24話 “面会”
少し風が強く吹き始めた頃、静かな裏通りをトーヴァ、ヴォロコーブ、メギドラの三名は歩いていた。
まるで罪人が連行されるかのように挟み、逃げ道を防がれた状態でゆっくりと進んでいく。
表通りや市場のような喧騒はすでに遠く、ここには歩いている竜もおらず、他の竜がいる気配すらも感じなかった。
風が吹けば草木が揺れ、舞う木の葉がカサカサと転がっていく。
コツコツと響く靴音がやけに大きく聞こえ、わずかながらの服が擦れる音や、カタカタと揺れるトーヴァのランタンの音が耳に届いていた。
まるで時間が止まったかのような通り。しかしその静けさからは想像できないような、張りつめた空気が犇めきあっていた。
竜帝国 南西部統治者たるジャバが居を構える鏡界竜邸に向かうのはメギドラのみ。
これはもし認められたならばメギドラのみ呼ぶようにというジャバからの命令らしく、遊撃隊の側は断れる立場にはなく、要件を飲むしかなかった。
メギドラを擁護する意見の介在しない状態であるため、メギドラは己の力のみで自身の価値を証明しなくてはならない。
(───ラーノルドさんやヴィドルがいれば心強かったんだが仕方がない。元よりここで暮らすのなら自分の価値を自分で証明しなくてはならないときが来る。それが今というだけだ)
そう自己暗示的に心の中で考えるのは、奥底で蠢く不安を少しでも和らげたいという望みからだったのかもしれない。
数刻が流れた後、両脇に等間隔で街灯のようなランタンが設置された道に差し掛かり、遠くには決して豪華ではないが、美しい鏡のように白く輝く大きな屋敷の屋根が見えてきたところ、張りつめた空気を裂くようにヴォロコーブが口を開いた。
「・・・まもなく、ジャバ様がおられる鏡界竜邸に到着します。賢いあなたなら当然理解しているとは思いますが、決して粗相のないように」
トーヴァが“流角灯”でランタンが並ぶ道を灯し、その道の先にはあの白い屋敷への門が見えていた。
ただ近づくだけで門が自動で勝手に開きだし、一歩一歩踏みしめるように歩を進めた。
門をくぐると広い石畳のアプローチが玄関へと伸びていた。両脇には刈り込まれ、丁寧に手入れされた植え込みが。
トーヴァやヴォロコーブのさらに鋭くなった視線から、屋敷での礼儀や作法などを見ているのか?と全く知識が無い分野で様々なことを考えさせられ、心の奥に蠢く不安は大きくなるばかりであった。
ヴォロコーブが重厚な両開きの扉を恭しく押し開けると、冷えた空気とともに、綺麗に磨きあげられた床の輝きが目に入った。
屋敷に入ると外観と同じように煌びやかな豪華さはなく、それでも趣と華やかさの感じる綺麗な建物であった。
壁には古い肖像画が並び、視線が見定めるように追ってくるような錯覚すら覚えてしまう。
「こちらへ」
外界以上に引き締まり、無駄のない動作で先導するヴォロコーブの背を追い、長い廊下を進む。
絨毯が靴音を吸い込み、窓の外の庭園がちらりと見える。
いくつかの扉を過ぎ、ようやく応接室のような部屋の前で足が止まった。
ヴォロコーブがコンコンと扉をノックし、耳打ちするように何かを言うと、扉の先から「どうぞ」という声が聞こえてきた。
扉が静かに開かれる。中は応接のために整えられた空間で、かつてヅィギィアが面会した場所と同じ場所であった。
部屋には深い色のソファと磨かれたテーブルが中央に置かれており、香木のほのかな匂いが漂い、空気は落ち着いた温度で保たれていた。
しかし、上座に座る銀色の天竜の男の出す雰囲気が、香木の匂いを打ち壊し、落ち着いた温度で保たれていた部屋が極寒の大地のように冷たく感じた。
「やぁメギドラ君、はじめまして。話は聞いているだろうけど、念のため自己紹介しておくよ。僕は“鏡界竜”ジャバ。元帥級。ここ竜帝国の南西部を治めている。以後よろしく頼むよ」
寒気がした。
物腰柔らかなその言動の奥深くから感じる圧。演技なのかどうか一切分からない笑顔から来る不気味さ。竜帝国に害があるのかどうか見定ようと殺意と似たようなものすら感じる目の奥に、体が本能的に危険信号を鳴らしていた。
