愚考
初投稿ゆえ見苦しい点があるかと思いますが、短いので流し読みでもしていただければ幸いです。
キーワードの設定は合ってるかわかりません。
寂しさを埋める術には巧拙がある。長けている人間は、その分だけ悩むことも孤独を感じることも少なくなる。
社会的動物であるところの人間に必要なものは、その技術だけなのではないだろうか。
とある男がいた。中肉中背、目は細く、鼻は歪み、唇は分厚く、表情も乏しい。その風貌から、人に好かれず、友人と呼べる存在は片手で数えて指が余る程度である。
一流とはいかないけれど、それなりの家庭でそれなりの愛情を受けて育ち、大した起伏のない人生を歩んできた。
20代も後半に差し掛かろうとしているが、それまでの人生と変わらず冴えない毎日を送っている。
男は優しさに溢れていた。他人の困っている姿を見捨てることができない性分だった。それゆえに苦労も絶えないのだが、自らの親切に対する謝辞が何よりも彼の心を躍らせるのだった。
男には「親友」と呼べる人間がただ一人いた。不器用な彼をよく理解しており、奇異なものとして扱ったりしなかった。
それどころか、理不尽な目に遭っていたら手を差し伸べてくれるような好青年だった。そんな人物だからか「親友」の周りには様々な種類の人間がいた。
ある日、「親友」から遊びに誘われた。 それは、彼とその友人たちで企画したものであり、当然その友人たちも参加するものだった。
男は自分がその場に参加している様を想像し、不似合いだと判断し断ろうとしたが、「親友」から強く誘われ渋々行くことにした。
当日昼過ぎ、照り付ける日の光を背中に受け止めながら、男は河原でバーベキューコンロの火に団扇で酸素を送っていた。
「親友」たちは総出で食事の準備をしているため、男は一人ぼっちだった。そこに「親友」の友人の一人がやってきた。
彼は、男の側で立て続けに質問をした。「親友」とはどういう関係なのか、どう出会ったのか、いつから仲がいいのか、と男と「親友」の関係性にまつわる質問ばかりだった。
男は困惑しながら全ての問いに答えていた。少し違和感を感じたものの「親友」の友人との関係性の維持と新しい出会いに対する興奮で、無意識のうちに押し込められてしまった。
男の浮かれ具合など気にすることなく友人の質問は続いた。なぜお前みたいなやつが彼といるのか、どんな気持ちで隣を歩いているのか、のこのこと集まりに参加してんじゃねえよ、お前みたいな風貌の悪い奴はお呼びじゃねえんだよ。
いつの間にか質問は批難に変化してしまっていた。
男は視界に映る批難を続ける彼、その周囲にたたずむ人々、冷ややかな目つき、緩やかな川の流れ、そこに反射する木漏れ日を、一枚の静止画のように感じたが、それらはすぐにぼやけ始めた。
男は騒ぎを聞き近くへ来ていた「親友」の姿をぼやけた視界の端に捉えた。「親友」はただ目を伏せ佇んでいた。そうしている間にも批難は続く。
しばらくすると「親友」は調理場へ戻ってしまった。
その一連の流れのなか、男には時間が何倍にも引き延ばされたように感じられた。
以来、男は「親友」に対して距離を縮めて接するようになる。
男の心中には焦燥と不安と希望とが綯い交ぜになった、どす黒い感情が渦巻いていた。それを知ってか知らずか「親友」の態度には以前と変わる様子はない。
話しかければ笑顔で答え、悩み事や愚痴にも真剣に向き合ってくれる。
「親友」の変わらない態度を見て、男の感情の嵐はむくむくと大きくなっていった。
「親友」の目線に、言葉遣いに、身振りに表れた無機質な感情が、男の膨れ上がった卑小な自尊心を刺激してやまなかった。
その気持ちを抑えきれず、男は「親友」を手にかけてしまう。
それは、晴天の正午過ぎだった。男に誘われ、家を訪ねてきた「親友」を男は自室に案内し、絨毯に腰を下ろした「親友」の背後から首に縄をかけた。
暴れる「親友」を押さえながら男はふと窓の外を見た。
黒雲が近づいて来ていた。
その後の男の生活は大きな変化もなく漫然と過ぎていた。
「親友」の死は、まだ明るみに出ておらず、その証拠となるものは全て男の部屋で抜け殻となったままだ。警察による捜索は行われているらしく、男の平穏が破壊されるのも時間の問題だった。
男の態度は平然そのもので、まるで身近な人間の死を匂わせていなかったが、男の中では「親友」死が大きく膨れ上がっていた。
忘れることは叶わず、毎日それにまとわりつかれ、身体の至る所に傷を負わされるような気さえしていた。
男が感じていたのは罪悪感や後悔ではなく恐怖だった。
「親友」の死に対して世間はまるで無関心で、なかったことのように扱われていることが、男にとっては絶望的だったのだ。
それは、感傷的な出来事に対しての世間の反応への期待が裏切られたからだった。
男は情に飢えていた。愛情、友情、果ては同情だとしても、他人との温かいつながりを必要としていた。
迫害をものともせず他人に優しくあったのは、そうした欲望が心のうちに渦巻いていたからに過ぎなかった。
唯一、本物の温かさを与えてくれたのは「親友」とのつながりだったが、それは男が抱いた空想に過ぎなかった。
ゆえに、男には衝動以外に明確な殺しの目的があった。
「親友」の死が世間にどう影響し、周囲の反応の強弱を観察することがその目的であった。この実験は男にとって失敗に終わったのは言うまでもない。
世間は人の死に対して、慣れすぎていた。それは例えば、近しい友人であっても同じく、しばらく悲しみに暮れたのち何もなかったように元の生活に戻っていく。
それは、振る舞いの上だけの強がりであったり、実際に無関心であったり、悼むだけが弔いではないという価値観からであったり様々だが、いつまでも気にかけ態度にまで表す人物はいなかった。
そのことが男の心に大きな暗雲を齎すことになった。男は、人が他人へ情をかける最上の時期は死後であると考えていたのだった。
男の、その幼稚で無知な理想は「親友」の死を機に砕かれたかたちとなった。
しかし、男の気持ちは晴れやかだった。
そして男は自殺した。