現在へ(プロローグ)
海外の音楽のメッセージ性や皮肉った歌詞の曲が日本に少ないのはやっぱり日本て平和なんだなぁと思う。暗に、何にも考えていないんだなぁと言ってるのではなく、考える方向が一方的だ。と言っています。
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こんな事がいつも頭の中で急速に廻り出す。自らの意思で、さあ考えるぞ、と考えようとして考える訳でも無く、無意識にスタートするのだがキッカケが無い訳では無い。言葉は口から発せられる。それぞれの国、まあ国と言うのもそうだが、それを言い出すとこの言葉すらもなのだが今は、今私が持っている限りで説明すると、その発せられる音は、耳から入りその音を出す方法を自然に、もしくは本能的に学び吸収し発する。そしてそれらの音は共通するものもあれば、ソコ独自の音のモノもある。だとしたら幼き頃から今私が発する音以外の音を耳から入れ続ければ、今発する音以上の音を発せられるかも知れない。では出せる音とはどんな音なのだろう。と考えたが例によって出せるはずが無い。それは他国の音のそれの事では無く、文字ですら表せれない物の事。例えるなら地球以外の生物が発する音にニュアンス的には近い。間違い無く出せる訳が無い。理由には先の、音を発する迄の流れ。それと今で言う(人間)の身体的問題。口、喉、肺、そして脳。これらの仕組み、形状等が変わらない限り、今ある音の種類を越える事は出来ない。と、自己結論づけ、一つの区切りが終わるまで廻り続ける。時には動物達が食事、排泄、睡眠、等生きる上での生理現象の時間を除いた時は一体どう過ごしているのか?と子供じみた疑問に頭がスタートする時もある。
冬の寒さに体の動きは遅くなるが、頭の動きは寝る時以外毎日変わらない。常に何かに私の頭が奪われる所為か、物忘れ、なんでも無い道に躓く、廻りからはぼーっとしていると言われる。その言葉は私にとっては凄く不快で、むしろ貴方よりも頭は廻っている。と言われ刹那に思う。朝、仕事に行く前、暖かいコーヒーを家で淹れる時間は私には、自慰行為と等しく無駄に思え、通勤途中の自動販売機で缶コーヒーを買い、口から喉奥に缶半分を流し込み、頭のスピードを強制的に抑える。これから仕事が始まる。仕事というのは多くの自論、見栄、損得、リズムが集まりそれらを如何に近付け、平らかに、凹凸なくする作業だと思っている私は廻りに合わせる為に缶コーヒーを流し込む。
高ければ低く、低ければ凹ます。横線一本に例えるならそういう事だ。そんな不可解な事に順応するには糖分は必要だ。私は。
「おはようございます」
「おはようございます」
「おはようございます」
「おはようございます」
今昼の13:00だ。慣れない。
私の仕事は変わらない。ずっと野菜を売っている。
今はスーパーマーケットの野菜売り場で品質管理、陳列等、夜9時迄の仕事だ。義務教育の過程を終え直ぐにここで働き出してまだ10年。パートのおばちゃん達の会話は、店長か、客か、旦那の3パターン。時々、新しいパート、バイトが入れば4パターンになる。全く無益なので話に入ろうともせず、あの人達からすれば、無言の気持ち悪い人と思われてるのはひしひしと伝わる。キリの良い所を優先して、上の商品の値札を見えなく埋めてしまうぐらいに陳列してるところを見ると「3番行って来ます」とコーヒーをまた流し込む。
ドラマーが着ぐるみ着ると金が稼げる時代の様です。