軒にかかる風鈴
暑い夏が過ぎ濡れ縁に立てかけてあるよしずが外された。龍吾は床から軒にぶら下がった鎧の風鈴を見るのだった。
十 残された時間
龍吾の時間は布団に臥せたままたっていく。
人を打ちのめすような暑い日差しはいつまで続くのか? 首を障子戸のほうへ向けて、その戸の隙間から縁側に立てかけられたよしずを見た。よしずの先の屋外で、なにが行われているかは床に伏せている状態では見えない。建設工事の音だけが聞こえてくる。
意気盛んなころなら、近所で工事があるとなったら、力づくでその仕事をとったものだが、もうそんなことは過去の話だ。
土建業は自分の半生をかけた仕事だ。その音を病床で聞きながら朽ち果てていくのは自分らしいと思った。
心残りは息子の圭太のことだ。龍吾が生涯で一度、心底惚れた女との一粒種だ。中学卒業してから家を出て行ったきり会えないままでいる。
圭太が出ていったときから、中学生の分際で一人で生きてゆけるものか、じき、戻ってきて、バツが悪そうに玄関の前で立っているものだと思っていた。
帰ったよ」と頭をかいて、玄関口にでかい図体をした圭太が突っ立っている。そんなことばかりを考えていた。だが、歳月ばかりが過ぎ、今も圭太は姿を現わせていない。
圭太はどこでなにをしているのだろう? 生きているのか死んでいるのか?
自らの命が間もなくつきるとわかっているから、最期に一度どうしても会いたかった。死んだ佐代子の一粒種の圭太と、どんな形であろうとしっかりと、最後にけじめをつけておきたかった。
そんな龍吾の終期を知ってか、建設工事の音に紛れるようにして、カラカラという風鈴の音が聞こえてくる。
縁側に立てかけられた大きなすだれ、その内側の屋根の軒下に鉄製の風鈴が吊るしてある。岩手県産の南部風鈴である。
この鉄製の風鈴は、幼い圭太の手を引きながら、祭りに行ったとき、たまたま見つけて購入したものだ。龍吾は、この風鈴が、佐代子と圭太と自分を唯一つなぐものだと思っていた。
苦々しい記憶だが、佐代子は、圭太をつれて従業員の佐野と駆け落ちした。龍吾はすぐにも岩手県の山奥まで追いかけて、三人が身を寄せる田舎の離れへと踏み込んだ。愛するものを奪い返す。龍吾にとっては、戦場で戦うのと同じことだった。
そして、力ずくで母子を取り戻した。
愛する佐代子と圭太を勝ち取ったのだ。龍吾は濡れ縁へと出ると、男になれたと勝ち名乗りをあげたかった。岩手の青々とした天空を見た。そのとき、軒に吊るされていた鉄製の風鈴に気がつかなかった。風で大きくなびいた風鈴は鋭く龍吾の目じりを切った。それが岩手県産の南部風鈴だった。
――このおれを傷つけるとは。えれぇ、屈強な風鈴だなぁ。おまえ鉄の鎧でできているのか……。
この風鈴にいちもく置いた。いい音色だった……。
床のなかから龍吾は、隣の部屋にいる妻の恵子を呼んだ。
「恵子。恵子!」
襖が開くと、決して美人ではないが、落ちつきにある風貌の恵子が入ってきた。
「どうされました?」
膝をつくと、床に臥す龍吾の目線の高さに合わせ、おじぎするような恰好をした。
「少しずつ、暑い季節も去っていくのぉ。そろそろよしずは必要ないのではないか? いつ外すんじゃ?」
龍吾の言葉に恵子は濡れ縁に立てかけてあるよしずを見た。
「そうですね。今年は暑い日が長引いていましたからね。でも、あと一週間もしたら取り外してもいいように思います」
「そうか……」
待つか……。
よしずが外れれば、風鈴がこれまで以上に風になびいて暴れる。そうなれば奮い立った龍吾の懐かしき日が蘇る。自分が強かったころ、佐代子も圭太もかたわらにいた。強ければすべてが思いのままになった。龍吾にとっては過去の栄光だった。時代錯誤と言われようと、その気持ちをいま一度よみがえらせたかった。
そのいっぽうで、日々衰え、死を前にして、こうも思う。力だけを信じたことはただの驕りだった。力、力……。それだけを信じた自分が馬鹿だった。息子にはもっと違った接し方があった。親として失格だった……。
龍吾は飛び出していった息子の圭太に思いをはせた。
「時間がない……」
つぶやいた。
よしずの立てかけられた軒下で、風鈴が狭苦しそうに揺らぐのを目で追った。恵子もしばらく同じようによしずを見ていた。
が、頃合いを見計らって、「用事を思い出しましたわ」と立ち去っていった。
恵子は龍吾にいつもそつなく接してくれる。だが、なにを考えているのかがわからない。
いつものことだった。龍吾はため息をついた。
( 続く )