呪いのコーヒーカップ
これは、私Aが実際に体験した、あるコーヒーカップの恐怖のお話です…
私が夏休み前の中学2年生を過ごしていたときのことです。私の小学生からの幼なじみBが、こんな話をしてきたのです。
「ねえ、知ってる? まだあるんだって、呪いのコーヒーカップの噂」
私はその話が小学生の時からあることを知っていました。怖がりで幽霊を信じるBは、この手の話を信じ、何度も話をしているのを覚えていたのです。怖いもの知らずで、幽霊など信じていなかった私は小学生の時と同じように『またか』という顔で返事しました。
「またその話? というか、あれから数年経ってもあるんだ、その話」
Bはうんざりしているようでした。
「そうなんだよ~。だからあの遊園地だけは絶対にいかない、って決めていたけど、まだそんな噂あるんじゃ、管理人を疑うよ…」
小学生からある呪いのコーヒーカップの話というのはこうです。
遊園地の中にある乗り物では定番のコーヒーカップ。しかしあるコーヒーカップには、一つのコーヒーカップにだけ呪いがかけられており、それに乗った者には呪いがかかる。すぐに害は起こらないのだが、呪われた者は乗った夜中、無意識にそのコーヒーカップに乗り、スタートしてもいないのにその場をクルクルと回り始め、呪いをかけた者を異世界へと連れて行く、というものでした。
その呪いのコーヒーカップが、この近所の遊園地、D遊園地にあると言います。実際、そのコーヒーカップに乗った誰かが、行方不明になっているという話があるとBは言います。ニュースなど表にその話が出ないのは、警察もお手上げの状態だからと言うのです。
Bは小学生の時と同じ手で私にこれらのことを話してきました。その時の私は、とりあえずうなずく位でBの話を聞いていました。Bの話が終わると、私は疑問をぶつけました。
「それで、なんで数年経ってもあるその話が、今になって?」
Bはおどおどしながら話しました。
「実は、最近になって行方不明になる人が急増しているんだって…! この町にはそれぐらいしかこんな怖い話はないから、絶対あの呪いのコーヒーカップの仕業だよ!」
Bは呪いのコーヒーカップを想像しただけで体が震えるほど恐ろしく思っているようでした。そこまでと言うなら、という目で私はBを見ました。そしてこう言ったのです。
「なら、あさっての土曜日、行ってみる? その遊園地にさ」
それを聞いたBは念を押して聞いてきました。
「あのコーヒーカップには乗らないでしょうね!?」
Bがずいっと顔を私に寄せて聞いてきました。その額には汗がにじみ出ており、嘘をついて『乗るつもりだけど?』と答えたら殺しにかかるかのような形相だったことを覚えています。私は冷静に返事を返しました。
「乗らないよ。私も、さすがに異世界に飛ばされるのは嫌だし。本当だったら、の話になるけど、念のためにね。それにあんたが意地でも嫌って言うだろうし」
Bは安心したようで、ほっと息を吐き出しました。そして私Aと友人Bは、その週の土曜日正午過ぎにD遊園地の入口前で落ち合おうと約束したのです。
土曜日、D遊園地入口前―――
私は約束の時間10分前に入口前に着きました。その5分後―――私の視界に、Bの姿が映りました。Bは私に近づいてこう言いました。
「あ、もう来ていたの? 待たせちゃった?」
私は「待っていないよ」と笑って返事しました。その後早速、私とBは入場料を払い、D遊園地へと足を踏み入れたのです。
入場ゲートを通った私は早速本題であるコーヒーカップの場所をBに訪ねました。私は久しくD遊園地おろか、遊園地自体に人生で行ったことがほとんどなかったので、遊園地にある遊具の名前ぐらいしか知らなかったのです。
「それで、肝心の呪いのコーヒーカップってどこにあるんだっけ?」
Bはいきなり案内はせず、むしろ私が遊園地に行ったことがないことをうらやましがっているようで、こう言ってきました。
「いいなあ、Aは。私なんて、こんな事知らなかったら、気楽に生きていられるのに。でも、今回ばかりは…うん、知らなかったらもう既に私、この世の中にいないかも!」
Bはまた呪いのコーヒーカップを想像しているようでした。その言葉を耳に入れるだけでBは想像してしまうほど、呪いのコーヒーカップのことを信じているようでした。私はBの肩をポンと叩いてやりました。
「まったく、そんな訳ないっての。Bったら、ホントに怖がりなんだから」
そんな言葉をかけても、Bの想像は収まることを知らないようでした。
「…まあ、乗らないって言うなら少しはマシかな」
Bはボソッっとつぶやきました。私の勇気づけは、あまり効いていないようでした。
私はBに案内され、呪いのコーヒーカップの場所に来ました。そこでは、結構な人数のお客が、行列をつくって順番を待っていました。子連れが多かったと記憶しています。
ただ、私がそのお客の中でも印象に残ったのは、その子連れと子連れの間に並んでいた麦わら帽子をかぶった70歳くらいの老人でした。杖をついていないことからすると、かなり元気に生きているようでした。その時、なぜ私がその老人が印象に残ったのかは分かりません。俗に言う『運命』だったのかもしれない、と今の私は勝手に推測しています。
私はすぐ疑問に思いました。命に関わる可能性のある噂が絶えないコーヒーカップなのに、どうしてこんなにお客がいるのだろう、と。すると、その疑問に答えるかのようにBが言いました。
「呪いのコーヒーカップは、乗った人全員を異世界に飛ばすことはせずに、そのコーヒーカップが飛ばす人を選ぶそうよ。だからその呪いのコーヒーカップに乗っても、選ばれなかった人はラッキーなのよ。でも私って肝心なときにツキがないからね。たとえ怖がりじゃなくたって、こんな物騒なものは乗れないって訳よ」
