ミスカルキュレイション
やっぱりこんな飲み会なんて、参加しなければよかった。
イーライは、ぱっとしない女性メンバーに心の中で盛大な溜め息を吐いた。
彼女達は、勤め場所が大手ばかりなだけあって皆真面目そうだ。
仕事ができるのだろうというのは伝わるのだが、それだけだ。
地味でダサくてもっさりしていて、どう贔屓目で見たって平均点に及ばない。
イーライの社交辞令に、顔を真っ赤にする様には内心げんなりする。
もちろん顔に出したりはしない。
何が、「いい子が来るよ」だ。
イーライの想像した『いい子』とは、顔がいい子である。
こんな野暮ったい女達を『いい子』とは、言わない。
はっきり言ってもいいならば、ブスは御免である。
時間の無駄、この上ない。
飲み会にはしょっぱい女達しかいないというのに、それなりに盛り上がっているというのも面白くない。
楽しそうに笑うのは、「いい子が来るよ」と言ったダグラスだ。
美形で女を選び放題のくせに、なぜ地味女なんかにサービスするのかイーライには全く理解できない。
しかし内容を聞くと、昨年の薬学の権威アルゼール氏の新薬の論文についてだったので納得した。
なんでもダグラスは、アルゼール氏のファンで、彼の書く書籍は全部持っているらしい。くだらない。
結局、イーライには何一つ楽しみを見つけ出せない飲み会だった。
だから、二次会に誘われたイーライは悩んだ振りをしてから断った。
眉を下げて、残念そうに首を傾げるのがポイントだ。これで大抵は騙されてくれる。
イーライは自分の顔の使い方を熟知していた。
男らしいと言われる訳ではないが、可愛い顔をしているとよく言われる。
思春期の頃は嫌だったが、可愛いと言われるのは決して悪くない。だって、『可愛い』は女が大好きだからだ。
ほとんどが二次会に行く中、イーライと同じく帰る者がいた。
サラとかいう女だ。ラストネームは長ったらしいということしか覚えてない。
ダサい眼鏡に、ダサい髪型、ダサいワンピース、ダサい反応……。
百点満点中三十点のダサ女で、イーライの社交辞令にぽうっとなるチョロい女でもある。
そのハズレ女は、イーライと帰り道が同じだった。
そのせいでダグラスに彼女を送ってくれと言われてしまった。最悪だ。
「送ってくれなくても大丈夫です、私、一人で帰れますからっ」
赤い顔でしどろもどろで言うサラにイーライは苛立ちを感じた。
しかも、彼女の友人らしき地味女がサラに頑張れとでもいうように合図をしているのを見てしまい、苛立ちは二倍になる。
身の程を知れと、なぜ教えてやらないのか不思議だ。
本当は仲が良くないのだろうか。
「……じゃあ、途中まで」
こう言わざるを得なかった。
それに、帰路が途中まで同じだったのだ。
「イーライさんって優しいんですね」
「そんなことないよ」
はは、と笑いながら言う。
本音は、『早く分かれ道にならないかなあ』である。
「飲み会って、苦手だったんですけど……今日来て、本当に良かったです」
勘弁してくれ、と思いながら「それは良かった」とサラの方を見ずに、早口で言う。
本当に勘弁してほしい。
せめて平均点を超えていたら持ち帰ったかも知れないが、サラは三十点の女である。
今、隣で歩いているのも恥ずかしい女だ。
「わ、私、」
「あははっ──」
分かれ道まであと少しと言うところで、何かを言いかけたサラの言葉をイーライは笑い声で遮った。
面倒なことを言われる気がしたし、もう我慢の限界だったのだ。
「──でも俺は今日の飲み会ハズレだったなあ」
「え?」
「『いい子が来る』って聞いてたんだけど、来ないし。ねえ、参加予定の子が急に欠席になったりした?」
「…………」
「あー、なんかごめんね。君を貶したかったわけじゃないんだよ」
嘘である。これは、明白な貶しだ。
「君は男を見る目があるけど、俺も女を見る目があるんだよね」
イーライのこの言葉に、サラは顔を真っ赤にして俯いた。
「俺こっちだから」
そう言って、イーライは歩き出す。
イーライはそのまま振り返らずに、「じゃあね」と言い残し足取り軽く帰宅した。
一年後。
イーライは、勤めている親会社の創立百周年のパーティに参加していた。
普段は子会社で働いているが、さすが帝都一大きな会社である。パーティーが豪華だ。
参加がドレスコードなのは、会場がホテルプラザ・リッチモンド──帝国一のホテルだからだ。
太っ腹な会社だ。料理も酒も格別である。百周年、万歳。
親会社の女性の顔面偏差値は高いと聞いていた通り、美人が多いのも嬉しい。
さて、最近のイーライは、そろそろ結婚を考えている。