だが逃げるわけにはいかない。ここを越えなければ、ここで生きていくことなどできないのだから。
全身から汗が噴き出そうとも、体が震えようとも、それを一切感じさせないように気丈に振る舞う。
「・・・はじめましてジャバさん・・・メギドラと申します。ヅィギィアさんから、噂はかねがね伺っています・・・よろしくお願いします」
正しい所作も、言葉遣いも作法も分からない。だが少なくとも不快にさせまいと自分が知る最大限の礼儀を示す。
ジャバは笑顔を崩さないまま「どうぞおかけに」と言ってメギドラを促し、トーヴァとヴォロコーブには、部屋を出るように伝えた。
メギドラは恐る恐るソファに腰を下ろし、背筋を伸ばした。手の置き方も迷い、膝の上に手を置く。視線は相手に向けるべきか、それとも伏せるべきか、逡巡しながら、結局中途半端に正面を見据えてしまう。
「・・・お招きいただき・・・ありがとうございます。あの・・・単刀直入にお聞きするんですが、私はこれから・・・どのような処遇を受けるでしょうか?」
色々と話したり、何か別の話に逸れたりする前に単刀直入に自身の話題に引き込もうとするが───
「まぁそんなに急ぐんじゃない。ゆっくりお茶でも飲んで話そうじゃないか」
ジャバはそうやって躱し、テーブルの上にあったティーカップに紅茶を注ぎ、メギドラの方へと差し出してきた。
ほのかな湯気が立ち上り、心を解きほぐすような香りが漂った。
「・・・お心遣いありがとうございます・・・いただきます」
そう言い、差し出されたティーカップを両手でそっと持ち上げるが、これからどうすることが正しいことなのか分からない。
すぐに口をつけてよいのか、それとも相手が先に飲むのを待つべきなのか。それとも相手に勧められるまで待たなくてはならないのか。
考えれば考えるほど答えが見つからず、ただ手の中の温もりだけが増していく。
視線を下げ、カップの中で揺れる紅茶を見つめながら、結局一口も飲めないまま相手の様子を伺うしかなかった。
この時点でこの空間の主導権はジャバが握り、声を上げることも出来なかった。
沈黙が続く。手の中の紅茶はほどよい温度を通り越し、じんわりと掌に熱がこもっていく。それはすでに火傷してしまうような高熱にまで達していた。
視線を上げると、ジャバがじっとメギドラの手元を見つめていた。
「・・・遠慮はいらない。どうぞお飲みに」
柔らかい声でそう言われても、奥に蠢く不安はすぐには剝がれない。
「は、はい・・・」と返すものの、カップを口元に運ぶまでに、妙に長い時間が空いた。
両手で支え、スープを飲むかのようにようやく一口、その瞬間、ジャバの笑みに深みが増した感じがした。
礼儀作法に疎いメギドラにとって、その笑みは作法が合っていることによる笑みなのか、作法が間違っていて馬鹿にするような笑みなのか、分からなかった。
ゆっくりと震える手を抑えながらソーサーへティーカップを戻すと、ジャバはためらうことなく、自然な所作でカップを持ち上げた。
指先は取っ手に軽やかに添えられ、無駄な力みは少しもない。
背筋は僅かも崩さず、静かに口元に運ぶ。
唇が紅茶に触れる瞬間、ほんのわずかに瞼が伏せられる。
一口だけ含み、音もたてずに喉を通すと、すぐに視線を戻し、穏やかな笑みを浮かべた。
まるで長年の習慣が身体に染み込んでいるかのような所作。
その流れるような動きに、メギドラ側のぎこちなさが余計に目立つ。
「・・・良い香りだ」
そう言い終える声色まで、どこか余裕に満ちていた。
「君が僕のことをヅィギィアから聞いていたように、僕も君のことをヅィギィアから聞いていたよ」
再び数刻の沈黙が流れた後、ジャバの方から口を開いた。
「元人間の竜がいるなんていきなり報告されてね、最初の内は何言ってんだこいつは?って思ったよ。人間は今まで何度も同族のふりをして竜帝国に忍び込んで来た。もちろんすぐに見抜いたよ、そいつらは情報を抜かれないようにありとあらゆる手を使って自殺したから、捕虜は一人もいないんだけどね」
ジャバは続ける。
