第1章 あれから・・・
輝けるもの(上)より少し大人になった主人公沙希の心の動きに 多少でも共感できる女性がいる事と思います
*(上)からお読み頂けると より内容がお分かり頂ける事と思いますので、お勧め致します
1.あれから・・・
「チーフ、サロン・ド・カーミの加賀美店長からお電話です」
「ありがとう。今行きます」
サロン・ラヴィールも 沙希が入社してから今年で5年が経ち、少し変わった。店長の青山は相変わらずにこにこと 自分のスタイルを変えずにいたが、以前チーフだった加賀美が 去年サロン・ラヴィールからのれん分けされ、都内にサロンをオープンした。そして沙希がチーフへと昇格していた。同時に、学生時代からアルバイトで来ていた桜田冬美が卒業して めでたく正社員となり、この3人が今のサロン・ラヴィールを切り盛りしていた。桜田に色々と教えながら 沙希は、入りたての頃の自分を思い出していた。そしていつの間にか、自分も人に教える立場になっている時の流れの早さに驚いているのだった。
「お電話代わりました。河野です。お疲れ様です」
すっかり使い慣れたフレーズになっていた。
「今日店長、キューズコスメティックスとの打ち合わせに行かれています。それで、先月の集計に関しての書類をFAXして頂く様に 言付かってます」
気が付くと、店長の留守をしっかり切り盛り出来る様にもなっていた。その晩、店の戸締りを終え サロンを出、エレベーターを降りたところで携帯の電源を入れると同時に 着信音が鳴った。
「俺、俺」
浜崎修也。沙希の 夏からつき合い始めた彼氏からだった。
「今横浜にいるんだけど、これから会えればと思って」
今年の沙希の26回目の誕生日の事だった。その日は丁度、東京の御徒町で行われた日本エステティシャン協会の講習会があり、サロンを臨時休業し 3人で出席していた。そしてサロンで新しい施術をコースに取り入れる為、品川にあるエステサロンに 週一回沙希は研修に通い始めていた。その日は、講習会の後の研修と続き、帰りも11時を回っていた。品川から京浜東北線の下り電車に乗ると、時間も時間で 適当に車内は混んでいて、ヘトヘトの体にもう一度喝を入れ 背筋を伸ばし、吊り革につかまった。先程の研修でとったノートを出して復習でもしようかと思っていると、隣に立つ酔っぱらいの中年のサラリーマン風の男が、電車の揺れにつられ 沙希に寄り掛かってくる。驚いた沙希がそちらを向くが、男は相当酒を飲んでいるらしく、目も虚ろだった。出来るものなら一つでも二つでも横にずれたかったのだが、あいにく沙希の反対側の隣もサラリーマンの三人組が 大きめの声で会話をしていた。明らかにこちらも飲酒状態で、沙希は両側から挟まれる様にして アルコールの匂いが蔓延する中、縮こまって ただひたすら早く時が過ぎてくれるのを待っていた。すると突然、目の前に座っていた若いスーツを着た男が席を立ち、無言で沙希の肩に手を掛け 今まで自分が腰掛けていた席を譲った。それが浜崎修也だった。一瞬何の事か分からずにキョトンと席にはまっている沙希だったが、すぐにぺこりと頭を下げ、お礼を言った。
「すみません・・・」
そうは言ったものの、申し訳ない様な気持ちでいっぱいになっていると、また突然 沙希の膝の上に アルミのアタッシュケースを乗っけてくる。
「持ってて」
こんな奇抜な行動をとる人に 沙希は今まで会った事がなく、びっくりしたまま 素直にその重たい鞄を抱えていた。目の前に立ったその男は、両手が空くと その手を吊り革に伸ばし 両手でつかまった。しかし それから 目の前の男は、沙希に話し掛けるでもなく ただ黙って吊り革につかまっていた。端正な顔立ちの男で、一見今風の若者だったが 困っている沙希に気付き、少々強引ではあったが 席を代わってくれた優しさに、沙希は見た目とのギャップを感じていた。きっと女性には不自由しない位モテるだろうと思えるルックスで、女の子に尽くされて してもらう事に慣れていそうな目の前の男に、実にスマートに さり気なく優しくされ、沙希は正直ドキドキしていた。意識しているからか、両手で吊革につかまっている目の前の男が 沙希には少々 上から覆いかぶさる様で、圧迫感を感じながら またそれが胸の高鳴りに拍車をかけていた。なんとか平静を装おう様に 沙希が鞄の中からノートを取り出そうとすると、頭上から声がする。
「俺の鞄重い?」
「いえ、大丈夫です」
