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病に臥す龍吾

屋外から建設工事の音が聞こえてくる。病床の道場龍吾は後妻の恵子と静かな生活を送っている。

龍吾は病に倒れる前までは龍武土建の社長だった、家の外からは建設工事の音が聞こえてくる、

目と鼻の先で工事をしていのに、もはやかかわることが出来ないのだと、寂しさを募らせるのだった。

 二 寂れた家


 目を閉じていると、ドスンという衝撃音とともに、濡れ縁と部屋を仕切る硝子戸が震えた。駅前で行われている店舗用の中層ビルの建設工事の音だ。工事の場所は家から歩いてほんの五分のところにある。音のうるささよりも寂しさを感じていた。こんな近くで土建工事をやっているのに、もはや自分は係わることができない。   

 咳が止まらなかった。床に伏せたまま口元を押さえた。苦しみながら、七十五歳の道場龍吾は、こんなものかと思った。


 襖が開く気配がすると、

「だいじょうぶですか?」

 隣の部屋にいた恵子が聞きつけて、洗面器を手にして、急ぎ足でやってきた。

 前妻の佐代子が死んだあと、結婚したいまの女房だった。歳が十五歳離れていたが、爺さんに合わせてか、いつも和服を着ている。その結婚生活は穏やかで落ちついたものであった。

 うつ伏せになると、龍吾は洗面器に咳き込んだ。

 恵子が背中を撫でてくれた。何度もえずきながら咳をくり返したが、胃の中からはなにも出てこなかった。しばらくのち落ち着きを取り戻すと、仰向けに姿勢を変えた。


 天井板をぼんやりと見つめた。

 ところどころに染みが浮き出て、木の節も目立ったが、木目は美しく流れていた。戦後すぐに、自らが経営する土建会社の従業員たちとで建てたものだ。

 当時の都会の住宅としては上等なものだった。

「恵子。天井の染みが広がってきたわぃ。戦後のどさくさのときに自分で建てた家じゃから、いいかげんなものじゃ」

 かたわらですわっている恵子もならって天井を見た。

「染みといっても、たいしたことないですよ。雨がしたたり落ちてくるわけではないですしね」

「しかし、築三十年程度で雨漏りとは欠陥品じゃなぁ……。手直ししたくとも、もう、俺のところには一人として従業員がいない。やってくれるものは誰もいないわ」

 龍吾は自嘲気味に笑った。

「そうですね。もう、あんたがやってきた龍武土建も自然消滅ですね。今では、わたしとあなたの二人っきりですね」

 恵子はこれまでを振り返るように、しみじみと天井の一点を見つめた。

 すべての気力が萎えたような、そんな気持ちだった。そんな龍吾の口から、長い間、頭の隅に押しやっていた名前が出た。

「帰ってこんよな……。圭太のやつ」

 龍吾は口に出したあと、こんなことを自分から言うようになったのかと思った。

 圭太はもはや自分の子どもではないと思っていた。一人息子の圭太は、中学を卒業したあと家を飛び出した。実際にこの十五年間、再婚前後に家庭の事情と称して、恵子に話したきり、その名前を口にしたことはなかった。

 龍吾は、自分の気持ちをどう扱ってよいかわからないほどに、気弱になっているのがわかっていた。

 このごろは臥せていることが多くなり、食事や、風呂の代わりに体を拭いてもらうときなどに上体を起こすだけになっていた。

 医者からも持って三か月だといわれている。そのことは自分の耳で確かめた。

 病院で最期を迎えるか、自宅で迎えるか、選択を迫られ、すかさず自宅を選んだ。恵子には、龍吾の意思をくみ取ってもらい、看病という面倒なことにつき合ってもらうことになった。


 龍吾の体が思うように動かなくなったのは二年ほど前からだ。二、三日動いたら、二、三日床に臥せる。半病人になった。当時すでに七十歳を越えていたが、龍吾は、自分は常に頑強だと信じていた。こんなに早くガタがくるとは思ってもみなかった。

 半病人の状態となってからは、土建会社の社長でありながら、仕事の契約をとることができなくなった。腕力をちらつかせ、相手を威圧しながら仕事をとるのが龍吾のやり方あった。力をなくした社長ではなにもできなくなった。

 後継者も、口には出さずとも、一人息子の圭太にするつもりであったものを、結局、何年待っても帰ってこなかったため、それも育てていない。

 おのずと従業員は一人また一人と、龍吾に背を向けて、別の土建会社へと流れて行った。ついに昨年、会社の看板を掲げたまま、龍吾も倒れ、社屋は空っぽになった。


 天井の節を順に眼で追っているうちに、龍吾は目を開けているのが辛くなってきた。

「なにかあったら、呼んでくださいね。隣でかたづけものをしていますから」

 龍吾が目を閉じたのを、体の状態が落ち着いてきたとみて、恵子は部屋を出ていった。

 一人になると薄目を開け、庭のほうに首を向けた。硝子戸の手前に半開きになった障子戸があり、障子戸のすき間から屋外に立てかけられたよしずが見えた。この部屋に直接日射しが入るのを防いでくれている。

 よしずの内側で、陰となった軒先に一本の風鈴が吊り下げられていた。鉄製の風鈴だった。

 暑い季節の生暖かい風に揺られて、ささやかながら鈍い鉄音を奏でていた。


  ( 続く )


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