4:庭園学院 執行部の会長と副会長はつきあっています
早川まどかは執行部室の奥から出入りできる狭い書庫の中で探し物をしていた。書庫には庭園学院の執行部が関わってきた行事の記録や、校則の改革を行ったときの資料などがびっしりと詰まっている。そんな書庫の一角に、執行部員を務める生徒の私物置き場と化している箇所があった。
学院執行部。判りやすく言葉を変えるなら生徒会執行部。まどかは庭園学院の執行部と料理部を兼任している。
「あの本、どこに置いたかしら」
私物を置いている書棚を眺めてみるが、目的の物が見つからない。料理部の部長から次の献立について相談を受けたため、まどかは自分が持っている献立図鑑を探していた。
「持って帰った記憶はないけれど」
呟くと、ふと見慣れた背表紙が視界に入った。
「あ、あった」
まどかはようやく探し物を見つけたが、書棚の最上段に差し込まれていて背伸びをしても手が届かない。何か踏み台になるものはないかと辺りを見回すと、書庫の扉を開ける音がした。咄嗟に振り返ると、見知った人影が入って来る。
「どこへ行ったのかと思ったら。……おまえ、こんな処で何をしているんだ」
執行部の副会長を務める結城晶だった。まどかよりも一年先輩で卒業を間近に控えている。魔的なほどに整った容姿は鮮烈に感じるほどで、まどかはいつも圧倒されてしまう。昨年までは彼が執行部会長として学院に君臨し、やりたい放題に手腕を発揮していた。まどかに会長を譲ってからも、実質は彼が学院を動かしていることに変わりはない。
顧問や後輩の期待に応えて、彼がこんな時期まで執行部を任されているのが哀れな気もするが、きっと本人は余興として楽しんでいるのだろう。この学院内で彼が成し遂げたこと数え切れない。確立された手段や方法も多岐にわたり、その成果は著しく学院を変えた。けれど、はっきり言ってその全てがことごとく自分、――あるいは執行部の都合が良くなるように作られているのだ。まどかが執行部の会長でありながら料理部という部活を兼任できるのも、彼の策略によって執行部の負担が少なくなったおかげだ。
「本を探していて……」
「本?」
まどかが見上げる書棚を、彼も同じように仰いだ。
「そこにある献立図鑑なの。見つけたんだけど手が届かなくて」
云い終わらない内に、彼は長身を活かして最上段に手を伸ばす。まどかが触れることも出来なかったものを簡単に手に取った。
「これか」
「ありがとう」
受け取ろうとして手を伸ばすと、彼が差し出していたものを、まるで取り上げるように持ち上げた。
「晶?」
まどかが仰ぐと、彼は何かを企むように悪戯っぽく笑う。まどかはしまったと思い、咄嗟に一歩後退しようとして書棚と彼に挟まれていることに気付いた。晶は書棚に両手をついて、まどかの退路を完全に封鎖する。
「ちょっと待って、何を考えているの? ここは学校よ」
「だから何?」
「何って……」
焦るまどかとは対照的に晶は余裕を含んだ笑みを滲ませる。悪魔的にも見えるそんな仕草が、息を呑むほど美しい。まどかは高くなる鼓動をごまかすように、消え入りそうな声で続けた。
「と、とにかく、その本を渡して」
「そうだな、キスしてくれたらね」
「何を言ってっ」
抗議しようとすると、まるで言葉を封じるように軽く唇が重なった。まどかは瞬時に何が起きたのか判らない。頬を朱に染めて絶句していると、彼が身を屈めたまま吐息の触れる距離で笑う。まどかはハッと我に返ると、ますます頬を染めて抗議した。
「こ、ここは学校なのよ。なのに、こんな処で……、何を考えているの?」
「ここがどこかなんて考える必要もない。二人きりなら問題ないだろ」
さらりと前髪が触れ合う近さで、彼がまどかを追い詰める。
「おまえが罪悪感を抱かないように、この学院における交際についての校則を変えたんだ。おまえと俺が付き合っていることなんて誰でも知ってる。どこで逢引しようと、いまさら誰かに責められるような覚えはないな」
確かに彼はまどかと付き合い出すと、すぐに男女交際を禁じる校則に対して改革を打ち出し、あっさりとなし遂げた。それまでは彼が学院内でまどかに触れようとするたびに、まどかは「誰かに見つかってしまう」と逃げ出していたのだが、それ以来その逃走手段は使えなくなってしまった。
「だ、だけど、節度のある交際をって」
「節度のある交際? そんな解釈の曖昧な規定なんてどうでもいいだろ。要は自己責任で行えということだ」
一学年しか違わないのが信じられないほど、彼は大人びた色香でまどかを絡め取ってしまう。逃げ出すための口実を取り上げられてしまうと、まどかには抗う術がない。言葉を失ってしまうと、ゆっくりと彼の長い指先が頬に触れた。思わず固く目を閉じると、もどかしさを打ち破るような強さで引き寄せられる。指先がまどかの長い髪に絡み、頭を支えるように添えられた掌の熱がうつる。
もう一度唇を重ねると、拒むことの出来ない波に容易く攫われてしまった。
抗えない温もり。
自分を見失いそうになる深さにまで、引き込まれていく。
なのに、不安よりも恐れよりも募っていく確かなモノ。
まるで塞がれた呼吸にあえぐように、まどかは息使いと共に彼の名を呼んだ。
声にならない声。
それは確かに彼に届いたのだろう。背中に回された腕が応えるように動く。体ごと抱き上げられてしまいそうな強い力。
放課後の書庫で、まどかは完全に囚われてしまった。