51. 百魔夜行1 プロローグ
「これを持ち帰るがよい。何かと入用であろう?ワレの気持である」
いつもの大魔王執務室。
婚約者である元悪魔軍総司令官ゼブブが控えめに寄り添う中、ベノンは呆然と立ち尽くすしかなかった。
「だ、大魔王様。これは?」
目の前には1週間も旅行に行けるほど大きなボストンバックが十は積み重なる。
その1つをおそるおそる開いてみると・・
ドーンッ!!
中にはギッチリと詰め込まれた紙幣の束がこれでもか。
は?
慌てて次のバッグを開いても札束の嵐。
次を開いてもその次を開いても。
最後の一袋だけは金銀財宝に魔石宝石。
「約10億魔国紙幣と希少石ですわ」
固まってしまった初々しいカップルに秘書アンジェリカが説明する。
クールビューティな大魔王秘書として傍にひかえ、大魔王が直接言うにはちょっと口をはばかるけど伝えなければならないことを代弁する。
ちなみに10億の魔王国紙幣は日本円にしても概ね10億円になる。
「い、いただけませんいただけません!だいたい魔王国としての財産は魔王様のものであり魔王国民のためのもの!俺なんかが頂戴していいものではありません!」
ベノンが慌てて手を振るのは当然のことであった。
大魔王と家臣全員の想いはひとつ。魔王国の魔人たちの幸せであり安心と安寧である。
ここ数十年でやっと国家の体を成してきた魔王国だがまだ道半ば。費用をかけて改善していく事業は山盛りだ。
大魔王本人が国庫を自分に使うことはない。国家再建に全てを注ぎ込み続ける。
全ての国家財産は大魔王のモノであるのだから全ての財産は国民のために使われ続けているのだ。
大魔王は豪華な装飾も肖像画や銅像も求めない。豪華な食事どころかちょっとした嗜好品すら求めない。
今日もどこかで飢えている魔人の子供がいるとこっそり古物商を訪れ自分のマントやグローブを買い取ってもらおうとするのだ。
もちろん大魔王様が訪れた古物商のオヤジが買い取るはずもなく、五体投地して禿げた頭を地べたにこすりつけレジに入っていたその日の売上金すべてを捧げようとするのだが。
「そうではない、そうではなくてだな!」
大魔王の叫びが木霊するが、オヤジが売り物として展示してあったタガー・ナイフを自分の首にあて「大魔王様に永遠の忠誠を!この店の財産は全て大魔王様からの預かり物でございます!」
一気に自分の首を跳ね飛ばすことで店主不在となった店の全てを大魔王へと引き渡そうとするのだった。
大魔王は即座に止めたし平謝りしたのだが、そのせいでオヤジがさらに顔面を地面に埋め込んでお詫びをするという終わらないループにはまってしまうのも通常運転である。
そんな大魔王をベノンは一番側で見てきた。
もちろん彼もお給料はいただいている。だがそれは生きるための必要経費だけである。余ったお金は寄付するか子供たちへ送る菓子の材料費として消える。
魔王軍の軍団長のくせ実は貯金ゼロのスカンピー。それは副官ガストンをはじめ団員も皆似たり寄ったり。
彼らにとって財産は己の強靱な肉体であり筋肉だ。金がないから不安になることもない。
大魔王様がいれば怖いものがないのだから。
「受け取ってくれぬだろうか?ワレから一番の部下への気持ちなのだから」
少しだけ目を伏せた大魔王。
ピシビシッ!!
一瞬にしてその場にいる全員に緊迫した空気が走った!
