無いものが見える
無いものが見えるっていうのは子供の頃からあった。ただしオカルトじゃない。
何歳か判らないけど小さい頃、多分2歳とか3歳とかそんな頃。
目を閉じていると、赤い小さな光の点が視界全体に無数にあって、
それが全部同じ速度で同じ方向に動いていることに気付いた。
意志の力で速度や方向は変えられる。
数日後には緑色の点が別レイヤーで動いているのも見えるようになった。
しばらく後に青い点も見えるようになったけど、
これは赤や緑に比べると半分くらいの見えやすさだ。
これ以外にも、赤と青の光が絡み合うよう電気の雲とか、
赤と青の小さな同心円がいくつも集まったものとか、
いろんなものが見えるようになっていった。
ただなんとなく、そのことは人には言わないほうが良いような気がした。
多分5歳くらいの頃。
部屋に居る時、兄に虹色の雲が漂っているのが見えるかと訊かれた。
見えていた。
そのことを伝えると、それを飛ぶ遊びをしようと言われた。
嬉しかった。
これが見えるのは自分だけじゃないと知って安心したのかもしれない。
数日後、ボクのほうから兄に虹色の雲を飛ぶ遊びをしようと持ち掛けた。
兄は渋い顔をした。
それが見えるのは頭痛に関係することだと言った。
兄は幼稚園か小学校に通っていた。
誰か大人にそんな話をされたんじゃないかと想像した。
それきり兄はこの話をしなかったし、ボクも誰にも言っていない。
ボクが小学校に上がる頃には、虹色の雲は見えなくなっていた。
ボクは実際、片頭痛持ちだ。
ただ、見えているのは片頭痛に関係する閃輝暗点というよりは、
それとは関係無いらしいビジュアルスノウというやつのようだ。
歳を取るにつれて見えるようになるもの、見えなくなるものがあった。
見えなくていいものが見えるのは、やっぱり不自由だ。
こういうのが見えないと楽で良いだろうなと思う。
目が悪いから、本当に見えなくちゃいけないものが見づらいんだ。
人の顔とかさ。ぼやけてて見分けられない。
家族でさえ外で会ったら判らないんじゃないかと思うよ。