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狂気の来襲

ロックを解除してマンションのロビーに入る。振り向くと、送って来たロウが片手を上げる。目だけで応じて、自動ドアが閉まったのを確認する。この手のセキュリティは気休めに過ぎないが、無いよりはマシだろう。

少なくともロウと居る間だけは安心できる。だが、家では独りだ。そう簡単には侵入できないだろうが、今日の襲撃の事もある。酒の力を借りても不安は拭えない

『やっぱり来てもらえば良かったかなぁ…』エレベーターに乗り込み、最上階のボタンを押す。『今ならまだ…いや、明日にしよう。明日からは土間で寝泊まりしてもらえば…』ふと、己の身勝手さに思い当たる。『一寸勝手が過ぎるかなぁ…ちゃんと部屋を用意した方がいいかなぁ…でもなぁ…』心地良い酔いと共に、考えがロンドする。

最上階でエレベーターを降り、廊下を歩きながら、ポケットの鍵を取り出す。

下の階と違い、最上階の各戸玄関と共有廊下は、外からは見えない室内にある。エレベーターホールを挟んで両側に二軒ずつの大型部屋があり、廊下両端の突き当りには非常階段に出る為のドアがある。西側は外階段、東側は室内階段になっていて、どちらも一階から最上階までしか繋がっていない。夕子の住むペントハウスがある屋上に行く為には、最上階の室内階段ドアに併設された屋上専用ドアから出るしかない造りになっている。エレベーターで直接屋上に出られないのは不便だが、防犯上はむしろ好ましい。屋上へのドアは、事実上夕子の専用だった。

ポケットに鍵を探り当て、エレベーターから一件目の部屋のドアを通り過ぎたところで、後ろの反対端にある外階段のドアが開く音がした。

夕子は凍り付いた。同時に”あの”強烈な狂気が襲い掛かって来たのだ。

『見つけた!先生!先生だ!先生の部屋だ!あそこだ!あの部屋が先生の部屋なんだ!大好きな僕の作品が生まれた部屋なんだ!』狂ったような歓喜が押し寄せる。いや、”ような”ではない、明かに狂っていた。最早、彼にとっては全ての小説が自分だけの為に書かれたことになっている。そして当然のように、夕子もまた自分のものなのだと考えていた。

夕子が硬直した筋肉に鞭を打って肩越しに振り返ると、開いたドアの隙間から奴が入って来るところだった。口元が大きく吊り上がり、見開いた目が歓喜に燃えている。全身から発ち上がる狂気は色を成し、吐き気を催す濃密さだ。

拉致した担当君からマンションの場所を聞き出した奴は、二日間夕子の動向を監視し、凡そこの時間に帰宅することを掴み、ロウが一緒に住んでいないらしいことも確信した。だか、マンション備え付けの駐車場から見ただけでは、ペントハウスの存在は知ることができない。自動的に最上階に住んでいると思い込み、外階段に潜んで夕子の帰りを待っていたのだった。ネットで集めた襲撃犯達からは連絡が無い。夕子が普通に帰って来たところを見ると、失敗したのだろうが、もうどうでも良くなっていた。

「先生!僕の先生!」ドアをあけ放ち、嬉しそうに叫んだ。夕子は一瞬怯んで後ずさったが、踵を返して一目散に走った。手にした鍵をポケットに仕舞いながら、階下への非常階段ドアに手を伸ばす。あと一呼吸遅かったら、屋上に帰るところを見られてしまっただろう。夕子の向かう先には一件しか残っていないと思い、奴が姿を現したので、かろうじてペントハウスの存在だけは知られずに済んだ。だが、奴は目の前だ。最大の脅威は間近に迫っている。

ふたつの非常階段の内、外階段の方は中からしか開かないようになっている。外部からの侵入を防ぐ為だが、外に出て一旦ドアが閉まってしまうと、再び入ることはできなくなる。つまり、奴は中からドアを開けて、外に潜んでいたことになる。やはり玄関のセキュリティはザルだ。

もうひとつの内階段は一階ロビーへと繋がっていて、各階のドアも自由に出入りできるようになっている。管理人の利便と住人同士の交流やエレベーターを使いたくない人用の配慮だ。外階段に比べて利用頻度が高いので、奴が潜むには都合が悪かったのだろう。

夕子は、初めて内階段に出た。つづら折りの階段が下へと続いている。折り返しの踊り場から先は見えないが、延々と一階まで同じ造りの筈だった。『逃げ切れるだろうか?』一瞬躊躇する。

普段は階段など使った事が無い。もしも途中で追いつかれてしまったら…恐ろしい想像に足が竦む。しかし、猶予は無い。意を決して駆け降りる。最初の踊り場を通り過ぎてすぐ、後ろからドアの閉まる音と再び乱暴に開けられる音が立て続けに聞こえた。『早い!やっぱり逃げ切れない⁉』

必死だった。迫って来るドス黒い思念から逃れたかった。自分の心臓の音以外は聞こえなかった。階段は永遠に続くのではないかと思われた。視界が暗くなった気がして、絶望に飲み込まれてしまった気がした。『助けて…助けて!』

「ロウ!!」思わず叫んでいた。自分の声では無いような大声だった。

途端に階下のドアが開く音がすると同時に、ロウの声が響いた。「夕子!」

つんのめりそうになりながら最後の踊り場を折り返すと、一階ロビーのドアを開けたロウが見上げていた。「どうした!大丈夫か⁉」

膝の力が抜け、その場にヘナヘナと座り込む。『助かった?…』「ロウ?…」

上階でドアの閉まる音がする。逃げた…のか?見上げるが、追っ手は来ない。外階段に回れば、裏口から駐車場へと続いている。追撃を諦めて逃走したのだろう。

「携帯電話を忘れたんで、届けようかと…明日でもいいかと思ったんだけどさぁ…」ロウが何故か取り繕おうとする。『ありゃぁ何でここに居るんだって顔だなぁ。またドヤされるのかなぁ…』

夕子は呆れた。『ピンチになるとやって来るとか、アメコミのヒーローかよ…また助けられたんだよ、あんたに!それなのに、この男ときたらマッタク…』

夕子は目を閉じ、上がった息を整えるべく、大きく息を吸った。吐き出す息と同時に口を吐いた言葉は、自分でも驚くほど平常運転だった。

「馬鹿なの?」


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