舞台の幕はかく断たれる
――かくして。
まるで何事もなかったかのように、日を終えて、またぎ、そしてまた、休みが終わる。
ほんの少しだけふしぎで、ほんの少しだけ妙ちくりんな、そんな事件は――誰の記憶にも、残ることはなかった。
咲良などの、ほんの少しの例外を除いては、の話だが。
「春天まで競馬やめます」
「来週じゃないの」
「今年は運が向いていないねぇ、玲奈くんも……」
かくして。
のどかな春の昼下がりには、またしてもそんな、他愛もない話が繰り広げられていた。相変わらず閑古鳥が喉を潰して鳴き続けている、そんな状態である。
さんさんと射し込む陽も、柔らかく散りゆく桜を孕む風も。何も、変わることはなく。
「というか、今月のお賃金はあるんですよね?」
「かなり身銭を切る事になるかなぁ……警察の支払いが悪くてねぇ。今度脅さないと」
「去年もそんなだったわよね……」
ほんのちょっぴり物騒で、けれどもそれが日常で。
強いて記憶らしい物があったとすれば、壊れていった物たちだけで。
ぴかぴかのワゴン車が、小さなガレージの中で誇らしげに胸を張っていたから――それさえ、とんでもない早さで、風化していった。
もちろん、前と同じ車だったのは、言うまでもないだろう。
「……あ、その。お茶、入りましたよー?」
「ん、聞いていないな。持っていってやれ」
「はぁーい」
――なんだか、まるで夢を見ていたみたい。
咲良には、それがふしぎと、居心地が悪く思えた。
「……本当に、覚えていないんですね」
「あぁ。そうした」
――あの後。
ぱちりと目を覚ましてみれば、とうに少女はいなかった。既にどこかのマンションに送ってしまったらしかった。
なんで起こさなかったんですか、と不機嫌になったが――しかし、引き留めかねないだろう、と正論を返される。
まったくもって、胸がちくりと痛むような、正論であった。うぐぅ、と小さく唸ることしかできなかった。
「……だからって。さよならくらい、言わせてくださいよ」
「まあいいじゃないか。そうホイホイ今生の別れが来るわけじゃあるまい」
まりえとしては、ちょっとしたジンクスのようなものだった。
確たる別れを口にしてしまえば、二度と会えない。
……だったら、逆説的に何も言わなければ、結構ふっと会えたりするんじゃないか?
そういう、子どもじみた屁理屈。あとは、気遣いだとか、そういうもの。
もちろん、他の理由もあったりしたのだが――まぁ、それはまた、別の話だ。
「それに、もう彼女はお前を忘れているんだ」
「えっ!?」
なんでもないような声で、とんでもない新事実を突きつけられた。
「カバーストーリーを植え付けさせてもらった。あの事件に関わる一切の記憶は、何もかも存在しない。トラウマにもならん」
「……え、えぇ」
そして。
まりえという女の、真なる恐ろしさを知った。
なるほど、思考や感情だけなら、まだかわいげがあった。だが、そこに基づく経験や記憶までをも、手に取るように識れてしまうのだ。ともすれば、本人よりも深く。
そして、認識できるのであれば、逆説的にそれさえ書き換えてしまう。
「それってその、人としてどうかと思うんですが――」
「はは、もう遅い。姉さんの記憶は既にしっぽり書き換えたんだ、『今日は何もない素晴らしい一日でした』とな」
そして、非常に真っ当極まりないツッコミは、絶句に変わった。
そもそもが、姉妹揃って行動力の化身である。
よくよく考えれば、いの一番に茶化してきそうなとつぐが、すうすうと深い寝息を立てて眠っているのだから、その時点で何かを怪しむべきだっただろう。
最もその憂いさえ、時既に遅しというものだったが。
「もちろん、関係各所……というか、身内の記憶も書き換えておくよ。軍からの報償は、まぁうまく処理しておこう」
罪悪感の欠片もなく紡がれる犯罪予告。
最早それに、何か諭そうという気は失せた。助手席へ向かって、するりと手を伸ばす。
目を覚ますような予感は、ない。手応えはどこにもない。
「やはりな。咲良、その異能は何も、『異能によって破壊された物』まで効力を及ぼすものじゃあるまい?」
「なっ――」
事実で、あった。
異能そのものは、確かに使えなくなる。だから、図らずしてまりえの精神干渉から逃れられているのだし、人知れず危機からは逃れられている。
