彼女が日本に来た理由
放課後の赤い夕日の差し込む教室で、ルーテリア・ユニアは、にわかには信じがたい話を語った。
「私は、こことは別の時空間に存在する世界からやってきたの。そこは、宇宙で生まれた謎の生命体、通称フィアに攻撃されていて、私はそのフィアと戦う組織の一員。戦闘中に魔力を切らしてしまって、最終手段として自己防衛のために、時空をまたいでこの世界に転移してきたの」
大真面目にそんなことを話すルーテリア・ユニアに廉は頭が痛くなりながら、ひとまず続きを促す。
「私がここへ来たことで時空の扉が開かれて、まだ奴らに発見されていない時空間であるこの世界も、いずれ見つかってしまうかもしれない。この世界の住人には悪いことをしたわ。でも、私の故郷を……ヴェスタを救うためにも、今私が死ぬわけにはいかなかったの。私はあいつらに対抗する魔法を扱える、数少ない人間だから」
謎の生命体と戦う組織、しかも魔法を使うと聞いて、廉の頭のキャパシティーは限界を迎えた。
「ちょっと待ってくれ。俺は、あんたは異世界からやってきた魔法使いです、なんて聞かされて、すんなり信じられるような漫画脳じゃないんだ」
「!そう、マンガ!やっぱりこの世界が、マンガを生み出した場所なのね」
ルーテリア・ユニアの瞳が、パッと輝く。
「フィアが使う強大な悪の力はね、この世界で生まれたマンガに基づいたものなの。二次元に描かれた人物の絶望や恐怖に取り付いて、それをこの三次元に持ち出しているのよ」
「???」
廉はもうわけがわからず、ルーテリア・ユニアの青い瞳をただただ見つめる。
「わかりやすく説明したいのだけれど……あなた、マンガ、持ってない?この世界にはたくさんあるんでしょう?」
「え、えっと。ちょっと待って」
廉は教室をうろついて、いつもたくさんのコミックを学校に持ち込んでいる斎藤くんの席から一冊拝借する。ルーテリア・ユニアはすぐにそれをひったくってパラパラとめくると、
「こういうの」
開かれたページは、悪役の圧倒的な力に主人公たちが戦慄しているシーンだった。
「これを読んだ人間が感じる絶望は、少しずつ絵に力を与えているの。マンガは、もはやただの紙とインクではないのよ。多くの人間が読むほどに絵に込められた絶望の力は大きくなる。いわゆる【ベタな展開】ほど、強大になるというわけよ。フィアはそれを利用して、攻撃してくるの。……私の話、信じてる?」
「いや、いきなり言われても。確かに漫画は日本の偉大な文化だけど……。その一方で、日本人はリアリストでもあるからね」
「マンガを生んだ世界なら、こういう話はすぐに信じてくれるものだと思っていたのに。がっかりだわ」
ルーテリア・ユニアは制服の中から、菱形の水晶のような首飾りを取り出す。
「これが私の魔法道具」
そう言って、軽く指をパチンと鳴らすと、廉の身体がふわりと宙に浮かび上がる。
「わっ!?」
「今は魔力の回復中だから、簡単な魔法しか使えないけれど」
もう一度指を鳴らすと、廉の身体はいきなり解放され床に叩きつけられた。
「これで少しは信じられる?」
「……い、痛いほどわかったよ」
腰をさすりながら立ち上がり、廉はルーテリア・ユニアを睨む。
「それで、フィアの使う悪の力に対抗するには、正義の力が必要なのよ。悪役側ではなくて、主人公側における、ベタな展開ね」
「でも、ベタな展開っていうなら、悪役は大抵最後には負けるのがセオリーだろ?」
「現実はそううまくはいかないのよ。私たちはあいつらより圧倒的に弱いんだもの。それにヴェスタの人間は、ほとんどがマンガなんて読んだこともないのよ。あちらではマンガは古文書だもの。私のいた組織の人間だけが、古文書を少しずつ読み解いてあいつらと戦っていた」
「そもそもベタな展開を知らないから戦いようがないってこと?」
ルーテリア・ユニアは頷き、カバンの中から小さな瓶を取り出した。中に、首飾りと似たような水晶がいくつか入っている。
「あいつらに有効な攻撃をいくつか結晶化したものなの。でも、まだまだ足りない。もっとベタな展開を集めないと。……あなたに、協力してもらいたいの」
「なんで俺なんだ?言っておくけど、俺は結構ヘタレだぞ。悪と戦うには向かないし、そもそも漫画もそこまで読まない」
「あなた、窓際の一番後ろの席だったんだもの」
「は?」
「マンガではよく、主人公は窓際の一番後ろの席にいるものだもの。あなたしかないわ」
「そんな理由で、お前の故郷を救うための人物を決めるのか?」
「私にとっては一番大切な理由よ」
廉は大きくため息をつく。
「その、フィアっていう悪者は、日本にも来るのか?」
「きっと、近いうちに来るわ。……巻き込んでごめんなさい。でも、私が戦うから。きっと組織の仲間も、私を追って来てくれる。だから、武器を集める手伝いを頼みたいの」
ルーテリア・ユニアは悲痛な表情で廉を見つめる。女の子にそんな顔で頼まれては、なんとも断りづらい。けれど、事態は世界を巻き込むものだ。なんの力も持たない一介の高校生が、まさか席順で引き受けていいものなのだろうか。
「俺は具体的に、何をすればいいんだ?」
「マンガの事をもっと知る手伝いをしてほしい。私も、限られた数のマンガしか読んだことがないから。もっと、王道的展開とか、悪役の傾向とか、知らなきゃならないことがたくさんあるの」
漫画の研究か……。
その時、頭の隅に閃くものがあった。
「わかった。協力する」
「本当!?」
「俺だけじゃない。お前が知っているかはわからないが、学校には多くの人間の協力を得られるかもしれないシステムがあるんだ」
「まあ!何なの、それ」
廉はニヤリと笑う。
「部活だよ。漫画同好会を発足するんだ」