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『うんこ』



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愛野宅

明の部屋



愛野家の2階にある明の部屋。

元々別々だった6畳と4畳の部屋の壁を、ぶち抜いて作られた明の部屋。

こちらも台所の統一と同じ、グレーとオフホワイトで纏められている。

アクセントとして赤色も少し入っているが、落ち着いた雰囲気で明の拘りが見える。

ただその中で目を引くのが、パンチングバッグ。

本格的なボクシング用品は入れられない為、重しにスプリングが付いているサンドバッグを置いていた。

そんな部屋の三人掛けのソファに、足を伸ばして横向きで座っている明。

手元にタブレットを持ち、手を忙しなく動かしている。

ただ・・・手元は動いているが、視点はタブレットの画面を通り越してしまっている。

いわゆる、心ここにあらずな状態。

本日、愛野宅で行われた蟹鍋パーティーが終了してからずっとこの状態。

先ほど「お風呂湧いたよ〜」と太郎が言いに来たが「ん〜〜」と返事を返してから、かれこれ30分経つもソファから動こうとしない。


ピコン


ローテーブルの上に置かれたスマホから、LINEの通知音。

その音に反応した明は、手を伸ばしてスマホを取り画面を確認する。

【ミント白田】

どこぞの大食い選手の様な名前が、LINE通知のお知らせに表示されている。

それを見ただけで、胸がざわつく。

明は「ふぅ〜」と1つ息を吐き出してから、人差し指をスマホ画面に滑らせる。


『今、家に到着しました。今日はご馳走様でした、また次回ある時は呼んで欲しいな』


まさに17日振りの白田からの連絡。

あれだけウザいと思っていた白田のLINE攻撃は、すぐに画面を確認せずに放置していた。

それが今では、食い入るように画面を見つめる。

返事を返した方がいいのか・・・・・だが、何と?