「今回も一緒だと思ったよ、また新しい言い訳考えたスパイが来たな~って思っただけだった───というのに、話を聞けば聞くほど今までのスパイとは違ったよ。人間でも竜でも知っていることも知らない、本来人間にはないはずの天竜の飛行能力、本来助ける利のない巨像を救出、人間軍と戦い、暴走を引き起こし、中央聖騎士団を退かせた。それらの数々の行動、それは今までの竜のふりをした人間とは異なる動きばかりをしていた」
ジャバは話し続けるほど、笑顔から感じる不気味さは薄れてきていた。
「何度も来る報告を聞いて、君の活躍を聞いて、そして今日ここで相見えて確信したよ、君は今までの竜のふりをした人間とは違う、本物の竜だってね」
そう言うジャバの表情は、今までの不気味さを一切感じない、穏やかな笑顔だった。
「・・・ということは、お・・私は、竜帝国の一員として、認められるんですか?」
メギドラが恐る恐るそう聞くと、ジャバは目を見て答えた。
「────いいや、それは無理だろうね」
「───え?」
時が止まった。たった一言、それが耳に届いた瞬間、鼓動すら止まったように思えた。
なんの音も聞こえなくなり、その言葉だけが胸の奥に反響し続けた。
竜帝国の一員として認められないということは、試練を受け、階級を上げる竜帝国独自の文化、階級制が受けられないということ。
そうなれば、竜帝になるというメギドラの目標は永遠に果たせないということになる。
「───え・・と、理由をお聞きしても?」
焼けつくような喉で、掠れた声をひりだした。
「君が本物の竜であることは確信できる。だとしても僕の立場上君を認めることはできない。君が本物の竜でも人間側ではないという確証が無い」
「それは・・俺は巨像と戦いました!人間の軍とも戦いました!人間側なら、戦うメリットなんて───」
「君を僕たちに信頼させるため、とか。竜帝国の中枢にスパイを送り込めるのなら、それほどの損害は人間にとってなんら痛手でもなんでもない」
「・・・今までのスパイとは違ったんじゃなかったんですか!?」
「人間は進化が早い、その上屠竜監獄なら人間で言うところの実験動物はたくさんいるだろう?今や精工な竜すら作れても不思議じゃない。成功体第一号だからやり方を変えただとか、言い訳はいくらでも考えられる」
「ぅ・・・じゃ、じゃあ階級制は、階級制はどうなるんです、俺はどういう扱いに」
「君なら言わずとも分かるだろう。神に誓ってとまで言ってしまったヅィギィアとの約束は少し破ることになるけど、階級制に入れることはできない。良くても一般級程度の扱いだということを覚悟しなさい」
「俺は───」
そう、苦し紛れに反論しようとした瞬間、
「君が!───」
空気を震わすような威圧のある声に、喉の奥で声が潰れた。
「───君がこれ以上何と言おうと、人間のスパイであるという可能性が少しでも残っている限り、君を竜帝国の一員として認めることはない。今までのはヅィギィアという監視役がいたことによる特別待遇で、これからその待遇は得られないと思いなさい。これから受ける扱いも、本来スパイの疑いをかけられた者が受けるには異例中の異例の特別待遇だ」
「ジャバさん───」
「話は終わりだ。君がこれ以上何を話しても無駄だ」
低く鋭い声が声を断ち切る。続きを口にする間もなく、沈黙だけが残る。
ジャバの視線が「もう話すな」と告げていて、何も言えずに口を閉じた。
指先が冷たくなっていく。ジャバが何らか声を発しているが、ただの雑音のように聞こえ、何と言ったのか聞き取ることができない。というより、聞き取る気がない。
光が消え、音が消え、先程まで温かく感じていた紅茶すら、冷えた氷水のように温もりが消えていた。
そんな外の状況とは対照的に、彼の頭は様々な考えを巡らせていた。
(多分ジャバさんは最初から、俺を認める気はなかった。どういう会話をしようと、最終的な結論はここに帰着させる気で話してたんだろう。スパイである疑いがある以上無理だと。今までのは監視役がいたからこその特別待遇だと。何か無いか?この状況をどうにかできる手札は・・・俺が持ってる価値を・・・価値?)
