3. 大魔王の休憩 1
「大魔王様、ご休憩はどうされますか?」
秘書アンジェリカがトレイを持って微笑む。
紅茶の香りが鼻孔をくすぐり張り詰めた頭脳が弛緩していく。
魔王城にある大魔王の執務室。
そこには今日も様々な案件が持ち込まれる。
大国として世界に認知される魔王国。大魔王の果たすべき役割も多岐に渡りノンビリ時間なんて寸分もない。
外交・国土防衛や経済、国土開発や農林水産。食料事情、福祉。科学分野や魔法の発展。
式典や来賓への謁見、魔王軍の演習視察などなど。王が顔を出さねばならぬ行事も多い。
時には魔王国に侵入した天使や悪魔を退け、暴れる魔人を諭し、揉め事に沙汰を出す。
大量の案件が大魔王の決断を待ちわびるのだ。
スピードとタフさが大王に求められる資質となる。
そんな多忙なワレが決断を行うために不可欠な要素をひとつあげるならば。
情報であろう。
諜報員を各国送りこむのは当然。だがそれだけでは生の声が拾えぬ。
情報は鮮度が命。
口をついて出た言霊すら逃さないのが大魔王流なのだ。
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【 スキル: 大魔王ズ・イアー 】
代々の魔王国王に引き継がれる常時発動型スキル。現世では大魔王グラディウスの固有スキル。
魔王国と大魔王に対する不敬な発言を全て傍受する。
世間で冗談として語られる"大魔王の地獄耳"とはこのスキルのことであり実在する。
敵の貴重な情報を得られる代償に大魔王や魔王国に対しての罵倒、嘲り、文句、愚痴、不平、悪だくみや敵意などを延々と聞かせ続けられるはた迷惑なこのスキル。
人間界で親が子の躾に使う「そんなに悪い子だと大魔王にオヘソ取られちゃうぞ」という慣用句も全て大魔王にキャッチされており、その都度大魔王に悲哀が漂うのも王の宿命なのである。
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今この瞬間にも悪魔王がワレに呪いを吹きかけようと呪詛の呪いを唱え、天使共は魔王国滅亡の祈りを捧げておる。
知っていれば何とでもなる。戦術も戦略も情報ありきなのだから。
パキュウウウウウンッッッ!!
ワレの心核が撃ち抜かれた音が響いた。
言うまでもなく音響は我の頭蓋の中だけで響く感動のハーモニー。
秘書アンジェリカが用意した菓子を口にした瞬間の出来事であった。
「ほう。この菓子はうまいな」
我が秘書アンジェリカの差し出した菓子の衝撃的な美味さよ。
表面は程よい歯ごたえと中はフンワリ、優しく甘く親鳥が卵を抱擁するようにフカフカと餡を包み込む。
果実ペイストの餡は濃厚に甘くしかしフレッシュな酸味。新鮮な力強さとほんの少しのホロ苦さを伝える。
ワレの中では親鳥に優しく包まれた卵からヒナが孵り、愛情タップリの小虫を与えられて大きくなっいく様が映る。
やがて若鳥へと成長し必死に翼を羽ばたかせ初めて空へと飛び立つ・・・生まれたヒナ鳥が巣から独り立ちするまで姿が走馬灯のように流れたのだ。
菓子ひとつで自然界のワン・シーンを感じさせる秘書。ワレは見事に執務を忘れ「休憩」させられたのだ。
天晴なり我が秘書アンジェリカ!