これが雛山や雅ならば、そんな迷いは無い。

相手が白田なだけで、こんなに戸惑ってしまう。

スマホ画面とにらめっこ状態の明。

ただ、時間だけが過ぎていく。

すると・・・・


『それと言い忘れた事があるんだけど』


と画面に表示された。

そして続いて・・・


『今日の明、とても可愛かったよ』


そのメッセージの後に、目がハートの猫のスタンプ。


ボトンと明の手から落ちるスマホ。

明の顔はみるみる赤くなる。

バクバクと暴走し始める心臓に、両手を当てて歯を食いしばる。


「くそっ・・・なんだよ・・」


居間に2人きりになった時から、自分はおかしくなってしまった。

背中から抱きしめられ、抵抗出来なかった。

何も言わない男の体温と匂いに包まれ、五月蝿い程に高鳴る心臓に、何故か鼻の奥がつんするのを感じた。

どれぐらいの時間、そうして居たか解らない。

やがて「仲直りしたの?」と戸襖の向こうから、桃に問いかけられた。

離れていく男の体に、有ろう事か少し物足りなさを感じてしまった。


いったい自分はどうなってしまったのか・・・・

ソファの上で三角座りをしている明は、なかなか収まらない胸の鼓動に困惑していた。



******



白田宅



都内にあるマンション。

最上階に近い階にある白田の部屋は、1LDKの間取り。

黒とブラウンのシックな家具に、所々に観葉植物の緑が映える。

白田は濡れた髪をタオルで拭きながら、リビングに入って来た。


今日から再開した、明へのLINEアタック。

家に戻ってきてすぐに、今日のお礼と共にずっと思っていた事をLINEで伝えた。

雛山が教えてくれた通りに、LINEを送ってすぐに既読が付いた。

それからのメッセージも、送ったと同時に既読が付く。

明が画面を開きっぱなしだと言うこと。

ただ開いて放置をしているのか、それとも・・・・ちょっとは気にして返事を返そうとしてくれているのか。

最後の『今日の明、とても可愛かったよ』とメッセージを送っても、返事は返ってこなかった。

待つのも諦めて、白田はバスルームへと向かったのが20分程前。

ガシガシと髪を拭きながら、黒い革のソファに腰を下ろす。

そしてローテーブルの上に置いていたスマホの、通知を知らせるライトが点滅している。

それに気付いた白田は、素早い動きでスマホを手にして画面を開く。


『今日、楽しかったですねぇ〜。お鍋も美味しかったですし、白田さんが差し入れしてくれたケーキもとても美味しかったです。ご馳走様でした』


雛山だった。

ガックリと肩を落とす白田。

純粋にお礼のメッセージを送ってきてくれた雛山に失礼だが、今の白田は廃人になったジョー状態。


「何を期待してるんだか・・・・」


抱きしめても抵抗しなかった明に、少しは歩み寄ってくれるかもと都合のいい期待をしていた。

彼に恋人が居ないと解っただけでも、一歩前に進むことが出来た。

今はそれだけで、充分。


「はぁ」


1つ吐息を吐き出すとうんと頷き、雛山に返事を返そうとスマホの画面を見る。


ピコン


画面の上にLINEの通知。


愛野明からのメッセージ。

それは通知だけで、内容が解る一言だった。


『うんこ』


メッセージ画面を開かなくても、解る文章に目を丸くする白田。

そして、ぷっと吹き出しやがてお腹を抱えて笑い出す。

送ったメッセージとは全く噛み合ってない、文面だったが。

初めて彼から返ってきたメッセージ。

決して綺麗な言葉ではないが、それでも白田は嬉しかった。

20分も悩んだ末に送ってきたメッセージは、照れ隠し。

そんな彼が愛しくて堪らなかった。



******



双葉広告代理店

デザイン部



カチカチとタイピングの音とマウスのクリック音が響く、デザイン部。

フローラの新商品のポスターが仕上がり、今は次のプロジェクトに移っている。

それは新商品が店頭に並ぶ際に、商品を引き立てさせる什器のデザインラフの作成。

勿論、継続して雛山もチームに参加。

自分が思い描く商品のイメージを膨らませ、液晶画面に描いていく。


「いつもの白田さんに戻ったって」


集中していた雛山の耳に、知り合いの名前が届く。


「一時期、物凄く元気無かったもんねぇ〜。もうあの笑顔が見れなくて、私まで元気無くなっちゃったもん」


聞き耳を立てるのもと思ったが、立てる以前に普通に会話が聞こえてくる。

雛山の真後ろの席で話されれば、嫌でも聞こえるだろう。


「本当本当、あの笑顔見るのと見ないとでは、その日の運気も違うもん」


白田の笑顔はご利益でもあるのだろうか。

神輿の乗せられた白田を想像してしまい、雛山は肩を震わせて笑う。


コツンコツン


何か軽いものを打ち鳴らす音がした。

白田は前の席に座っている、鷲森に視線を向けた。

さっきの音は、ペン先で雛山のPCを叩き注意を引こうとしたみたいだ。


「ねぇ」


前のめりになってコソコソと話し始める鷲森に、雛山も聞こえるようにと身を乗り出す。


「白田さんって彼女いるの?」


「え・・・何で?」


「たしかちょっと前までは居ない筈だったの・・・・だけど今朝から様子がおかしくて」


「?」


変だった様子が、元に戻ったわけじゃなくて?

首を傾げる雛山。


「以前に増して笑顔が眩しくて、羽が生えてるように足取りが軽やかだったんだって。雛山君、一緒にランチする程仲がいいでしょ?知らない?」


「・・・・・・・・・」


それは間違いなく、昨夜の出来事に関係してます。

そう言いたいが、言えない。

明と仲直りした後の白田は、物凄い上機嫌だった。

愛野宅からの帰り道は2人で駅に向かったのだが、鷲森の言う通りの状態。

何処かへそのまま飛んで行ってしまうんじゃかいかと思うぐらい、舞い上がっていた。


「ぷっ・・・」


思い出し笑いをする雛山に、キョトン顔の鷲森。


「な・・・何も・・知らないですぅっふふふ」


「いやいや、笑いながら言っても説得力ないから」


鷲森のツッコミはごもっとも。

だが知っていても、言えるはずがない。

社内のアイドル的な白田が、他の会社の男に恋をしているなんて。

27歳の男が、あれほどウキウキしている姿はなかなかお目にかかれないだろう。

恋する乙女。

そんな言葉が似合う白田。

雛山は何度も昨夜の事を思い出し、その度に吹き出してしまい仕事に集中出来なかった。




29へ続く

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