私はBに賛成するように言いました。
「そうなんだ。そう聞くと、私も乗れないかな…」
その言葉に、Bが飛びついてきました。
「あっ、もしかしてAも幽霊とか信じる気に―――」
「そんな訳ないでしょ!」
私はBに即座に反論しました。その時、ジリリリリーンという合図が鳴り、係員の注意の言葉の後、コーヒーカップが回り始めました。その様子を、私とBはお互い黙って見ていました。乗客の中には、私の印象に残った老人もいました。コーヒーカップが回り始めてしばらくして、Bが口を開きました。
「ああ…呪いのコーヒーカップさん…この中の人を選びませんように…」
Bは呪いが自分に移ってこないかという、余計な心配している様子でした。私はそれに対して返事もせず、ただコーヒーカップがクルクル回る様子を見ていました。その中で、老人が乗っているコーヒーカップだけはなぜか注意してみていました。縁が青い花柄のコーヒーカップに乗った老人は、無表情で少し不気味でした。
この時に今の私がいたなら、私は老人の存在を疑っていたでしょう。しかし、当時の私はまったく疑いを持たなかったのです。
私とBはアイスクリームを買い、観覧車に乗って帰りました。私もBも共通のことなのですが、絶叫マシンは苦手なのでジェットコースターには乗らなかったのです。だからといって何も乗らないのはせっかくの入場料が無駄になる、という私の意見から観覧車に乗った、と記憶しています。
私はBと別れ、帰路につきました。日はすっかり夕暮れになり、赤い日差しが私の顔を赤く染めていました。歩いている途中で、私はふとお客の老人の事を思い浮かべました。しかしすぐに考えるのをやめた私は、家までの道を走っていきました。
その夜中のことでした。私は布団の中で目を覚ましてしまったのです。尿意を感じたりしたのではなく、なぜか起きてしまったのですが、私はすぐにその原因が分かった気がしました。そう、呪いのコーヒーカップです。
暗がりの中、私は自分の部屋にかかっている壁時計を見ました。午前1時半、日曜日で学校は休みということを思い出した私は、寝巻きから普段着に着替えました。その時に限って、呪いのコーヒーカップが気になったのです。真実を確かめてやろう、という心が私の中にあったのです。
私は家族に気づかれないよう、そっと玄関から外に出ました。熱帯夜ということもあり、外に半袖で出ても涼しすぎることはありません。私はD遊園地の道を急いでたどっていきました。
当然ながら、遊園地は閉まっている時間です。そのため、私は遊園地の入口だけ見て確認しようと思い立ったのです。D遊園地に着いた私は物陰から、そっと遊園地の入口を覗きました。この時間帯なら、もちろん誰もいるはずがありません。しかし、その常識が壊れるのを私は自分の目で見てしまったのです。
なんと、昼間印象に残っていた老人どこからともなく現れて、遊園地に入っていったのです。顔を見ることはできませんでしたが、老人の歩き方はなんだか不自然でした。どうも無意識に動いているように見えたのです。
私は迷わず老人の後をついていきました。老人はチェーンがかかった入場ゲートをチェーンの下をくぐって通り抜け、堂々と遊園地に入場していきました。普通、見回りの人がいるときにこんなことをすれば犯罪を疑われるでしょうが、今の時間帯、遊園地に人はいません。私は勇気を持って、老人に気づかれぬように後をついていきました。
老人は後ろを振り向きもせずコーヒーカップの前へと歩いて行きました。私は物陰から、老人のこの後の行動を見守っていました。
老人はためらいもなく縁が花柄のコーヒーカップに乗りました。
するとどうでしょう、そのコーヒーカップが電源も入っていないはずなのに回り始めたのです。私は慌ててコーヒーカップの周辺を見回してみましたが、誰もいません。係員もいないのに、あの花柄のコーヒーカップは回っているのです。
そのコーヒーカップに乗る老人の顔は、感情を失ったかのように無表情でした。何か、幽霊に体を乗っ取られているかのようにうつろな顔をしていたのです。
しばらく回り続けていたコーヒーカップの回転が、だんだんと速くなってきたな、と思った次の瞬間でした。老人の体が、突然細長く空に上がる白煙のように細くなり、回転するコーヒーカップの中に吸い込まれていったのです。それを自分の目で見ていた私は一気に背筋が凍りました。そして、老人を吸い込んでも止まることを知らないコーヒーカップを見ないで、一目散に遊園地から逃げ出したのです。
月曜日、私はまたBと話をしました。
「…どうだったの? 行方不明者って、出たの?」
Bはすぐに答えました。
「残念だけど、今の時点じゃ分からないわ。ああでも、この話はあまりしないで。だって、私とAが見た人の中に、行方不明者がいたって聞いたら、私もう、気がおかしくなりそう…!」
そう言って以後、Bは呪いのコーヒーカップの話をしなくなりました。私はBに本当のことを伝える気はありませんでした。あんな恐ろしい出来事、私ですら逃げ出したというのに、Bに話したらBは耐えられないだろうと考えたからです。
その2年後、私が高校1年の夏を迎えた時、D遊園地がなくなったということを聞きました。経営困難だったのか、それともあの呪いのコーヒーカップの噂が遊園地の批判を呼んだのか、それは定かではありません。
ただ確かなのは、呪いのコーヒーカップは実在する、ということだけです………
いかがでしたでしょうか?
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