傍に控える古老の宰相ジルベスト、気配を消して控える秘書アンジェリカ、他にも多くの文官・武官が忙しそうに行きかうこの執務室。
まるで時間停止の魔法をかけられたかのように動きをピタリと止めてベノンをギロリと睨んだが、一瞬で解除されたため好男子ベノンが気づくことはなかった。
もちろん全員が反応したのは「一番の部下」の下りであったが口に出すものはいない。今大魔王が伝えたいのはそういうことではないのだから。全員が強い歯ぎしりで口から血が滴り落ちそうになるのを耐える。歯茎から血が出るのはリンゴを食べたときばかりではない。
楽しそうにその空気を味わう悪魔ゼブブ。
嫉妬の感情はちょくちょく利用するものであり使い慣れた武具のようなものだ。
私にとっても大魔王様は恩人ですし尊敬も崇拝もしておりますが。これはまた随分ですわね。
彼女がこっそりとほくそ笑んだ瞬間に大魔王と目線があってしまう。
そのわずかの瞬間で、おまえも悪魔らしいなと微笑まれ、それはそうと受け取るがよいぞとコンタクトされたことに気付くのだから元悪魔軍総司令官はだてではない。察知能力もワールドクラスなのだ。
受け取らないという選択肢はなさそうですわね?私が本気になればお金なんていくらでも稼ぎようはありますが。そういうことではないのでしょう。
「国庫からは1魔国紙幣も出しておらぬからの。ベノンが考えておることはマトを外れておるわ」
宰相であり国庫を管理するジルベストが言うのだから間違いない。大魔王様の目の前で嘘をつける魔人などいない。
ベノンはそこで気づくのだ。
じゃあこのお金の出どころは間違いなく・・・
「あなた?これ以上は大魔王様のお気持ちへの不敬になりますわ。私たちに求められるのは大魔王様へのお気持ちに応えて一層お仕えすることではないかしら」
何気に「あなた」呼び。
しかしここにガストンはいない。突っ込み役不在。
彼がいるなら心の中で「悪魔の洗脳おそるべし!」叫んでから腹を抱えて大笑いしているだろう。
「世界が認めたおぬし達が一緒になるのだ。ワレらが出来るささやかな手向けなのだから気にする必要はないぞ」
そうだ。
この大王はこういう魔人なのだ。
自分のことなどいつも最後の後回しで周りの幸せを願う方なのだ。
最近少しは嗜むようになられた嗜好品も魔王宮の程よく優美な装飾も。
これらは宰相ジルベストと秘書アンジェリカの手回しによるものでしかない。
装飾に気付いた大魔王が何か言おうとすると宰相が「国として品位を保つ必要がありますからな、これも国のため民のためですじゃ」遮るように必要不可欠であり魔王国の為であることを説明する。
料理長ヤヒチによる最高級の菓子を一口食べた大魔王が残りをポッケに入れて街へ出かけようとすると。
その手首を秘書アンジェリカがガシリと掴み「二口め三口めのお口触りの変化も味わって頂かないと。魔王国を訪れる来賓に大魔王様がご存じない甘味をお出しできませんわ。もちろん大魔王様がご納得いただければ同じものを街の子供たちにも配らせていただきますので」
大魔王がやろうとしたことを先読みし逃げ道をふさぐ。
服飾、武具から身なりに日用品まで全てがこんな感じであり、宰相と秘書は時に女中頭を時には魔王軍団長までを巻き込んで大魔王に趣向を提供する。
そんな大魔王が自分にかけてくれた思いなのだ。ベノンの熱い魂を撃ち抜かないわけがない。
尊敬する大魔王と愛する彼女の言葉と気持ちが頑くななベノンの気持ちを拭いさる。「頑固な汚れもキレイさっぱり!」さっきまでの想いはどこへやら。大魔王様に関することだけはお堅いベノンだが今回はクリーニング終了である。
お気づきであろうが既にベノンの中でもゼブブを「愛している婚約者」と錯覚しており、やがて彼にとっての真実となる日は近い。仕掛けている相手が「それが世界の真理」であることに露ほども疑っていないのだから。
「ありがたく受け取らせていただきます!決して無駄なことには使いません!!」
「私からも御礼を申し上げます。私たち夫婦の忠誠は天地が裂けてもございませんわ」
大魔王は二人の言葉を聞くと、礼なぞいらぬと嫌そうな顔で「もう話は終わりだ」と腕をふった。
そのくせ頬筋が嬉しそうにあがっていることに気付いたのは、正面から大魔王を見ていたゼブブだけである。彼女は大魔王と目が合うと、嬉しそうに目を伏せて頭を下げたのだった。
大魔王の執務室を退出した後。
「ところでジルベスト宰相。こんな大金どこから出したんだ?国庫からではないのだろう?」
額が大げさ過ぎて不思議である。
こんな大金をどうやって捻出したか想像もつかないからだ。大魔王様にヘソクリが存在するわけがない、かといって結婚する者が出るたびに行われるカンパで集まる金額ではない。
新居として大豪邸を建て豪華な披露宴と新婚旅行をしても間に合う金額である。
「さてな?ワシもアンジェリカも最近夜型なもので眠くてかなわん。大魔王様からお許しを頂いておるし二人して引けさせてもらうよ。あとは頼むぞ」
ああそうかまかせておけと手を振るベノンの横で、ゼブブは宰相ジルベストと自室へ戻ろうとする秘書アンジェリカに深々と頭を下げた。
「皆様のご厚意ありがたく頂戴しますわ。ベノン様が皆さまを支える要となれるよう私も尽くすことで御礼いたします」
「さてなんのことを言っておるのかわからぬが大魔王様の元に集う我らは同じ志の仲間じゃ。恩も御礼もなかろうて」
言い置くと眠そうに部屋に戻っていく。もう遠く廊下の曲がり角までいってしまったアンジェリカも振り返らず片手をあげるだけ。
二人が角を曲がって見えなくなるまで頭を下げ続けるゼブブを不思議そうに見守るベノン。
二人きりになって話を聞いたベノンから出た言葉は仲間たちへの感謝ではなかった。
「え。それズルい」