ワレの心核をほんの一瞬でも忘却の彼方へと誘うとは恐るべきその手並み。
まさに大魔王の秘書であり相棒と呼ぶに相応しい魔人である。
「お褒めに預かり光栄です。シェフにも伝えましょう」
良い休憩を挟むことが出来た。
秘書アンジェリカのおかげである。だが彼女は知らん。
因果応報。良い時間を過ごしたならその分頑張らねばならんということを。
ワレの絶え間ない情報収集がほんの一瞬停止したのだ。
心核が撃ち抜かれてしまっては執務もスキルもへったくれもない。感動にワレの全ては味覚へとそそがれたのだから。
刻一刻と移り行く世界情勢。
情報収集スキルがストップした瞬間にも世は大戦へと舵をきったかも知れぬ。
情報の過去履歴を確認せねばならぬ、しかし現在も刻々と入り続ける情報も止まらずに処理せねばならん。
流れ過ぎる情報に感じる焦りを顔にも出さずに、ワレは時間を取り戻す為に更なるスキルを展開するのだ。
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【 スキル: 大魔王ズ・デュアル・コアー 】
思考を並列化する大魔王の固有スキル。
発動すると別々の思考を同時に行うことができる。
大魔王が心奪われ思考が停止した際などに使用される。
メイン・コアー(大魔王が通常行う思考)を分割することで起動する。分割する数により呼び名が変わる。
大魔王の意志により別の媒体(ゴーレム、大魔王人形、水晶玉等)に分割した思考を移して稼働させることも可能。
長時間の使用や過大な負荷をかけるとブーンと音がして熱処理が必要になることがあり注意が必要。
冷却には大魔王の独自魔法"アイス・ノン"や"ヒエッ・ピタッ"が有効だが公に使用した記録は残っていない。
大魔王は部下の前でオデコにヒエッ・ピタッを貼り付ける姿は見せられないのである。
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リアルに発生する情報の処理しながら、過去の情報の確認を同時に行う。
ほんの一瞬といえ広い世界に数多存在する数十億の生命が発言した履歴である。
僅かな時間経過でも上書きされ薄れていく情報が相手だ。
超高速演算頭脳でも処理は容易ではない。
性能の上限いっぱいまで使って調べていくと。
やはりあるのだ、こういう時に限って。
薄まった情報で詳細まではわからぬが、感触は大した不敬ではない。
ほんの僅かな不平を漏らした程度であろう。
それでもワレのスキルからはレッド・アラートが鳴り響いておる。
危険度は内容だけではないのは5W1Hの要素次第である。
今回の危険度が高いのは「この魔王城内の誰かが口に出した言葉」だということだ!
近い者からの不平とは!大魔王と呼ばれてはや幾年月、しかしうぬぼれるにはまだまだであるぞワレ!
部下が発するのは不平という名の心の涙なり!
まさかこの魔王城の中でワレに対してそのような言葉を発する者があろうとは己の油断に腹立たしい。
しかし探ろうにも薄れていくアーカイブではどの者が何を語ったか正確に把握が出来ぬ。
放っておけぬ事態発生である。
「我が秘書アンジェリカよ、この魔王城内での極秘調査を命じる」
「なんなりとお申し付けを」
突然の指図にも風のように現れ膝をつくアンジェリカ。相変わらず完璧である。
「ワレや魔王国に不平や不満を感じる者はおらぬだろうか?どんな軽微なことでもよいから赤裸々に聞いてみたいのだ。城内の全ての魔人まででよい」
大魔王としていちいち臣下のグチに目くじらを立てるわけにもいかん。
放っておけばよいのかもしれぬ。
だがしかし。
これまで無かったのだこんなこと!
まさか自分の足元で不満が渦巻いているかもしれんとは!ワレに大魔王たる資格なんぞ無いんじゃないか!?
「そのような問いは調査するまでもございません」
秘書の顔には”当然”と書いてある。
「ほう、同士アンジェリカ。その真意を問おう」
「それでは僭越ながら」
臣下の礼を取りながら控えめに発言しておったはずのアンジェリカ。
しかし次第に頬に赤みがさし張りのある大きな声へと変わっていく。
「この魔王城に在りし全ての命は身も心も全身全霊をもって大魔王様にお仕えしております!」
「この忠誠には砂粒ひとつ、いえ1ミクロンの呪言すら入り込む余地があろうはずもありません!」
「臣下一同は大魔王様の御心のままに己が首を刎ねる事すら惑うことなくやり通すでしょう!」
・・・
「不平不満なんぞあり得るわけがございません!!!!!」
そうであった。
わが同士アンジェリカを一言で現すならば「一途」。
彼女の中にはワレに不満を持つ魔人なぞ存在するハズもないのである。
良かろう。
相棒が断言するのであればワレの中でも真実・・だ・・・してしまおう・・・か・・?
き、聞いてしまったのだから責任を取らねばならぬ。
ワレのモヤモヤは心の棚に鍵をかけてしまっておくが良いのだ。
いざとなれば何とかする、それこそが王の役目だ!
ワレの心の棚は随分前から容量オーバーしておるがそれは別の問題なのだ!
「その返答や天晴である!!大魔王グラディウスの名において先ほどの命令を撤回する!引き続きワレと魔王国の為に歩み続けるがよい同士アンジェリカよ!!」