13:庭園学院 空想学園のスケープゴートは生徒会長
空想学園のバレンタイン祭は賑やかで演出も見事だった。賑わう中庭に設置された巨大画面には映像が流れ続けている。本来なら楽しい時間を過ごせるはずなのに、早川まどかは心から楽しむことが出来ず、複雑な気持ちだった。
生徒達が営む露店で綿アメやたこ焼きを買い求めながら晶と校内を巡っているが、黒沢遥のその後が気になって仕方がない。
「賑やかですね。たしかに企画運営力は素晴らしい」
ふと背後で聞きなれた声がした。まどかが咄嗟に振り返ると、いつもの見慣れた白衣ではなく、品良くスーツを纏ったアルバートが立っていた。
「博士も来ていたんですね」
まどかが驚きを隠せずに問うと、アルバートは底の知れない微笑みを浮かべた。
「思惑通りに事が運ぶのか興味があります」
何の憂慮もない様子で、アルバートは涼しげに答える。彼の手段を選ばない容赦のなさを知っているまどかは、ますます不安になってきた。傍らの晶が慰めるようにまどかの肩を叩いてからアルバートと向き合う。
「博士、心配しなくても黒沢には薔薇色の水を飲んでもらいました」
「当然です。そんな初歩的な段階で思惑が外れては話になりません」
アルバートの美しい微笑みが恐い。まどかがひたすら遥を案じていると、賑わう中庭がさらに騒がしくなった。まどかが何気なく目を向けると、まるで人だかりを誘導するように黒沢遥がどこかへ向かっているのが見える。彼を取り囲もうとする人だかりは、一様にして綺麗な包みを手にしている。どうやら彼を慕う後輩達や女子生徒が贈り物を渡そうとして集まってきているようだった。
「あれがこちらの生徒会長でしょう? さすがに人気モノですね」
アルバートの感想を聞きながらも、まどかは遥の様子が気になって仕方がない。食い入るように見守ってしまう。遥は取り巻く生徒達が差し出すモノを受け取ることはなく、困ったように笑って気持ちだけを受け取っているようだった。それでも足を止めることはなく、ひたすらどこかへ向かっている。時折背後を振り返って何かを確かめているように見える。まどかには追いつかれてはいけない何かがあるように思えた。
「――驚きましたね。晶、本当に彼に薔薇色の水を仕掛けたのですか」
「彼をかばって何のメリットがありますか。俺がみすみす博士の報復を喰らうようなことをすると思いますか」
「たしかにそうですね。ミス早川は例外として、晶はそこまで優しくない」
遠めに眺めているまどかにも判るほど、遥の顔色が蒼ざめている。決して具合がいいようには見えない。心身の不調を気力で持たせているという印象がする。まどかは見ているのが心苦しくてアルバートを振り返った。
「博士、なんだか彼はとても具合が悪そうに見えます」
アルバートは心なしか眼差しを細めて、遥を観察しているようだった。
「ええ、本当にこちらの生徒会顧問の言うとおりですね。私には信じがたい光景ですが、――東吾の思惑が叶う可能性は高いのかもしれません」
「博士、いったい何のお話ですか。あの会長さんは大丈夫なんですか」
まどかの危惧を気にする風でもなく、アルバートはいつもどおり笑う。
「何が起きようと命に別状はありません」
にこやかな答えにまどかは肩を落とす。そういうことではなくて、と言い募ることが既に無駄である気がした。まどかが晶と顔を見合わせていると、目立つ白銀が視界をよぎった。見ると混じりけのない白銀髪の男子生徒が教師らしき男と、アルバートの処へ歩み寄ってくる。
「アルバート博士、この度は我が校の企画に参画頂きありがとうございます」
男子生徒を連れてやってきた教師が、するりとアルバートに頭を下げた。優しげに歪む眼差しの奥にどこか感情の読めない色があった。まどかが状況を把握出来ずにいると、アルバートが紹介してくれた。
「晶、ミス早川。こちらは空想学園生徒会顧問の東吾です。そして隣にいるのが、副会長の白川奏」
二人はまどか達にはじめましてと笑顔を向ける。晶が自然に名乗って挨拶をするので、まどかも慌てて彼にならった。生徒会顧問である東吾が改めて挨拶をする。