とは言え、相手はまだいない。付き合っている女とは皆別れたばかりだ。
それというのも、結婚に向いていない女ばかりだったからだ。
家事もできないのに、結婚したら仕事をやめたいと語られた時は呆れた。いい年して夢を見るのも大概にしてほしい。
それに、(自分もしているから責められなかったが)浮気する女はご免である。
「イーライ!」
イーライがある女性に目を奪われていると突然、名前を呼ばれた。
ダグラスだ。
彼は、一年前までは同僚だったが昇進し、今や親会社で働くエリート組である。
顔が良くて、エリートで、性格も悪くないダグラスを、イーライは実はあまり好きではない。
ちなみにこの瞬間、本日ダグラスの着ているスーツが、イーライのスーツより明らかに値が張っていそうなので『あまり好きではない』から『好きではない』になった。
「久しぶりだな」
爽やかな笑顔のダグラスに、イーライも作り笑顔で「そうだな」と返す。
イーライは会場の隅にいる女性について知りたかった。
彼に呼ばれるまで、目を奪われていた女性のことである。
親会社のお偉いさんらしき人に何か説明をしている様子を見るに、秘書かそれに準ずる何かなのだろうと推測されるその人物は、イーライの理想を体現した女性だった。
パステルグリーンのシンプルな形のワンピースに、同色の繊細な造りのヒールが似合っている。
カラスの濡れ羽色の髪に、宝石のような青い瞳を持つ彼女は、この会場で一番──とまではいかないが、イーライを強く惹きつけた。
どこかで見たことがある気がするが、声をかける文言で「どこかで会った?」なんてダサ過ぎて言えない。
それに、彼女ほどの人物ならはっきり覚えていない方がおかしいので、おそらく勘違いだろう。
そして、これから始まるであろうダグラスの近況報告なんか聞きたくないイーライは、先手を打って気になっていたことを聞くことにした。
「なあ、あの女性は親会社……いや本社の人間だろ? ダグラスの知り合いだったりするか?」
イーライの指の先を見たダグラスは「え?」と首を傾げる。
「あのパステルグリーンのドレスの女性はダグラスの知り合いか?」
聞こえなかったのだろうかと、もう一度聞くとダグラスは歯切れ悪く「ああ」と頷いた。
「彼女に恋人はいるのか? いや、知り合いなら彼女を紹介してくれ!」
「待て待て。彼女と君は会ったことがあるし、それに、」
「やっぱり会ったことがあったのか!」
運命を感じたイーライが感動で、ダグラスの言葉を遮る。
「で、彼女の名前は?」
「……サラ・マーギュリスシェルハートだよ」
──サラ・マーギュリスシェルハート?
聞いたことがあるような、ないような名前にイーライが首を傾げると、ダグラスが苦笑いをしたのでムッとする。
「知ってるならさっさと教えてくれよ、嫌な奴だな」
「去年、飲み会をしたろ? 君と一緒に帰った子だ」
──去年の、飲み会……一緒に帰った……?
「も、もしかして、あのサラ……?」
「そうだよ。あと、サラは諦めなよ」
「何でだ? もしかして、お前もサラを狙ってるのか?」
「馬鹿を言うな、サラは友人だ。それに、僕には恋人がいる」
「じゃあ、なんで諦めろなんて言うんだ」
「……もうすぐ、彼女のラストネームが『マーギュリスシェルハート』じゃなくなるから、って言うかな」
「え?」
「彼女は、サラ・スウェイジになるんだ」
「『スウェイジ』って……」
「ああ、彼女の婚約相手はうちの社長の長男なんだ。来年、このホテルで披露宴予定らしいよ」
──来年、このホテルで披露宴予定らしいよ?
ダグラスが同僚らしき男と話し始めたのを横目に、イーライは未だに急な展開に頭が追いついていない。
その時、イーライはサラと目がばっちり合った。
しかし、サラがどこからか現れた男に呼ばれて振り返ったことで、その目線はすぐに外される。
サラを呼んだのは、オーランド・スウェイジ──スウェイジ社の次期社長の男だった。
サラより頭一つ分大きい男は、たたずまいが洗練されていると言えばいいのだろうか……自信が姿勢と表情に表れている。
しかし、決して傲慢さを感じず、サラをエスコートする手も自然だ。
そして、端正な顔立ちと切長の黒い瞳は、会場の女性の視線を集めている。
勝てる訳がない──恋人がいたって余裕だろうと思っていたイーライは、敗北を認めざるを得ない。
そこでふと、自分がサラに言ったことを思い出した。
『君は男を見る目があるけど、俺も女を見る目があるんだよね』
過去に戻れるならば、とこれほど切に願ったことはない。
イーライは、あの日の分かれ道でのことをひどく後悔した。
【完】