95.富士宮正二の過去
「従業員たちは無事か!?」
距離がありすぎるため。
羽柴灯火の一行は、全員が同じタクシーに乗っていた。
目的地に到着すると、富士宮正一は目の色を変えて下車してしまったのである。
高級そうな屋根の下で、門松が宿泊者の名前を浮かび上がらせていた。
正面玄関の両脇には、【富士宮旅館】と印字された提灯が飾られている。
なあ、と灯火は正二のほうを見た。
彼はおびえたように目を動かして、状況を細かく分析しているようだった。
「なんだ」
そう応じる声にも、覇気がない。
きっと恐怖を感じているのだろう。
「いきなり俺の兄貴だって言われても、にわかには信じがたいんだけど」
ああ、そんな話か。
そう玄関マットを踏んで、正二は中に入っていく。
フロントやロビーにも、客や従業員の姿はない。
「前に1度だけ、サウナ対決をしたことは覚えているか?」
「ああ、もちろん」
「あのとき俺は、"ほとんど汗をかいていなかった"」
そうサラリと話す正二。
熱分散のことを言っているのだ。
それが出来るのは東家で、しかも内的エネルギーを会得した者のみだ。
「どうだ、まだ説明が必要か?」
「ああ、頼む」
灯火にはもう、それだけで十分だった。
しかし、心の準備がまだ出来ずにいた。
「葬儀会場で俺は、"めそめそ泣くんじゃねー!"って言ったよな」
「ああ、そうだったな」
「泣いていいのは、父親が死んだときと、母親が死んだときだけだと」
「ああ、そうだ」
「もしもあのとき、俺も"同じ境遇にいたとしたらつじつまが合う"と思わないか?」
「ん、どういう意味だ?」
「よく思い出してみろ。会葬参加者の中でも、俺は親族側のほうに着座していたんだぜ。
それにほら、お前を叱った場所だって、遺族以外立ち入り禁止の控え室だったじゃねーか!」
言われてみれば、たしかにそうだった。
「ダメ押しにもうひとつ!」
正二はエレベーターを呼び出す。
いつもいるはずのドアマンが、いない。
「灯火は俺の両親を見たことがあるか?」
「そ……それは」
灯火はそう言葉につまる。
「あるはずがないよな。だって」
チーンと鳴って鉄の扉が開いた。
「俺の両親はお前の両親と同じなんだから」
「じゃあ、なんでお前は富士宮家にいるんだよ?」
「それは」行き先ボタンを押しながら、正二は答える。「俺が羽柴家(東家)の長男だったからだ」
身体が浮遊するような感覚に襲われる。
エレベーターが上昇しているのだ。
「なおさら意味わかんねーよ。羽柴家の長男だったらなんで?」
「その1年後に、お前が生まれたんだ!」
正二は畳み掛ける。
「俺は、灯火を犠牲にして、当時から仲が良かった富士宮家に、養子として招待されたんだ」
その声には、力がなくなっていた。
「いわゆる亡命ってやつだ。そのせいでお前には、迷惑をかけた」
揺れがおさまって、鉄扉がゆっくりと開いた。