ふと思い浮かんだその言葉、価値というその言葉が引っ掛かった。
今までの話は全部ジャバからのここでの境遇の提示であって、話し合いでも、交渉でもない。
「───俺の逆鱗“竜の血”はシンプルに『血液を操る能力』です」
「メギドラ、言っただろう、これ以上話しても無駄だと───」
「体内の血液を操れば全体的に身体能力を向上させたり、特定の部位に集中させればその部分だけ他の追従を許さない爆発的な力を得ることができます」
ジャバが無駄だと言っても、メギドラは話すのを止めない。
最初から怖気づいてしまっていたのだろう、自分のことを話すのを躊躇ってしまっていた。だがその行為は愚の骨頂。話さなくてはならない。この場はメギドラの圧倒的不利な場面であり、信頼がないメギドラには、自身に価値が無ければ生きられない。
自身の価値を証明するには、自らの力を晒して訴えるしか方法が無いのだから。
「体外に流した血液、放出した血液は硬化させて武器化したり、霧状にしたりなど、応用が効きます。そしてどうやら俺の血液には、竜の意思、思考を感じ取る力があるようです」
「・・・結局何が言いたい?」
「俺には、巨像の中に囚われた竜を探し出す力があります。ヅィギィアさんが言っていました。元帥級のムートさんが治めている北西部に一名だけ 、位置を把握するという逆鱗を持つ者がいると。つまりそれほどまでに不足している、仲間を確実に助ける力を持つ俺の逆鱗は、あなた方にとって相当な価値を持っているはずだ!」
「・・・確かに君の能力が君の言った通りなら、僕らにとって相当な価値を持っていることには変わりない。だが、考えてもみろ、例え君が巨像の中から竜を探し出したとして、君に救い出すだけの力はあるか?見つけ出して他者に伝えたところで、それが信頼されるか?失敗して囚われている竜が殺されてしまったら君に責任が取れるか?」
ジャバも必死だ。そんなことを考えていてはキリがないし、屁理屈をごねているに等しい行為だ。それでも上に立つ者の責任として、そう言わなければならないのだろう。
ジャバは動かない。だが確実に揺らいでいる。
あともう少し、あと何かもうひと押し、何かがあれば行ける。そう考えていたとき・・・
「────うん?」
流れが変わるように、ジャバは急に部屋の外の方を、ドアの方を向いた。それに釣られるように、メギドラもジャバの向ける先に合わせた。
耳をすませると、ドンドンと力強い足音が近づいてくるのが聞こえた。荒々しく、尖った釘が一本一本打ち込まれていくような足音が段々と大きくなってゆく。
「ちょ─────さい!────さ────」
遠くでヴォロコーブと誰かが言い合うような声が聞こえるが、部屋の気密性が高いのか、途切れ途切れにしか聞こえない。
声が聞こえなくなったころ、コンコンとノックする音が響き、ジャバが「どうぞ」と声をかける前に重々しいドアがギイっと音を立てて開くと、外から差し込む眩い光が室内を満たした。
その光を背に、男が立っていた。輪郭は眩しさに溶け、まるで影絵のように浮かび上がっていた。
「のうジャバの坊!!面白そうなことやってるな?儂も混ぜんか!!」
メギドラはその男の声に聞き覚えがあった。その影絵の輪郭も、その声から見覚えがある者の姿が見えてきた。
豪快で矍鑠な爺さん。初めて竜帝国内に入ったときに話したあの紺色の地竜。
威厳のあるその男の名を、ジャバとメギドラは同時に口にした。
「「・・・ウガさん」」
メギドラにとってのあともう一押しが、来たのかもしれない。




