか、僕らのこと本気で忘れちまったのかい?』
「憶えてるわけがない。教えてくれ、私は誰なんだ?」
『ちと、冗談キツイぜ姉ちゃん。』
『もしかっつーとアレかい?記憶ソーシツってやつなのかい?』
「うん。どうやらそうみたい」
『あーそうかい。そんじゃ、姉ちゃんがその気なら僕らもノッてやる』
『あんさんの名前は”アリシア・パリ・テキサス”。この安宿の常連さんのお客さんで、僕らのマブダチだった人さ』
「アリ、シア……それが私の名前。」
アリシア───絶対とは言えないが、それは女名だった。
思いもよらなかった僥倖である。
まさか、偶然選んだ安宿の、その中の一部屋に置かれたカゴ入りのオレンジが記憶を失う以前の自分を知っていたのだ。
自分という存在を指し示す唯一無二の指標、名前。
それを取り戻したことは、全てを失ったアリシアにとって大きな一歩であった。
『しっかしよォ姉ちゃん、ちと見ねー内にちょいとヤツレたかい?』
『それとよ、勘違いだってんならそれでいいんだけどよ………』
『その、なんだい……』
『ちょいと言い難いんだけどよォ……いんや、言わねー方がいいのか?』
『だから、ほら』
『つまりその…………』
『姉ちゃんよォ、なんか”男っぽく”なってねェか?』