「ようこそ、空想学園のバレンタイン祭へ。お二人の噂は拝聴しております」
まどかがひたすら恐縮していると、傍らの副会長である白川奏が知的な眼差しに柔らかな色を浮かべて笑っている。まどかは見慣れない白銀の髪色と、灰褐色の瞳に圧倒されていた。遥にしても奏にしても、噂から想像していたよりもずっと端正な容姿をしている。この世の者とは思えないほど異質な美しさだった。
まどかは呑気に挨拶をしている場合ではないと我に返る。せっかく生徒会副会長と顧問教師に出会えたのだ。遥の置かれている状況を相談するのも悪くない。
「あの……」
まどかが口を開こうとすると、奏が自分の口元に人さし指を当てた。東吾が補足するように重ねて続ける。
「あなたが気に病むことはありません。これは全て当校の問題です」
まどかは驚いて言葉を呑みこんだ。彼らは全てを知っている。知っていて遥を助けることもなく、ただそっと傍観しているのだ。
「庭園学院に倣い当校にも改革が必要です。少子化の進むこの時代に、いつまでも古いしきたりに従っていては優秀な学生を集めることは出来ません。高い学力と魅力ある校風。兄妹校でありながら庭園学院と当校には、その人気に大きな差があります。ご存知でしたか」
「え、いいえ」
唐突に語られる現実的な事実。まどかは今回の仕掛けの裏にある思惑を垣間見た。
「同じ偏差値と教育システムを持ちながら、今年の出願率には大きな違いがありました。校風の違いです。当校の方針は学生に支持されていません。明らかな事実であるのに、当校の校長は頑なにこれまでの形を死守することを望んでいます。おかげで何かを変えていく事が困難です」
晶が嫌な予感がすると言いたげに、問いかけた。
「それで、秘密裏にアルバート博士に協力を仰いだということですか」
「そうです。当校における黒沢遥の信頼度、そして生徒からの人気は絶大なものがあります。早急に物事を変えていくには、彼のような生徒をスケープゴートにするのが一番効果のある秘策です」
まどかは恐ろしい事実を聞かされた気がした。それにどう考えてもアルバートの薔薇色の水が学園を良い方向へ変えるきっかけになるとは思えない。
優秀な生徒が大問題を起こして、更に学園に汚名を刻むだけのような気がするのだ。
大人の考えることは良く判らないと考え込んでいると、人だかりを連れるような形で前へ進む遥に明らかな変化があった。
「黒沢先輩」
賑やかな喧騒にかき消されそうな声だった。遥が素早く反応するのを見て、ようやくその呼びかけが彼にとって特別なものであるのが判ったくらいである。
遥が凍りついたように歩みを止めた。彼が見つめる先を、まどかも同じように辿る。
一人の女子生徒、まどかにも見覚えのある女の子が視界に入る。天宮朱里だった。彼女が遥に駆け寄って行く。癖のない長い黒髪が彼女の動きに合わせて閃いた。黒目がちの瞳が印象的で、下級生らしいあどけなさがあるものの、整った顔立ちをしている。あと数年もすれば更に磨きのかかった美女になるだろう。
「先輩、待ってください。私、伝えておきたいことが……」
朱里の言葉を最後まで聞かず、遥がくるりと身を翻らせた。力任せに人だかりを押しのけて、脱兎の如く中庭を走り去っていく。見とれてしまうくらい華麗に障害物となる学生をかわし、遥は見事に姿をかき消した。
隣で同じように一部始終を見ていた晶が感嘆したように呟く。
「どうやら、彼女が黒沢の惚れている相手みたいだな。あいつ、自制心の化け物か?――信じられない」
「本当に、信じられませんね」
アルバートも珍しいものを見たように口元に手を当てている。
「薔薇色の水で理性を手放さないとは、もはや人間技ではあり得ません。東吾、彼は何者なのですか」
「当校の生徒会長です。優秀な生徒ですが、それ以上語ることは出来ません」
意味深長にも取れるが、それ以上の素性があるはずもない。まどかはそっと腕時計を見た。まだ効用が切れるまで二時間以上あった。
遥に逃げられた朱里は、唇を噛み締めてから挫けずに走り出す。どうやら意地でも遥の後を追うようだ。
まどかには空想学園が一体どのような改革を望んでいるのか、全く判らなかった。