だからと言って、その力が既に及んだ物にまで、というのは無理だった。
そんな虫のいい話がまかり通るのであらば、とつぐの超絶大規模破壊による修繕費用などというものはさっぱり消えてなくなっている。
それこそまさしく、時間を巻き戻すような所業になるだろう。
「読み通りだな。あの少女を実験台にして色々試したが、うまく行きすぎていた」
「……最初から、こうする気だったんですね」
「八方丸く収まったんだ。私としても、うら若き乙女に妙なトラウマを植え付けたくはないのでね」
まるでそこに、罪悪感はない。
かくあるものをかくあるところへ。高きから低きへ流れるように。それが常識だ、と言わんばかりの、軽い笑みを浮かべる。
「ところで私は、かなり股癖が悪くてね。他人の好きなものが、どうしようもなく欲しくなるんだ」
しかし――続けられた言葉に、またしても言葉を失う羽目になった。
「要は寝取り趣味なんだが……まぁ、姉さんを寝取られるとは思っていなかったんだ。なので、私がお前を寝取れば恋のトライアングルが成立して丸く収まるんだよ」
どう考えても狂人じみた理屈。
何をどう頑張っても、日本語が成り立っていない理論。それをまるで、全世界普遍の原理かの如く、しみじみと語り始める。
クズの妹は、狂人であった。それをようやく、理解した。
「私とお前だけの愛の秘密、ということにしておいてくれ。相当に荒唐無稽な話だ、誰も信じまい」
さて着いたな、と何でもないような言葉を続けた。
だが、完全に凍り付いてしまった咲良は、そこにまで意識が向いていなかった。
「あれって結局、本気にした方がいいんですか?」
「お前の心の内は見えないから、それとなく匂わせてほしい」
「……愛の秘密がどうこう、ってやつ」
正直、口にするのもおぞましい言葉であった。
悪い人じゃない。むしろ、まだ考えている方ではある。
親を亡くしたトラウマを下手に植え付けたくはない、という細かい説明は、ちゃんと後々聞いていただけに。むしろ、普段はそれなりに紳士的なのだから。
「本気だが嫌か? 有無は言わせないぞ」
「あの、せめてもう少しまともな理屈を付けてくださいよ」
二人だけの秘密、というのは、まぁ悪くない。
だが、そこに付随する理屈がおかしい。珍しく寝坊をするくらい考えたが、どこにも現実的な理屈がない。
「はは……ほら、さっさと行ってこい。姉さんはぬるい麦茶が嫌いなんだ」
「すごい雑にはぐらかしましたね……」
やや乾いた笑い声とともに、軽く背中を押し出される。
そうなっては、最早どうすることもできず。結局、ちゃんと聞き出すことはできなかった。
「妬いちゃった……などとは、言えないな」
ぼそりと呟いた言葉が、誰に聞かれることも、なかった。
「だけど、今朝はずいぶんうるさかったねぇ……」
「あぁ、引っ越しだそうで。大学だとしても、だいぶ遅い時期ですよね」
かくして、麦茶を無事に渡し終わったわけだが。
その頃には、既に話題は巡り巡って、明後日の方に行っていた。
恐ろしく平凡な話題であることに、逆に仰天してしまった。
「……あの。普通の人、住めるんですか?」
「ここ、最上階は普通のアパートなんだよねぇ……一応、防音工事はしてもらっているよ」
確かに、咲良はこの事務所の外観を真面目に見たことがない。
ガレージは広かった様な気がする。そのくらいの、非常にぼんやりしたものである。
「ま、クソ狭い上に祭り案件勃発済みですが。入居する好き者もいるんですねぇ」
「破格だもの。学生さんなんかは、案外気にしないんじゃないかなぁ?」
数十分で消化される、ただの世間話。
だがそれは、すぐに打ち切られた。
「すいませーんっ。えーっと、二個上の部屋に越してきた者です!」
咲良にとっては、見慣れきった少女の来訪によって。
事件は世間的になかった事になりましたが解決はしたので問題ありません(TAS並感)。なお、当然JKちゃんは人格諸共フルリライトかかってます。
これを本人って言えるの?人格に対する殺人じゃない?つかまりえちゃん生かしてていいのか……?という話は、まぁちゃんと本編でも言ったり言わなかったりしますがだいぶ後なので首長竜になって待っててほしい。