そして、またそれっきり会話はなかった。あまりにも気になる自分を止める事が出来ず、一度だけ彼を見上げてみたが、全く別の方を向いていて 沙希を気に掛けている様子は これっぽっちもなかった。ノートを広げてはいたが 頭に何も入る筈はなく、じりじりとした時間を過ごした。結局それ以来 会話もないまま横浜駅に電車が着くと、先程の酔っぱらいの中年サラリーマン達が下りていった。そして、沙希の隣の席も一つ空いた。途端にまたドキドキと鼓動が鳴り始めると、目の前の男は その空席に腰を下ろした。
「すみません・・・ありがとうございました」
思い切って沙希がそう話し掛けてみると、男は苦笑いをしながら答えた。
「酔っぱらいのおやじは困っちゃうよね」
しかし その後も会話は続かなかった。沙希は自分の下りる石川町の駅まで もう間が無い事を思い 何故か焦っていると、今度は男が話し掛けてきた。
「ごめん。その鞄、もう貰わなくちゃね」
そう言い終わる前に、手が沙希の前に伸びてきていた。
「お家は・・・こちらの方なんですか?」
「家は藤沢なんだけど、今日はちょっと・・・元町に飲みに行こうと思ってて」
同じ石川町駅で降りると知り、共通点が出来た沙希は 会話が途切れない様に話を続けた。
「これから?・・・あぁ、今日土曜日ですもんね。よく元町には飲みに行くんですか?」
「何軒か行く店があるんだ。今日はTomy’sBar・・・って知ってるかな?地元なら聞いた事あるかな?そこ、顔出そうと思ってて」
「知ってます、知ってます。行った事あります」
以前桜井の車の中で聞いたCDが、Tomy’sBarに来ていた黒人歌手のもので、その時もそんな奇遇をしみじみと感じたのだった。
「あそこのオーナーとちょっと知り合いでさ。久々だから今日覗いてみようかなって。一緒に行く?」
突然のその言葉に 一瞬ためらっていると、男は言った。
「これじゃ俺、ナンパしてるみたいだな」
駅に二人は降り立つと、そこで沙希の携帯が鳴る。相手は京子からだった。
「おう!―――ありがとう、わざわざ。26になっちゃったよ。あれ?京子今どっから?アメリカ?―――帰って来てんだ?ノーナちゃん元気?―――明日?いいよ、空いてる。会おう会おう」
そんなやり取りを終え 電話を切ると、何となく付かず離れずの距離を歩いていた浜崎に話し掛ける。
「結婚してアメリカに住んでる友達から。今日本に帰って来てるからって」
さっき会ったばかりの まだ名前も知らない相手に沙希は、そんな事を説明する。すると、
「・・・26歳なの?」
「えっ?・・・あぁ・・・今日で26になったの」
「今日で?」
男は目を見開いて沙希を見た。
「今日誕生日なの?」
「あ・・・うん。それでわざわざ、友達も電話くれたみたい」
「せっかくの誕生日なら、お祝いしようよ。Tomy‘sで良かったら一緒に行かない?一杯位いいでしょ?」
Tomy‘sBarの入口のドアを開けると、近くの店員に男が声を掛けた。
「Tomさん、いる?」
沙希にとっては何年も来ていなかった久し振りの店内は、懐かしくもあり また新鮮でもあった。
『Tomさん』と言われ 現れたのは、髭を生やして骨格のしっかりした色黒の日本人だった。これが この店のオーナーだった。
「おう、久し振り!」
しばし再会の挨拶の間、一歩引いた所で待っていた沙希だったが、突然男が振り返った。
「今日彼女、誕生日なんで」
『おめでとうございます』とオーナーに頭を下げられ、慌てて沙希も頭を下げる。そしてオーナーが 男に聞いた。
「綺麗な彼女連れて」
「いや・・・違うんすよ。たまたま電車で一緒になって・・・誕生日って聞いたんで」
「相変わらずナンパしてんだな」
「やめて下さいよ、人聞きの悪い」
そして奥のボックス席に案内され、メニューも見ないまま少し待っていると、シャンパンのカクテルが二つ運ばれてきた。淡いピンク色をしていて 小さな気泡が縦に並んで上へ上へと昇っていた。乾杯をする前に 男が言った。
「俺、浜崎修也。26。同い年。よろしく」
思い出した様に自己紹介をする浜崎に、沙希も慌てて名前を名乗った。
「河野沙希です。何だか・・・ごめんなさい。ついて来たりして」
それから二人は自己紹介のつもりで色々な話をした。そして、料理も適当にテーブルに並び お酒も入り、まるでさっき会ったばかりとは思えない程 浜崎に親しみを抱いた頃、ピアノから“Happy Birthday”の音色が流れてくる。その日のライブの女性ボーカリストが見事に歌い上げると、沙希の方へ向けて拍手を送った。すると店内からも 沙希への拍手がわあっと沸き起こり、恥ずかしそうに照れながら、ペコペコ頭を下げた。
それが沙希の26回目の誕生日で、浜崎修也との出会いだった。